町田・七国山

 町田に住むイラストレータ沢野ひとしのエッセイ『山の帰り道』で町田の自然についての記述があり5月4日に訪ねることにしました。

歩いたコースは、藤の台バス停→えびね苑→薬師池公園→ボタン園→七国山→鎌倉古道→鎌倉井戸→今井谷戸バス停です。

『山の帰り道』での町田・七国山について記述されている内容は以下の通りです。

「ここが東京なの?」と驚くような緑豊かな自然が町田には息づいている。西の新宿不夜城と言われた町田の奥座敷に七国山がある。128メートルと低い山だがあたりには鬱蒼とした森がひろがり、犬とよくいく散歩コースである。知人の山岳写真家を七国山に案内した時は、東京の別天地だね、里山の雰囲気そのまま」と感動していた。
「緑を大切にしよう」「自然を残そう」といった空気がうずまいている土地である。しかし年々開発が続く宅地造成はじりじりと丘陵地帯を崩しはじめている。多摩丘陵に残された雑木林、畑、谷戸の田んぼは町田の財産でもある。自然との調和をはかるリトマス試験紙のような存在だ。


 中世の道、旧鎌倉街道がいまだに市民に利用されている。源頼朝が幕府を開いて以来、各地から鎌倉につながる道で、徳川家が江戸を政権の中心にするまでおよそ四百年にわたって人馬に踏みしめられた。古道筋には武将にまつわる伝承が残され、我が家の本棚にも「鎌倉街道伝説」のコーナーがつくれるほど本や写真集がそろっている。
 また、鎌倉街道は「すわ鎌倉」「いざ鎌倉」の合言葉で騎馬が馳せ参じる軍路でもあった。最短の距離を走るために直線が多く、坂道や堀切状の道が続いている。
 家の近くに七国山という小高い丘がある。標高128メートルと低いが、多摩丘陵を越えて遠くに起伏する秩父、丹沢の山並みが見渡せる。新宿副都心のビル群も目に入る。七カ国を展望できることから七国山と呼ばれるようになった。その坂の途中にあるのが鎌倉井戸。深さは約4メートルで、今はすっかり涸れ、土と落ち葉でふさがれているが、新田義貞がこの井戸で軍馬に水を与えたと言われている。


 町田市はれっきとした東京都である。都心の南西30キロ、三方が神奈川県に接している細長く緑濃い丘陵地帯に囲まれた街だ。だが都区内の人々にはその実際の姿が知られていない。町田市はもともと神奈川県だった。昭和三十三年に町田町、鶴川村、ほかの二つの村が合併し、東京都の九番目の市として生まれ変わったのだ。


 町田市の郊外、多摩丘陵に住んで三十数年たつが、「やっぱしここが一番和む」と最近はあきらめた境地であたりを散歩している。丘陵地帯を歩くことは足腰の健康にもにもいい、丹沢の山々を眺望できる小高い七国山、民権の森、薬師池公園、町田えびね苑、ひなた村などいつ訪れても気持ちが落ち着き、明日への活力がわいてくる。家の近くに「本町田遺跡公園」がある。この遺跡公園にもよく立ち寄り、原始生活に思いをめぐらす。園内には縄文前期と弥生中期の竪穴住居がそれぞれ復元されている。


 私の家から二十分ほど歩くと薬師池公園がある。薬師池を中心に、梅、桜、藤、花菖蒲、蓮、椿など四季の植物が楽しめる。町田市を代表する憩いの公園である。鬱蒼と繁った雑木林奥に福王寺薬師堂があり、銀杏の大木がのびている。さらに、移築された古民家や水車小屋、茶屋と、たっぷり一時間は汗をかいて散策できる。茶屋の向こうにひっそりと万葉草花苑があるのを長いこと知らなかった。万葉集に詠われた花を中心にした小さな庭園である。花も鳥も万葉集も、見ようとしなければ目にとまらないものであり、ただの風景の一部にしかならない、苑内では、植物の名と万葉の歌、作者が説明板に書き添えられ、人々はうなずきつつ歌を読む。



 七国山周辺を歩いた感想はほぼ本で紹介されている通りでしたが、七国山山頂は雑木林で覆われ展望はありませんでした。ベンチが置かれ清涼飲料の自動販売機がありました。山頂からすこし下ると展望があるようです。

中野区と町田市の比較   2014年4月1日現在
人口
面積
平方キロメートル
人口密度
人/平方キロメートル
中野区 315,003 15.59 20,205
町田市 426,209 71.65 5,948


沢野ひとしの薬師池公園のイラスト 薬師池公園
福王寺薬師堂 薬師池公園の万葉草花苑(オキナグサ 翁草)
オキナグサの説明板
芝付の 御宇良崎なる ねつこ草 相見ずあらば 我恋ひめやも
                       14−3508 作者未詳
 歌意は、芝付の御宇良崎にあるねつこ草のようなあの娘に逢わなければ、
私はこうも恋い慕わなかっただろうに。
薬師池公園から七国山に向かう途中の菜の花畑
鎌倉古道の標識 鎌倉古道
新田義貞が掘ったとされる鎌倉井戸