トキワ荘
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12月15日(日)豊島区南長崎のアパート「トキワ荘」跡地近くに、「豊島区トキワ荘通りお休み処」が開館した。 ここではトキワ荘の記憶を残すとともに、マンガ文化を発信することをめざしています。 トキワ荘は、昭和28年(1953)に手塚治虫が入居。その後も新人漫画家が全国から集まり、最盛期の30年代には藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫らが切磋琢磨し代表作を生み出した。 トキワ荘は漫画家の梁山泊(りょうざんぱく)と説明がありました。 梁山泊:梁山泊は中国山東省西部の梁山のふもとにあった沼の名前で、十二世紀はじめ、宋江らの盗賊が梁山泊に立てこもって起こした反乱を元にした小説が『水滸伝』である。 『水滸伝』は中国の長編物語で、百八人の豪傑たちが活躍する話の舞台が梁山泊であることから、豪傑や英雄、またそれら気取る者や野心家の集まりを梁山泊というようになった。 トキワ荘は豊島区椎名町五丁目(現・南長崎三丁目)にあった木造モルタル二階建てのアパートでした。 建物は昭和57年(1982)に解体されました。 トキワ荘の住人 手塚治虫(1953―1954) 寺田ヒロオ(1953−1957) 藤子・F・不二雄(本名 藤本弘)(1954−1961) 藤子不二雄Ⓐ(本名 我孫子素雄)(1954−1961) 鈴木伸一(1955−1956) 石ノ森章太郎(1956−1961) 赤塚不二夫(1956−1961) 森安なおや(1956−1957) 水野英子(1958) よこたとくお(1958−1961) 通い組 つのだじろう 永田竹丸 長谷邦夫 トキワ荘の生活は藤子不二雄が7年間住んでいたのが最長で、若いときに数年間漫画の修業をして出て行ったようです。 昭和36年(1961)以降、トキワ荘が解体した昭和57年(1982)までの21年間の漫画家の誕生はどうだったのか気になりました。 |
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| トキワ荘のあった街 椎名町 (画/鈴木伸一) |
| 左から写真を撮っているのが鈴木伸一、スケッチブックを持っているつのだじろう、赤塚不二夫、その後ろの寺田ヒロオ、 ニキビの石ノ森章太郎、藤子・F・不二雄(藤本弘)、手塚治虫、藤子不二雄Ⓐ(安孫子素雄)、森安なおや |
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