矢倉岳・金時山

足柄万葉公園からの矢倉岳(870m) 矢倉岳山頂からの金時山(1213m)

 2007年12月15日(土)に箱根の矢倉岳と金時山に行きました。矢倉岳と金時山の途中に足柄峠があり、箱根越えの東海道ができるまでは足柄峠が東国と西国を結ぶ交通の要衝でした。万葉集にも足利峠を歌ったものが数多く収録されており足利万葉公園で歌碑になっていました。

足柄峠は、日本武尊(ヤマトタケル)が東征の帰路、この峠に立ち、弟橘姫(おとたちばなひめ)をしのんで「あずまはや」と叫んだという。以後、東国を「あずま」というようになりました。

更級日記では、寛仁四年(1020年)、父菅原孝標が上総の国司の任期満了に伴い、京へ向かった折、足柄山の山深い様子が描かれている。

足柄山といふは、四五日かねておそろしげに暗がりわたれり。
やうやう入り立つ麓のほどだに、空の気色、はかばかしくも見えず、
えも言わず茂りわたりて、いとおそろしげなり。


コースタイム
新松田825 バス 矢倉沢910 矢倉岳1040 1050 
足柄万葉公園1200 1215 足柄峠1230 金時山1415 1500
金時神社入口 1615

足柄峠から金時山は指導標では、90分、4kmとなっていた。最初の3分の1は車も通る舗装道路を歩く。車止めのゲートがあり、次の3分の1は泥道になるが、車の通ったわだちがあった。最後の3分の1は急な金時山への登りになる。金時山頂の茶屋はこのルートで荷物を上げているようだ。最後の急坂は荷物用のケーブルを使っている。

帰路は、金時神社入口からバスに乗り、仙石案内所で小田原行きに乗り換えて箱根湯元で降りた。
足柄万葉公園の防人の歌

足柄の御坂にして袖振らばいはなる妹はさやに見もかも
   右の一首は埼玉さきたま郡の上丁かみのよぼろ藤原部等母麻呂ともまろ

万葉集 巻二十 4423

大意
足柄山の峠に立って袖を振ったら、家にいる妻ははっきりと見るだろうか。

よぼろ : 21歳から60歳までの男子で、朝廷の役に召し出されたものをいう
足柄万葉公園の東歌の相聞

足柄の御坂かしこみ曇り夜のが下ばえを言出こちでつるかも

万葉集 巻十四 3371

大意
足柄の神の御坂を越えていくとき、峠の神に手向けて恐れかしこまったあまりに、人に秘さねばならない恋人の名までつい告白してしまった。人に言うべきことではないのに。

下ばへ : 心のうちに深くひろがっている秘密の思い 
足柄万葉公園の春の相聞

春さればまづ三枝さきくささきくあれば後にも逢はむ恋ひそ我妹わぎも

万葉集 巻十 1895

大意
春になるとまず咲く三枝さきくさ(みつまた)のように、
今が幸せであるなら、ゆっくり後で逢おう。
そんなにせいてはいけない、我が妹よ。

足柄万葉公園には、みつまたの花芽が咲いていました。



金太郎伝説
金太郎は足柄山で熊と相撲をとり、優しい子供に育った。
天延四年(976年)、足柄峠にで、源頼光と出会い、家来となる。名前を坂田公時と改め、今日にのぼって頼光四天王の一人となる。永祚えいそ二年(990年)に大江山の酒呑童子を退治した。


金時山山頂
残念ながら、富士山の頭は雲の中でした。

金時山山頂からの仙石原と芦ノ湖

金時の宿り石
金太郎母子が住んでいたと伝える「宿り石」という洞窟が、昭和六年二月、突然二つに割れて崩れた。