人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか  水野和夫著

 先進国が成長する時代が20世紀末に終わり、IT革命とグローバリゼイションがこれまで途上国だった国々に高い成長をもたらしている。95年以降、日本のGDPデフレーターが下落にに転じ、「インフレ(成長)がすべての怪我を治す」をテーゼとした近代は終わり、先進国は「ポスト・モダン」に入った。日本は現代も近代の枠組みが続いていると信じて、「改革なくして成長なし」(小泉前総理)から「成長なくして日本の未来なし」(安部総理)へと成長重視という点で変わりがない。それは結局、消費税引き上げの見送りに象徴されるように、「名目成長率を高めないと財政再建ができない」という考えにつながっていく。

 それに対して米国は、近代における常識「経常赤字の増加は成長の制約になる」を覆す戦略をとった。95年財務長官に就任したロバート・ルービンがとった「強いドル政策」は、世界のマネーを米国にいったん集中させ、その後再び世界に配分するシステムである。このシステムは第一には、経常赤字の増加が成長の制約にならないようにすることである。そのために、世界中に高いリターンを求めて過剰なまでに溢れているマネーを、必ず経常赤字額以上に米国に流入させる必要がある。第二には、米国の対外投資を増加させることである。経常赤字が増加していても、それ以上に米国への資本流入額が増えれば、BRICs(Brazil、Russia、India、China)など今後高い成長が見込まれる国に多額の資金を投資できる。

 中国でつくり出される製品は、中国の中流階級が台頭して内需主導型経済に転換するまでの間、先進国の消費ブームによって吸収しないと、需要と供給が一致せず、世界的な過剰生産に陥ってしまうことになる。先進国の住宅ブームや株高など資産ブームが購買力を高めている限り需要が創出されるので、過剰生産にはならない。資産ブームが起きるためには過剰マネーの存在が不可欠であり、それには先進国の物価安定が前提になる。資源インフレが生じても、巨大な生産能力をもつ中国が輸出増で販売数量を増やすことによって、一製品当たりの固定費を削減しているため、世界の工業製品価格は値上がりしない。

 成熟化した先進国経済は資産価格への依存を強め、消費ブームが生じやすい。資産価格の増減率が成長率を決めるから、金融経済が実物経済を凌駕するようになった。逆に途上国経済は、近代化の過程に入ったBRICsに代表されるように、投資ブームが起きやすい。ここでは実物経済が優位である。グローバル化が進行すると、原油価格上昇ででマネーはいったん石油輸出国に集るが、原油代金は対米証券投資として米国に還流する。こうして原油高で悪化した米貿易赤字以上に米国の資本収支の黒字が増加する。そうなると、外国人投資家のドル債購入が増加して、需給要因から米長期金利は低下する。米長期金利が低下するから、住宅ブームが生じて消費が過熱する。中国の投資過熱と米国の消費過熱は表裏の関係にある。今回の原油価格の上昇で、世界経済が不況になることはなかった。エネルギーの価格の上昇を中国が巨大な供給力によって工業製品の価格に転嫁させなかったからであり、石油輸出国が対米証券投資を積極化することで米長期金利を低下させたからである。

 従来、株価などの資産価格は将来のファンダメンタルズを織り込んで形成されるから、株価を予想するには、半年から一年先の景気を予測しなければならなかった。しかし二一世紀になると、マネーフローの動きが景気それ自体の振幅をおおきくさせ、それが景気の方向性さえも変えてしまうようになった。金融経済が頭で、実物経済が尻尾になったのである。世界の外為市場で取引される額は一日で1兆8800億ドル、店頭デリバティブ市場の取引は1兆2200億ドル、合わせて3兆1000億ドルに達する。年間で775兆ドルである。04年の年間貿易取引額9.3兆ドルである。金融取引は実物取引(貿易取引)の83倍の規模に膨れ上がっているのである。経済の仕組みが金融経済優位であるという視点に立脚すると、世界の株価を予測するには、実物経済のファンダメンタルズよりも、マネーの需給に影響を及ぼす要因、例えば原油価格とか日本などの金融政策の行方が圧倒的に重要になる。景気の動向は株価や住宅価格の従属変数となり、それらの資産価格の変動はマネーが決めるからだ。