笹子雁ヶ腹摺山
2012年3月25日(日)、大菩薩嶺(だいぼさつれい)の前衛の山である笹子雁ヶ腹摺山(1357.7)に登りました。
明治36年(1903)に開通したJR中央本線の全長4652.6mの笹子トンネルの上を横断しました。 登山コースは、中央本線の笹子駅で降りて甲州街道に沿って登山口まで行きます。登山口からは急な登りが笹子雁ヶ腹摺山(1357.7)まで続きます。 笹子雁ヶ腹摺山からは、笹子峠経由で下る道もありますが、今回は米沢山(1357)、お坊山(1430)、大鹿峠、景徳院(田野)を経由して甲斐大和駅に下りました。|
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笹子雁ヶ腹摺山山頂 晴天時には富士山、南アルプス、八ヶ岳、 奥秩父等が展望できる。 |
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笹子雁ヶ腹摺山と米沢山の途中で 見えた富士山 |
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米沢山山頂で枝越しに見えた富士山 |
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残雪の残る北側斜面の道では、 滑って転倒しないように慎重に下る。 |
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景徳院の山門 武田勝頼及び同夫人、子信勝並びに将卒ら 約五十名が自害した地である。 天正三年(1575)織田信長・徳川家康の軍と 長篠に戦い大敗した。 以来勢力回復のため、数年間の間敵を国内に 入れなかったが、ついに天正十年(1582)、 織田、徳川連合軍の国内侵略を許した。 勝頼は小山田重信の意見をもちい、 同年三月三日居城を自らの手で焼き岩殿城に 向かったが、小山田信茂の謀反にあい、やむなく 駒飼から天目山に入ろうとしてならず、 力つき主従田野において最後をとげた。 時に天正十年三月十一日であった。 この時活躍した土屋惣蔵昌恒(つちやそうぞうまさつね) の名を忘れることはできない。 |