新発見考古速報展
発掘された日本列島2002
キトラ古墳(奈良県明日香村)
キトラ古墳は直径14mの円墳で、7世紀末頃に作られたとされている。1983年に玄武(北の守護神、亀と蛇)の壁画が発見され、1998年には白虎(西の守護神)、青龍(東の守護神)、天文図が発見されている。2001年3月には朱雀(南の守護神)が発見されている。2001年12月には東壁に獣頭人身像、北・西壁にも図像の痕跡が残っているのを確認した。これらの図像は、中国・朝鮮半島などの類例から十二支像の可能性が指摘されている。 天文図の分析では、北緯38.4度付近での観測という値が出された。これは、高句麗の都・平譲(北緯39.0度)に近いです。 |
青谷上寺地(あおやかみてらち)遺跡(鳥取県青谷町)
青谷上寺地遺跡は、弥生時代中期から古墳時代初頭にかけての遺跡である。この遺跡の一角の弥生時代後期の溝状遺構から5000点を超える大量の人骨が発掘された。この人骨のなかから殺傷痕や銅鏃を伴う110点もの骨みつかった。さらに、三体の頭蓋骨の中には脳が残っていることが確認された。 脳細胞もよく残っており核DNAの検出が鳥取大学で行われている。核DNAの検出されれば、青谷上寺地遺跡の弥生人のルーツを知ることができる。 青谷上寺地遺跡の保存状態がよいのは、低湿地にあり適度な水分があり粘土で大気が遮断され、土中の細菌が酸素を吸収したことで酸欠状態になり腐敗を防いだ。 |
鷹島海底遺跡(長崎県鷹島町)
鷹島は文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)で元軍との戦闘が行われ、弘安の役では元軍の数多くの船が、伊万里湾に暴風雨が原因で沈没したといわれている。その舞台となった鷹島の南岸海域では、多くの元寇に関する遺物が海底から引き上げられてきた。 「てつほう」は直径約14cmで陶器の容器に火薬がつめこまれている。「石弾」は、投石機で飛ばしたらしい。 |