銀行はなぜ変われないのか日本経済の隘路     池尾和人著
 日本の銀行は不良債権処理費用を含めて考えると、93年から今日までの10年間にわたって、ずっと赤字の状態が続いている。この赤字をこれまでは過去の古き良き規制時代にため込んだ含み益をはき出すことにで埋めてきた。しかし、2001年度末までに、そうした含み益の蓄積もほとんどの銀行において尽き果て、資本準備金の取り崩しにまで手をつける銀行がでる事態に至った。こうした状況で、今後も赤字が続くとすれば、耐えきてずに破綻に追い込まれる銀行が出てきても全くおかしくないといえる。
 換言すると、この間はフローの収益と不良債権損失とが綱引きをしなければいけない状況になった。そこに株価下落が加わり、向こう側で綱を引く者が二人になった。フローの収益が低迷するなかで、銀行は綱引きに負けてしまうかもしれないというリスクが顕在化しつつある。

 不良債権問題の解決は、金融再生のための必要条件であるが、十分条件ではない。日本の銀行が現在バランスシートに抱えている不良債権を一掃したとしても、日本の銀行の収益率が非常に低いという事態はいささかも変わらない。銀行の収益構造が、低収益性のまま続いていけば、今後、何度でも政府による支援を必要とする事態に陥っていくということにならざるを得ない。
不良債権は問題の症状であって、問題の原因ではない。問題の根本原因は、日本の金融システムのあり方が、根本的に時代遅れになっていることである。時代遅れになっている金融システムを十年ぐらいの中期スパンを考えながら、現在的なものに改変していくことが本当の問題解決の道である。

 日本の銀行が転進の目標とすべきビジネスモデルは、リテール・バンク(retail bank)と投資銀行がある。
 リテール・バンクは小口の個人や中小企業向けに基礎的な銀行サービスを提供することに徹する。リテール・バンクをやるには、郵便局のように軽量な店舗を高密度で配置することが必要であり、それに伴って人員の数もかなり必要になる。日本の銀行の店舗ネットワークは、比較的重要な店舗を拠点都市にだけ配置するというものにとどまっている。これは、産業金融をやるには適していたとしても、リテール・バンキングには不似合いなものである。この負の遺産を克服して、リテール・バンクとして成功するためには、徹底して情報技術を活用するといったかたちでのイノベーションが不可欠である。日本の銀行がそれだけ十分に革新的であるかどうかが問われている。
 投資銀行は、大企業や公共部門を顧客として、「金を貸す」というよりも、「知恵を貸す」ことを中心とする商売である。顧客が資金調達を欲している場合でも、自分の勘定で貸し付けを行うのではなく、資本市場から資金を調達する計画を考案して提示するかたちをとる。その他、顧客が抱える様々な問題に対する解決策を主に財務面から提供する。しかし、対価を支払っても得たいと顧客に思わせる「知恵」を出すのは、並大抵でできることではない。きわめて高度な知識と金融技術力に加えて、広範囲な投資家との繋がりを有していることが前提となる。

 日本経済の1990年代に入ってからの長期停滞の最も基本的な原因は、産業構造の変化を拒み続けていることにあるともいえる。具体的には、わが国の場合、第二次産業の比重がなかなか低下せず、サービス経済化の進行が遅れている。いくら日本の製造業が強かろうとも、もはや供給増に見合った需要増が生まれることは期待できない経済発展の段階に日本経済が至っている。いまの日本人は、所得が増えた分だけ工業品に対する需要を増やそうとはしていない。もちろん、日本の製造業に属する個別の企業には、グローバル企業化する成長していく可能性は十分にある。しかし、日本の国内で製造業が高成長を遂げることは出来ない。日本の製造業は、その強さを維持するために生産性の向上を図っていくだろう。そして、規模の拡大が望めない中で生産性の向上を図るということは、雇用者数をさらに減らしていくということである。
 日本国内で雇用と所得を生み出していくためには、もはや製造業に頼ることは出来ず、今後需要が増加することが望める産業の拡大を図っていく以外にない。そうした産業は、非製造業、なかんずくサービス産業に他ならない。サービス産業の質を高め、その規模を拡大する余地が、わが国にはまだ存在している。構造改革は本来、こうした方向への産業構造の変化を妨げている要因を取り除き、産業構造調整を促進することを目的とすべきものである。サービス産業を強化し、そこでの新規起業を促し、日本の国内で雇用と所得を生む担い手となる企業群を育成しなければならない。そのための規制緩和と税制その他の制度改革こそが求められている。