氷川神社
沼袋氷川神社のまつりが8月24日、25日に行われた。
沼袋氷川神社の由緒は、南北朝時代の正平年間(1346年〜1370年)に村人らが素盞鳴尊の武勇を慕って、大宮氷川神社から勧進したという。大宮氷川神社の由緒ははっきりしないが、伝承によれば第5代孝昭天皇の時代に、出雲の斐伊川の流域にあった出雲大社を勧進するとともに、斐伊川(ヤマタノオロチになぞらえた川)にちなんで「氷川」の社号をつけたという。氷川神社は埼玉県に162社、東京都に59社を数えるのに対して、他の道府県には合わせて7社しかない。古代武蔵では、畿内の大和勢力が浸透してくるのに先立って、出雲族が進入したといわれている。記紀伝承でいえば第13代成務天皇の時代に、兄多毛比命は素盞鳴尊を奉じて出雲から武蔵に移住し、朝廷から正式に武蔵国造として認められた。これで武蔵国は、完全に大和朝廷の勢力下に入ることになった。武蔵国内の統合が進み、大宮氷川神社が国造祭祀の場となった。701年の大宝律令の施行により、政治の中心は国府のある府中(東京都府中市)に移ってゆく。
沼袋氷川神社には、文明9年(1477年)、大田道灌が豊島一族との江古田原・沼袋合戦での戦勝祈願のために植えた一株の杉があり、その後30mの巨樹になり、「道灌杉」と称して親しまれていたが、昭和17年に枯れてしまった。今は、根元だけが残っている。