峰の薬師
南高尾にある峰の薬師を訪ねました。南高尾の三沢峠から津久井湖方面に15分ほど下った所にあります。峰の薬師は、室町時代の明応元年(1492年)に創建されました。武相四大薬師とは、峰の薬師・新井薬師(中野区)・高尾山薬王院・日向(ひなた)薬師(伊勢原市)といわれています。
峰の薬師には富田常雄の小説、「姿三四郎」で 柔道の姿三四郎と唐手(空手)の桧垣鉄心が決闘した舞台になった記念碑が建てられていました。どのような決闘が行われたか気になったので調べてみました。姿三四郎は梅ノ木平から三沢峠を越えて決闘場の峰の薬師に向かいました。以下は、小説の中での決闘の場面の描写です。
(桧垣)鉄心は(姿)三四郎の両手を下げて立った姿勢に千変万化を感じて呼吸を整えた。猛進は許されぬ。
三四郎は傾斜面の、鉄心より高い処にいた。鉄心は三四郎の下に位置している。右側は赤松の幹を区切りに崖である。左へ回って地の利を得るには杉と松の間を大きく迂回しなければならぬ。
そのまま鉄心は二歩先へ出た。
三四郎は三歩退く。
二人の足の下で雪がきしんだ音をたてた。
「おうりゃっ」
鉄心おめいて身を躍らすと、膝まで埋めた雪を煙のようにまきあげて飛蹴りの形で飛び上がった。
顎を狙った両足が、三四郎の胸元をつくと見えたが、三四郎の体は横に流れて一間、大きい赤松の幹の陰に立っていた。そのまま鉄心は二段飛びの格好で三四郎より二間の高所に立った。
高低の位置が一変した。
手わざにせよ、足わざにせよ、唐手にとって絶対有利な体勢である。
鉄心は猫足の型で雪を割って進む。
平安の構え−−−親指を曲げた四本貫き、貫き手の左手を前に、右手は掌を上左肘前に三、四寸のところで回しながら、左足を前に腰を落として肉薄した。
石を砕く貫き手の一閃が、三四郎の眉間に飛ぶ間髪の間である。三四郎は声なく一間、雪を滑って退いた。
突如四辺の雪が煙になったと思えた。
「えいっ」
裂帛(れっぱく)の気合と、雪煙のなかから鉄心は正に飛鳥のように両足を揃えて飛んでいた。
三四郎の顎に向かって飛蹴りの強襲だった。
身を伏せた三四郎の上を風を捲いて飛び去った鉄心の後腰を、雪のなかから泳ぐように抜け出した三四郎の両手が突いた。うつ伏せに伏せて、三四郎の裸絞め防いだ鉄心の左の猿臂(えんぴ)が肋骨に食い込むより先に、三四郎の左手がその臂(ひじ)を殺して、二つの肉塊は雪のなかを横転した。三四郎の両足は鉄心の胴をはさみ、四つの腕を互いに殺し合ってからんだまま、右へ右へと横に転がって行く。
赤松の幹に三四郎の背がぶつかった。下は三丈の崖である。
押されながら、ずるずると赤松の幹に背をすって三四郎と鉄心と一緒に立った。互いの手と手は殺し合っていたが、鉄心は波返しの最後の技があった。股に蹴込むのだ。
生死交差の一瞬に置かれて己の術の正道はなかった。
だが、鉄心は強かに赤松の幹を膝で蹴上げていた。三四郎が半身の力を抜き、両手を払って左に身をひねって飛んでいたのである。
追いすがった鉄心の右の貫き手が三四郎の眉間に閃(ひらめ)いた。
一刹那であった。その手を右腕で受けた三四郎の指は鉄心の襟に食い込み、左手は稽古衣の腕を握って、雪を蹴って右足が閃(ひら)く。
「とうっ」
始めて、三四郎の唇を鋭い気合がもれた。
鉄心は孤を描いて大きく飛んだ。
山嵐だった。
体を円めた鉄心の肉体は崖際の幹を震わしてぶつかると、俯(うつ)向けに雪の中に落ちた。
赤松の幹にぶつかったのは、致命的な一撃であった。
「来いっ」
雪のなかの鉄心はおめいた。声に応じて三四郎は飛び込む。わずかに立った鉄心の貫き手は徒(いたず)らに空を突いて、三四郎の二度目の山嵐は、雪煙りをあげて鉄心の体を三間先の雪にめり込ませた。
「来いっ」
崖際の赤松の幹にすがって立ち上がった鉄心が、苦痛と無念に頬をひきつらせて言った。
蒼ざめた額に髪がまつわり、唇から血を流した彼の形相は三四郎の見る、この世の悪鬼であった。
赤松の幹にすがった鉄心の両手に力が抜け、体が前後に揺いだと思うと、そのまま足を踏みはずして彼の体は雪の谷間へ、一本の棒のように滑り落ちて行った。
姿三四郎 |
作詞 関沢新一 作曲 安藤実親 唄 村田英雄 |
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