亡国の徒に問う    石原慎太郎著

boukoku.jpg (8835 バイト)

 石原慎太郎は平成7年4月に「他の誰にもまして新しい歴史造形の作業への参加資格のあるはずのこの日本は、いまだ国家としての明確な意思表示さえ出来ぬ、男の姿をしながら、実は男としての能力を欠いた、さながら去勢された宦官のような国家になり果てています」という言葉を残して国政の場から決別した。本書は現在の日本の実相について書かれたものである。

bs011.gif (1058 バイト)価値の機軸の喪失

 有史以来始めての敗戦という史実を屈辱としてとらえず、自分で自分に体のいい言い訳をしてすませてしまったことで、くやしいことをくやしく思わぬ姿勢は、すべて「恥」への感覚を大方の日本人から消去してしまったとしかいいようない。

 物事の道理という価値の機軸を失った社会では、家庭や組織やさらに国家という連帯の中での責任が容易に無視され放棄されてしまうから、個々人の中で喪失された家族や組織や国家そのものは栄養を失った固体のように次第にやせて血の気を失い、やがてはひからびて滅びていくでしょう。

 個々人の内から失われつつある国家なり家族というものへの連帯感を取り戻し、もろもろの物事を見極めなおし、価値に関する機軸を取り戻してこの失速墜落にもつながりかねぬ激しいダッチロールから日本を立ち直らせるためには、それぞれの不安不満の根底には実は歴然としてある価値の機軸の欠落を国民一人一人がまず自分自身のために問い直し取り戻すべき時期に来ているのではないでしょうか。

bs011.gif (1058 バイト)危機意識の欠如

 戦後アメリカによって押しつけられた憲法がもたらしたアメリカへの依存従属の習性が、既に日本人の下意識まで深くむしばみ他力本願の構造を作りあげてしまった。

 とにかく危機意識の麻痺は救いようがないところまで来ています。国家意識を欠いた日本人の平和に対する夢想をさますためには、もうどこかの国からの直接侵犯でも起きなければ、というくらいに思いつめている。そうなってはじめて日本人は、国際関係は食うか食われるの冷徹な現実であって、日本人が好きな友情と誠意による話し合いの成立など、実は存在し得ないことを知るでしょう。いや、それでもまだアメリカのスカートの中にもぐりこもうとするかも知れないが、当のアメリカは自分の利害次第でそんな日本をスカートの中から蹴り出すかも知れない。

bs011.gif (1058 バイト)国際政治でのゲーム感覚の欠落

 政治家も官僚も含めて今日の日本人にとって、裏も表も嘘も本当もこんがらがった国際政治は、ゲーム感覚のいちじるしい欠落からして苦手極まりないものになってしまったようだ。それは日本人が得意としている、自らもそう信じている根回しなどというような手管ではもはやとても及ぶような代物ではない。日本人になんで狡智なゲーム感覚が欠落してしまったかといえば、それがすなわち戦後日本人論にもなろうが、要するにかっての戦争に対する過剰な反省が、敗戦によってもたらされた頭上の権威を夢疑わぬという、いたずらに卑屈で受動的な民族的性情を培ってしまったせいである。

 あり体にいえば、自分より強い者からこれはいい、といわれれば疑いもなくそれを良しとしてしまうような安易な主体性を欠いた思考法。だから国連は国際問題解決のための絶対に近い機関であってこれに奉仕することこそ世界への貢献とな得るといった滑稽な思い込み。

 いわゆる戦後民主主義者の平和と自由への迷妄は、これに迎合した浮薄なジャーナリズムの効果もあって、日米関係や国連といったなにやら絶対に権威ありげな他者との関わりの中に日本を埋没させてしまい、日本という個としての国家社会の存在の価値や意味を希薄なものにしてしまった。

bs011.gif (1058 バイト)過剰な対外援助

 国民の知恵と努力で我々は今日の地位を築きはしたが、国家としての体裁を気にするあまり分際もわきまえずに行っている国際貢献なるものも、ここらで少し頭を冷やして考えなおしたらいい。膨大な国債を抱えてその利払いに国家予算の多くを割いていながら、外国からいわれるまま支出している対外援助なるものが一体どんな体たらくで使い果たされているのか。その分すべて国内に回せなどとはいわぬが、周りから小突かれるままの対外支援も国内に還流してこない。唯一の原爆被爆国として痛々しいほど世界平和を念じる日本が、なんであい変わらず軍事覇権主義を捨てぬ中国に膨大な経済援助を続けなくてはならないのか。

Image2.gif (1017 バイト)まとめ

 本のタイトルにある「亡国の徒」についての説明はどこにもないが、読者を含めた日本人全体をさしているのだろう。石原慎太郎の言っていることはもっともなことだと思うが、国政に限界を感じて衆議院議員をやめたわけだからどうしても評論家的な発言としてしか受け取れない。戦後から今まで続いてきた日本人の意識構造は日本人自身によっては変革できないと思う。大きな災害や外部からの力でもなければ日本人の意識構造は変わらない。現在の日本は、本文の中で引用されている亡くなった司馬遼太郎の言葉の通りに推移している。「日本は国としての峠を過ぎて、これからあるのは静かな停滞だけだ。衰退期に向かっているという証拠に、日本文明の現在の構成者が少しものを考えなさすぎるように思います。」

 停滞期には発展期にはない停滞期なりの良い点があり、暗くなったり悲観することなく、新しい価値感を見つけ出せれば快適な生活することができる。