上野東照宮

拝殿(国宝) 唐門(国宝)
慶安4年(1651)建築。金色殿と言われている。 左甚五郎作の昇り竜、下り竜がある。

 上野東照宮の縁起は、元和2年(1616)2月4日、見舞いの為に駿府城にいた藤堂高虎と天海僧正は、危篤の家康公の病床に呼ばれ神君より三人一処に末永く魂鎮まるところを造って欲しいと遺言をされた。
 そこで藤堂家の屋敷地であるこの上野の山に、寛永4年(1627)に東照宮を造営した。けれど三代将軍家光は、この建物に満足出来ず、慶安4年(1651)、江戸の象徴、金色殿として改築した。

 江戸時代初期、上野動物園の地は藤堂家の屋敷がありました。藤堂高虎は屋敷の隣に寒松院を建立し、藤堂家の菩提寺にしました。高虎は寛永7年(1630)江戸で没し、上野寛永寺山内の寒松院に葬られたが、2代藩主高次のとき、伊勢の津城下に改葬しました。上野という地名は藤堂家の藩領である伊賀上野と同じ丘陵になっていることから付けられたらしい。

 天海僧正は、徳川家康、秀忠、家光のブレーンとして絶大な信頼を得ていた、黒衣の宰相でした。川越の喜多院や下野国の日光山を主宰した。家康の死後、久能山から日光山に改葬して家康に「東照大権現」という神号を贈った。寛永2年(1625)、江戸城鎮護を祈願して上野に比叡山延暦寺を真似た東叡山寛永寺を建立した。

 上野東照宮ぼたん苑の冬ぼたんは、2005年
3月6日まで開苑されています。春のぼたんは、
4月中旬から5月上旬まで開苑される予定です。
ぼたん苑には70種3000株のぼたんがあるそうです。