笹子雁ヶ腹摺山

 2012年3月25日(日)、大菩薩嶺(だいぼさつれい)の前衛の山である笹子雁ヶ腹摺山(1357.7)に登りました。 明治36年(1903)に開通したJR中央本線の全長4652.6mの笹子トンネルの上を横断しました。 登山コースは、中央本線の笹子駅で降りて甲州街道に沿って登山口まで行きます。登山口からは急な登りが笹子雁ヶ腹摺山(1357.7)まで続きます。 笹子雁ヶ腹摺山からは、笹子峠経由で下る道もありますが、今回は米沢山(1357)、お坊山(1430)、大鹿峠、景徳院(田野)を経由して甲斐大和駅に下りました。

 笹子雁ヶ腹摺山から米沢山、お坊山の道はアップダウンのある尾根道で体力を消耗します。 北側斜面は凍結していて、ぬかるんだ道は滑りやすく時間を費やしました。 1000mを超える山では、3月には残雪が残り、転倒しないように慎重に下ります。 お坊山から大鹿峠まで下り、大鹿峠で右に大鹿山の道と分岐し左の鉄塔への登り道を進む。景徳院(田野)までは下り道は鉄塔の巡視路でよく整備された道でした。 景徳院から甲斐大和駅は大菩薩からの舗装道路を下り甲斐大和駅に向かいました。


高尾駅 8時13分発(8時1分発が遅れた) → 9時2分着 笹子駅 9時6分発 → 

9時42分着 登山口 9時46分発 → 11時18分着 笹子雁ヶ腹摺山 11時46分発 → 

13時11分着 米沢山 13時20分発 → 13時59分着 お坊山 14時5分発 → 

14時43分着 大鹿峠 14時47分発 → 15時50分着 景徳院(田野) 15時58分発 → 

16時23分着 甲斐大和駅 16時25分発 → 17時20分着 高尾駅


笹子雁ヶ腹摺山山頂

晴天時には富士山、南アルプス、八ヶ岳、
奥秩父等が展望できる。

笹子雁ヶ腹摺山と米沢山の途中で
見えた富士山

米沢山山頂で枝越しに見えた富士山

残雪の残る北側斜面の道では、
滑って転倒しないように慎重に下る。

景徳院の山門

武田勝頼及び同夫人、子信勝並びに将卒ら
約五十名が自害した地である。

天正三年(1575)織田信長・徳川家康の軍と
長篠に戦い大敗した。
以来勢力回復のため、数年間の間敵を国内に
入れなかったが、ついに天正十年(1582)、
織田、徳川連合軍の国内侵略を許した。
勝頼は小山田重信の意見をもちい、
同年三月三日居城を自らの手で焼き岩殿城に
向かったが、小山田信茂の謀反にあい、やむなく
駒飼から天目山に入ろうとしてならず、
力つき主従田野において最後をとげた。
時に天正十年三月十一日であった。

この時活躍した土屋惣蔵昌恒(つちやそうぞうまさつね)
の名を忘れることはできない。