梅花の歌三十二首あわせて序        『万葉集』 巻第五


書き下し文

天平二年正月十三日に帥老(そちのおきな)の宅(いえ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(の)ぶ。

時に、初春の月にして、気淑(よ)く風(やわ)ぐ。

梅は鏡前(きょうぜん)の粉(ふん)を被(ひら)き、蘭は珮後(ばいご)の香(かう)を薫(かを)らす。

しかのみにあらず、曙(あした)の嶺(みね)に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きぬがさ)を傾(かたぶ)く、夕(ゆうへ)の岫(みね)に霧結び、鳥は穀(うすもの)に封(と)ぢられて林を迷(まと)ふ。

庭には新蝶(しんてふ)舞ひ、空に故雁(こがん)帰る。

ここに、天(あめ)を蓋(やね)にし地(つち)を坐(しきゐ)にし、膝を促(ちかづ)け觴(さかづき)を飛ばす。

言(げん)を一室の裏(うち)に忘れ、衿(きん)を煙霞(えんか)の外に開く。

淡然に自(みづか)ら放(ゆる)し、快然に自ら足りぬ。

もし翰苑(かんゑん)にあらずば、何を以(もち)てか情(こころ)をのべむ。

詩に落梅の篇を紀(しる)す、古と今とそれ何か異ならむ。

よろしく園梅を賦(ふ)して、いささかに短詠を成すべし。


(注)
・「蘭」はよい香りの草の総称
・珮(ばい)はじゃこうや香木の類を袋に入れ腰に下げたもの。
・「後」は対句として用いた字。
・翰苑(かんゑん)は文筆の意。
・園梅を賦しては、園の梅を各自に与えられた題として。


大伴旅人(665-731)
大宰府帥(そち)として727年−730年に大宰府に赴任している。
大伴家持(718−785)は旅人の子。
旅人は万葉集に78首選出されている。
家持は万葉集に473首収められており万葉集全体の1割を超える。
歌人としては家持のほうが有名ですが、官位は旅人が従二位、大納言だったのに対して、家持は従三位、中納言でした。




現代語訳

天平二年正月十三日、太宰帥(だざいのそち)大伴旅人卿の邸宅に集まって、宴会をくりひろげる。

折しも、初春正月の良い月で、気は良く風は穏やかである。

梅は鏡の前の白粉(おしろい)のように白く咲き、蘭は匂い袋のように香っている。

そればかりではない、夜明けの峰には雲がさしかかり、松はその雲のベールをまとって蓋(きぬがさ)をさしかけたように見え、夕方の山の頂には霧がかかって、鳥はその霧のとばりに封じこめられて林の中に迷っている。

庭には今年の新しい蝶が舞っており、空には去年の雁が帰って行く。

そこで、天を屋根にし地を席(むしろ)にし、互いに膝を近づけて酒杯(さかずき)をまわす。

一堂の内では言うことばも忘れるほど楽しくなごやかであり、外の大気に向かって心をくつろがせる。

さっぱりとして各自気楽にふるまい、愉快になって満ち足りた思いでいる。

もし文筆によらないでは、どうしてこの心の中を述べ尽くすことができようか。

漢詩に落梅の詩篇が見られるが古も今もどうして立場の違いがあろうか。

ここの庭の梅を題として、ともかくも短歌を作りたまえ。