日本の原像        梅原猛・吉本隆明著

 柳田国男は、アイヌ語の地名は自然の地形をそのまま名づけた所が多いのだという。なぜアイヌ語の地名が残っているのかというと、それは単にそこにアイヌ人が住んでいたからではなくて、アイヌ人またはそれに近い人たちが住んでいたときの地名があった所へ、後から移り住んで来た人間がいる。先住民を完全に駆逐してしまったら、その地名はなくなってしまう。そこで地名が残っているということは、アイヌ人たちと後から来た人間たちとが共存状態であったのだろう、と言っています。

 縄文人のつかう縄文語というのがあって、これはかなり日本列島全体に行き渡っていただろう。縄文土器は朝鮮半島にはほとんどないのに、日本列島にはほぼ全体に普及している。そのように、だいたい同質の言語が南は沖縄から北は千島まで、多少のローカルカラーがあるけれども、日本列島に普及していたと思われる。そして弥生人が入ってきて日本列島の中枢を占領した。そして弥生人はまったく違う言語をもってきたけれども、少数の民族が多数の民族の中に入ってきて、それを支配する場合、その言語は被支配民族の言語になるが、発音 その他は相当変更をこうむり、そして、支配民族が新たにもってきた新文化や技術にかんするものの名称は支配民族の言語で呼ばれる、という法則がある。だから縄文語が弥生時代以来かなり変質した言語が倭人の言語であり、それが日本語の源流になったと思われる。そして南と北により純粋な縄文人が残っていて、縄文語がより純粋な形で生きのびて残ったのではないだろうか。琉球は朝鮮や中国とも近いから人種も混血し、言葉もかなり変質しているけれども、稲作農業に不適な所なので、かなり強く縄文文化が残っている。また、北の方は中国などとの交渉もも薄いし、沿海州あたりとの接触があるにせよ混血も少なく、縄文語がいちばん強く残った。それが小進化してアイヌ語になったと考えられる。

 日本文化は楕円構造もつもの考えるといい。一つの中心は縄文文化で、もう一つの中心が弥生文化です。日本の精神構造は縄文的なものに大きく影響されていますが、技術的なものや制度的なものは、やはり弥生の精神で、弥生時代以来、ずっと日本人は大陸から先進文化を輸入している。古い伝統的な縄文文化を精神の根底にしながら、絶えず海外の文化や制度を貪欲に輸入している。縄文の魂に弥生の知恵、それを「縄魂弥才」といっているが、この「縄魂弥才」の後に「和魂漢才」になり、また「和魂洋才」になった。

 日本の土着宗教の最も基本的な哲学は、霊の循環という考え方にある。人間が生まれてくるのは、霊が肉体に宿ることから始まりますが、その霊がやがて肉体を離れて天に帰っていく。すぐには天に行けないから山にゆき、そこで清められてから天に行く。そして天に何十年、何百年いて、またこの世に還ってくる。これは人類が自分の住んでいる世界を考える場合、すべてそういう循環の理に従っていると考える。太陽が朝昇って夜没する。そして次の朝また出てくる。太陽も生きて、死んで、また復活してくる。月が満月になったり欠けたりするのもそうだ。植物も春夏秋冬と生死のリズムを繰り返す。昆虫も同じである。霊魂が人間・動物・植物みんな共通で、そういう生死の輪廻を無限に繰り返しているという世界観は、旧石器時代の人類に共通したもので、とくに狩猟採集文化が後代まで続いた日本では非常に色濃く残っている。

 歴史を、狩猟採集社会→農業牧畜社会→工業社会という大きな図式で考えると、人類が狩猟採集時代を超えて農耕牧畜文明に入るには、人間と自然との関係の根本的変革があった。自然中心から人間中心に、つまり、人間が自然の一部であるという世界観から、人間が世界の中心であり、他の動植物を支配する権利をもつという世界観に変わってゆく。そして、世界が永劫に回帰するという哲学から、世界の歴史が人間が進む方に一方的に進むという歴史観となる。人間の自然支配を無条件に善と見て、そして、歴史を一方的に進歩発展と考える歴史観を普遍的に正しいと考えた。たしかに、農耕牧畜文明の成立と共に文明が出来たという見方をとる限りは正しいが、今や、人類の歴史をもっと長いスパンで考える歴史観が必要なのではないでしょうか。
 農耕牧畜社会が出現してから、大規模の自然破壊が始まった。なぜなら、農業というのは森林を焼いて、それを田畑にしてそこに穀物を植える。植物を人間の手でコントロールする。こういう文明は必然的に、人間に自然支配の特権を与える思想を必要とする。そしてそういう思想ががまた、自然支配、自然破壊を増進する。そしてこの自然支配あるいは自然破壊を肯定する人間中心の哲学は、近代において頂点に達する。そこではもう、永劫にの回帰を繰り返す自然の世界は無視され、ただ一方的に進む歴史の必然性のみが問題となる。われわれはこういう悪い人類の歴史を切断するような思想を必要としている。
 このような眼で日本の文化を見ると、日本文化は、ある意味では歴史的には遅れた一時代前の狩猟採集文化をおそくまで保存し、アジア大陸ではすでに巨大な農耕牧畜文明が盛んに咲きほこっていたのに、ここでは縄文文化という狩猟採集文化としては大変発達した文化を生み出した。それは、ある意味では、農耕牧畜文明という大文明の波に遅れた後進的文化といえます。しかし、この後進性が逆に今日一つのメリットになっている。そこから原始的人間共同体とでもいうべきものが比較的後代にまで、いや近現代に至まで残存されているということができます。この共同体があるいは今の日本の発展の原動力にになっているかもしれない。また、日本人の自然に対する考え方の中には、狩猟採集社会の考え方が農耕社会になっても強く残っている。一切の生きとし生けるもの、動物も植物もすべて、人間と同じ魂を持っていて、この世にそれぞれの仮装をつけて現れたにすぎないという考え方が、その根底にあったからだと思われます。こういう思想をもう一度考え直し、そこから人類文明の行方を反省する必要があるのではないでしょうか。