高句麗壁画古墳展 

安岳3号墳(4世紀後半)の墓主政治図 安岳3号墳(4世紀後半)の墓主夫人と侍女


江西中墓(6世紀末〜7世紀初)の朱雀(すざく) 江西中墓(6世紀末〜7世紀初)の白虎(びゃっこ)

 2004年7月に朝鮮民主主義人民共和国の「高句麗古墳群」と中国の「高句麗の首都と古墳群」が、同時に世界遺産に登録されました。高句麗壁画古墳展では共同通信社が、世界遺産登録後初めて訪朝し、高句麗古墳群の写真と映像を見ることができました。
 高句麗は紀元前37年に現在の中国遼寧省桓仁市に建国され、その後中国吉林集安(3世紀初頭)、北朝鮮の平譲(427年)と南下しながら遷都を行い、高句麗の領域は5世紀に最大となり、中国東北部から朝鮮半島北部にまで及びました。高句麗は668年に唐と新羅により滅ぼされました。

 世界遺産に登録された高句麗古墳群は、63基の古墳で、そのうちには壁画古墳16基が含まれている。高句麗壁画古墳の最古の安岳3号墳は、4世紀に築かれている。高句麗の古墳壁画は、6世紀に入ると大きな変化を見せる。それは、壁画の題材から墓主の肖像画や、生活風俗図が消滅し、替わって四神図(朱雀、青龍、白虎、玄武)が登場する。

 668年に高句麗は既に滅んでいるが、7世紀末〜8世紀初に築造された高松塚古墳、キトラ古墳の壁画にも高句麗古墳群の壁画の影響が及んでいる。