大世界史  現代を生き抜く最強の教科書      池上彰・佐藤優著

 本書の『大世界史』というタイトルには二つの意味がある。一つは世界史と日本史を融合した大世界史ということだ。日本の視座から世界を見、また世界各地の視座から日本を見、さらに歴史全体を鳥瞰することだ。もう一つの意味は、歴史だけでなく、哲学、思想、文化、政治、軍事、科学技術、宗教などを含めた体系知、包括知としての大世界史ということだ。今日、冷戦後のアメリカ一極支配は崩れ、世界のパワーバランスに大きな変化が生じている。各地で紛争が勃発し、破綻国家や無政府地帯が広がっている。そうした地域で武装組織が勢力を伸ばして、世界の混乱にいっそう拍車がかかっている。「イスラム国」を発端とする中東の大混乱、トルコやイランなどの「帝国」の復活、ギリシャ債務問題とドイツ台頭によるEU統合の危機、ウクライナをめぐる米露の衝突、膨張する中国と周辺国のとの摩擦、そして沖縄問題。一見、互いに無関係な出来事に見えるが、根底ではつながっていて、いずれも、世界史がいま大きな節目にあることを示唆しているのかもしれません。新しい時代を生きていくためには、数十年、数百年と過去をさらに遡り、より長いスパンで現代を捉え直す必要がある。

 中東では国家、もしくは政府という枠が機能しなくなっている。そのなかで、イスラム国やアルカイダだけでなく、それらとは違うテロ組織が数十、数百も生まれている。イデオロギー的にはアルカイダと同じルーツを持っていても、人脈でも資金面でも何のつながりもない、小さい部族やサークルです。特にシリアでは、数十のスンニ派の新しいグループができて、それが複雑な合従連衝を繰り返している。こうして中東に統制不能で、分析も不可能な状態が生まれている。


中東は四つの勢力に分けられる。

@サウジアラビア、湾岸諸国(カタール、クウェート、バーレーン、アラブ首長国連邦)、ヨルダンなど、アラビア語を使うスンニ派のアラブ諸国は基本的には欧米諸国との協調路線を維持していますが、とくにサダウジアラビアとアメリカの関係は微妙なものになりつつある。

Aペルシャ語を話すシーア派のイラン。ペルシャはサファヴィ―朝(1501〜1736)のときシーア派になりました。それまでスンニ派でしたが、アラブ人やトルコ人に対抗するするため宗教アイデンティティを持たなければならないのでシーア派を受け入れた。イランはイラクのシーア派政権やシリアのアサド政権と提携してイスラム国を叩くことで勢力を拡大している。

Bこれまでアラブ人と言えば、スンニ派でしたが、イラクの現政権を実行支配しているのはアラビア語を話すシーア派のアラブ人という新しい民族が生まれつつある。

Cスンニ派だが、トルコ語を話し、民族意識の強いトルコ。

 このうちとくに急速に勢力を拡大しているのは、イラン、そしてレバノンのヒズボラといったシーア派の勢力です。イランは、イエメンのフーシを支援し、シリアのアサド政権を介してレバノンのヒズボラをも支援している。

 イスラム国は、アメリカに対する関心は薄れている。もっぱらシーア派の殲滅を目標に掲げている。さらには、同じスンニ派グループとも敵対している。イスラムを純化する方向に向かっている。欧米との対決よりも、イスラムの世界のなかで、自分たちこそ真のイスラムであることを証明してイスラムを純化し、それによってイスラム世界革命を実現するという方向に関心が向いている。イスラム国は、1922年のソ連成立以前のトロッキーの共産主義世界革命路線のロシアとよく似ている。イスラム国は、全世界に革命を輸出するための拠点国家になろうとしている。

 スンニ派とシーア派の対立が激化して、中東全体を揺るがしている。こういう事態になれば、通常はアメリカが介入するのですが、現在のアメリカは何もしません。これがいま、国際情勢の最大不安定要因になっている。

 2011年のアラブの春によって中東に民主化が広がるどころか、かえって混乱が広がってしまった。既存の秩序が崩れて、カオス状態だけが残った。アラブの春には民主主義をつぶす機能しかなかった。政治的にはイスラムと民主主義はなじまないことがはっきりした。アラブの分裂に乗じて、非アラブのイランとトルコが、帝国として自らの影響力を拡大するチャンスと思い始め、拡張主義政策をとっている。イランはペルシャ帝国、トルコはオスマン帝国という、かつての帝国としての記憶があります。

 オスマン(トルコ)、ペルシャ(イラン)、アラブのイスラム世界のなかで、アラブは過激派の跳梁で、近未来においてまとまることができない。そうすると、トルコとイランの覇権争いになってくる。トルコがなぜシリアのアサド政権を潰さなければならないのか。イランの傀儡としてアサド政権がシリアにあるとすれば、ペルシャ帝国の版図がそこまで及んでいることになる。これは当然、トルコとしては認められないから、潰さなければならない。

 中東やヨーロッパを見ると、現在の紛争地は、かってのオスマン帝国の版図と周辺国の境目あたりです。

 1960年代から80年代頃までは、中東世界は、石油の力でアラブが主導していたが、アラブが弱体化し、アメリカの影響力も弱まるなかで、トルコ(オスマン)とイラン(ペルシャ)が再び台頭している。


 中央アジアに浸透するイスラム原理主義の過激派の影響が中国の新疆ウイグル自治区にまで及ぶ懸念がある。カザフスタン、キルギスと新疆ウイグル自治区の国境は十分に管理されていない。中国当局は、漢民族の入植政策を強行に推進し、ウイグル人の民族運動やイスラム原理主義傾向に対して、徹底弾圧も辞さない強硬姿勢で臨んでいるから、ウイグル人の間で、中国政府に対する反発が猛烈に高まっている。過激派がこういう状況を最大限利用することで、この地域に第二イスラム国が誕生する可能性がある。1930年代と1940年代には、現在の国境をまたぐ形で東トルキスタン共和国というイスラム人国家が一時的に成立していた。

 トルコにとっては、アフリカから中国まで続くスンニ派のイスラムベルトの真ん中で、ペルシャが壁のように立ちはだかることになる。壁の後方にある中央アジアや新疆ウイグルとの連携に向かう。チュルク族(トルコ系)である共通意識が次第に強まっている。