円高の正体              安達誠司著

 プラザ合意前の80年代前半のアメリカは、「増えつづける財政赤字と貿易赤字の双子の赤字によって経済が衰退する」と世界中から言われていました。しかしアメリカは、問題の大きな原因の一つが、自国の通貨高であることに気づき、ドル高を是正することを望んで強権を発動して、他国を巻き込むかたちでドル安政策を推し進めました。結果、アメリカ経済は息を吹き返しました。財政赤字の悪化と、長引く不況の中でいま、日本経済に求められているのは、プラダ合意でアメリカが「ドル安」を求めたのと同じく、「円安」そのものなのです。

 日本の名目経済成長率は、97年以降10年以上にわたってゼロ成長、あるいはマイナス成長している。この10年以上ににも及ぶデフレが、日本国民全体に、日本は今後もデフレが続くだろうという予測を刷り込んでしまっている。長引くデフレは、デフレマインドを定着させ、予測インフレ率の低下をもたらし、結果としてアメリカと日本の予測インフレ率の差を拡大させるかたちで「円高」を引き起こしている。

 日本が円高とデフレを克服し、緩やかなインフレの状態に戻れば、少なくとも2〜4%以上は成長できるでしょう。再び成長軌道に戻っていくためには、日銀によるマネタリーベースの供給量を増やす必要がある。「目標とする名目経済成長率を達成するには、中央銀行はどの程度のマネタリーベースを供給する必要があるか」を計算するにあたって便利なのが、マッカラム・ルールと呼ばれる方程式です。米カーネギー・メロン大学のベネット・T・マッカラム教授が考案したことから、その名がつけられました。

 マッカラム・ルールによると、日本で名目経済成長率2%を達成するためには、日銀が150兆円のマネタリーベースを供給する必要がある。現状の水準は121兆2000億円(2011年11月現在)ですから、追加で28.8兆円のマネタリーベースが必要です。名目経済成長率4%を達成するためには、200兆円のマネタリーベースの供給が必要で、現状からは追加で78.8兆円が必要です。日銀が追加で28.8兆円のマネタリーベースを供給すると、2%の名目経済成長率を達成すると同時に、ドル/円レートは「1ドル=95円」程度に、インフレ率は+1.5%程度になる。追加で78.8兆円のマネタリーベースを供給した場合は、4%の名目成長率を達成すると同時に、ドル/円レートは「1ドル=115円」程度に、そしてインフレ率は+3.0%程度になる。ここに及んで、日本はかっての成長を取り戻すと同時に、「円高」と「デフレ」の状態から脱却できる。


日銀の量的緩和政策がデフレと円高からの脱却するメカニズムを次に示します。

(1)日銀が、マネタリーベースを十分に供給しつづける。(日銀が銀行の当座預金口座に現金を十分に供給しつづける)

(2)銀行は今後インフレがくると予測し日銀から振り込まれた資金を原資に、株や外債での運用を増やす。

(3)銀行が起こした株高と円安を目にした一般の投資家が株式投資と為替取引を活発化させる。

(4)日銀のマネタリーベースを増額することで、株式投資と為替取引の活発化した期間が続けば、投資家に株の運用益と為替差益が入り、かつ輸出企業と輸入品競合産業(漁業や酪農業、地方の地場産業や観光業など)の収益が改善しはじめ、景況感が改善する。

(5)日本全体の予測インフレ率の上昇がはじまり、さらに日銀のベースマネーの増額がそれを後押しつづけ景況感の改善が広がれば、日本全体の予測インフレ率の上昇が本格的なものとなり、銀行以外の一般投資家も、株式投資と為替取引をさらに活発化させる。

(6)日本全体に予測インフレ率の上昇が浸透していく過程で、株価の反転によりバランスシートが改善しはじめた企業や、同時に円安によって収益が改善した輸出産業や輸入品競合産業は、生産設備を拡張したりなどの設備投資を行ったり、工場の稼働率を上げたりする。そのことを通して、日銀の金融緩和から端を発した経済へのプラスの効果が、産業周辺の取引先企業や下請け企業に波及しはじめ、日本の景況感がさらに改善しはじめる。

(7)業績の回復した企業が従業員のボーナスを増額する。基本給のアップをする。そして日本全体の企業活動が活発になる過程で、新しく雇い入れられる人も増える。新卒採用を増やす企業も出てくる。

(8)日本全体で給料が増え、雇用情勢も改善されれば、多くの人が消費活動を活発化させる。この過程で、日本全体の予測インフレ率がしっかり上昇し、実際のインフレ率もさらに上昇して、日本はデフレから脱却する。

(9)日本がデフレから脱却し、本格的な景気回復の局面に入れば、いよいよ銀行はリスクをとって、企業への貸出を拡大させる。これによって資金が借りられるようになった中小企業の活動が本格的に活発化することになる。


 1920年代後半に発生した昭和恐慌も、現在の日本の不況と同じく、物価の下落と成長率の低迷が同時に生じるデフレ型の不況でした。1931年12月、深刻さの増す経済状況の中、大蔵大臣に就任した高橋是清は、日銀を指導し、大規模なマネタリーベースを拡大する2段階にわたっての金融緩和政策を即座に発動しました。株価の大反発と、大幅な円安、企業の生産活動の増加は、日銀の大規模な金融政策によって即座に起こり、そして銀行貸出の増加は、それらの指標の回復から3〜4年遅れで実現したということです。

 現在の日銀も少額ではあるものの、一応は量的緩和策を行っているのです。それは、確実に、小規模な円安や株価の反転、そして低いながらもインフレ率の上昇をもたらしました。長引くデフレの中にあって、時に円安局面が存在し、時に株価の上昇が見られる時期があるのはそのためです。しかし、現在の日銀は、これから日本経済が本格的な回復経路に乗る段階まで来たところで、なぜかマネタリーベースの拡大を止め、日本をまた不況への道へと押し戻してしまったのです。これまでの量的緩和によって円高が止まらず、デフレも止められなかったのは、量的緩和が効かなかったからでなく、単純にその規模が足りなかっただけなのです。現在、日本の企業や人々苦しめている円高ならびにデフレを食い止めるには、日銀によるマネタリーベースの供給をさらに増大させるしかありません。