イスラム
アメリカは、イラン、イラク、シリア、リビア、スーダン、キューバ、北朝鮮をテロリスト国家と位置づけている。この中にイスラムは5ヵ国含まれており、イスラムが過激派テロ集団を生み出す背景を調べてみた。
イスラム社会における人口の爆発的増加と、15〜30歳の年齢層で失業している多数存在しているという事実は、イスラム社会の内部でも、非イスラム教徒に対しても、不安定と暴力の自然な供給源となっている。
イスラム社会には核となる国がない。イスラム社会の支配的勢力になりたいと切望している国々、サウジアラビア、イラン、パキスタン、トルコ、インドネシアなどはイスラム世界への影響力を確保しようとして競いあっている。だが、どの国も紛争を全イスラムを代表して調停できるほど強い立場にない。
中東にユダヤ人の故国(イスラエル)を建設するのを西欧が応援したことが、アラブ人とユダヤ人のはてしない敵対関係の原因になっている。
イスラム教徒がイスラム教に希望を見出そうという「イスラムの復興」という動きがある。イスラム教は単なる宗教にとどままらず、生活の道そのものである。それは広範な知的、文化的、社会的運動でありイスラム教徒によるイスラムへの再度の献身を内包している。
ビンラディン
今回のアメリカでのテロの首謀者とされているビンラディンはサウジアラビア出身で推定44歳。行動原理はイデオロギーではなく、「イスラムの復興」であり、政治や社会の腐敗に対する反感だった。アフガン戦争ではソ連と戦い、ソ連という敵がいなくなった後は、米国が唯一の超大国として横暴な政策押し通し、イスラム教徒に過激派、テロリストのらく印を押しているとして、米国が最大の敵となった。ビンラディンが組織したとされる「アルカイダ・アルジバド」の規模は3000〜5000人程度という。信仰のために命を惜しまないイスラム教徒は多い。組織がどれほどの広がりをもつかはつかみきれない。
最近のイスラムでの戦争
1979〜1989年 | アフガン戦争 | ソ連が衛星国の体制を維持しようとして介入して始まった。アメリカが強く反発し、ソ連軍に抵抗するアフガニスタンの反乱軍を組織し、組織援助し、兵器を提供した。この戦争のソ連の敗北は、ソ連帝国が分裂する大きな要因ともなった。アメリカにとっては、冷戦の最後の決定的な勝利となった。 イスラム教徒は、聖戦として戦い、イスラムの自信と勢力が急速に高まることになった。この戦争がイスラム世界に与えた衝撃は1905年に日本がロシアに勝ったときに東洋世界に与えた衝撃にも劣らぬものだった。 西洋は自由世界の勝利と思ったが、イスラム教徒はイスラムの勝利だと考えた。ソ連の敗因としては、アメリカの技術、サウジアラビアの資金、イスラムの膨大な人口と宗教的な熱意に対応できなかったことがあげられる。 |
1990〜1991年 | 湾岸戦争 | はじめはイラクとクウェートの戦争だったが、やがてイラクと西欧の戦争になり、ついには、イスラムと西欧の戦争になった。イスラム教徒の湾岸戦争に対する一般的な見解は、サダムが侵略したのは悪いが、介入した西欧はもっと悪い。サダムが西欧と戦ったのは正しいと考え、イスラム世界の内部での反目は弱まり、イスラム教徒を一体化することになった。 西欧はサダム・フセインを政権から追放できなかったが、湾岸諸国が安全保障を西欧に依存していることを誇示し、軍事力をペルシャ湾に展開することを保障された。 |