暗号戦争       吉田一彦著

第二次大戦の暗号戦略

 連合国は対枢軸国暗号解読作戦を、原子爆弾の開発に次ぐ重要項目と見なしていた。情報戦争における主役としての位置づけである。それに反して、日本側は特にアメリカの暗号解読が不首尾であったために、通信解析(通信のトラフィックを分析することによる情報収集)や捕虜の尋問、それに中立国で入手した新聞、雑誌の分析といった二義的な方法に頼らざる得なかった。

 日本は、アメリカの物量作戦に破れたということがよく言われたが、実情はハードウェアのみならずソフトウェアの面でも、致命的な遅れをとっていたのである。

世界最大の情報機関NSA

 通信情報、電子情報を収集・分析する世界最大の情報機関は、アメリカの国家安全保障局(NSA)である。NSAの活動は厚い秘密のベールに被われている。判明している主たる活動分野は、無線、電話、コンピュータのモデム、ファックスなどの通信を傍受するほかに、レーダーやミサイルの誘導システムから発する電波を監視することも含まれている。

 NSAの中心である中央保安局には二つの任務があって、アメリカ政府の通信機能に暗号を付与して安全を期するのと、他国の暗号を解読することである。つまり暗号に関して防御と攻撃の二つの役割を担っているのである。

現在の暗号

共通鍵暗号

 鍵は当事者同士の共通の約束事であり、送信者と受信者の双方とも暗号化、復号ができるという仕組みであった。つまり双方が同じ鍵を共通に使うという方式である。

公開鍵暗号

 暗号化する鍵と復号する鍵をペアで作っておく。暗号化鍵を公開し、復号鍵をその人の秘密鍵にするのがポイントである。暗号化鍵で作成した文書はペアになっている復号鍵でないと平文には戻せない。暗号化鍵は公開されるが、復号鍵は秘密鍵として保存しておくのである。誰かが秘匿を要する通信文をこちらに送信する場合、公開されている鍵を使って当方にしか読めない暗号文を送ってくるわけである。当方でそれを機密鍵を使って復号するのである。

 現在最もポピュラーな暗号は、共通鍵方式ではDES、公開鍵方式ではRSAである。現在、世界で事実上の標準となっているRSAに取って代わり得る可能性が高いと評価されているのが楕円曲線暗号である。暗号化ではRSAが優り、復号とデジタル署名では楕円曲線暗号が有利な状況にあると伝えられている。RSAは鍵長が大幅に伸びるのが原因で、処理速度が極端に減じるというネックがある。その点を考えると将来的には楕円曲線暗号の法が有望である。

暗号マーケット

 これまでに暗号を必要としてきたのは、主として政府機関、それも情報機関であったが、いまや暗号のマーケットは金融機関、犯罪者、テロリストにも広がった。これはインターネットを使っての通信が多くなったと同時に、暗号の取り扱いが容易になったことにも原因がある。インターネットでの通信にはある程度の危険が伴うものであるが、もはや利用者の拡大はとめようがないのが現状である。サイリング社(金融機関や一般企業に暗号ソフトなどの通信防御設備を供給している会社)の役員であるホワード・モーガン博士は「インターネットで無防備の情報交換をするのは、防具なしのセックスをする以上に危険である」と言ったのであるが、この警告の意味が徐々に社会に浸透して、暗号の有用性に対する意識が高まってきた。