照姫まつり
今から524年前の文明9年(1477年)の4月28日に豊島氏の本拠の石神井城が大田道灌に攻められ落城した。4月13日の沼袋・江古田原合戦から15日目の出来事で、豊島泰経やすつねは、夜陰にまぎれて没落し、翌年に平塚城で再挙するが失敗して豊島氏は滅亡する。 史実とは別に、石神井城の落城のときに豊島泰経は金の鞍をのせて三宝寺池に入水し、娘の照姫が後を追ったという落城悲話が伝えられている。この伝説にもとづいて4月22日に照姫まつりが行われ、今年で14回目になる。よろい姿の武者や姫君たちの総勢107名の行列が石神井公園周辺を練り歩いた。 落城の場合、通常大将は討死にか切腹がで、入水は考えられない。また三宝寺池の水深が浅すぎるので入水で死ぬことはできない。この伝説をそのまま信じることはできないが、滅びの美学が人々に感動を与え語り継がれてきたのだろう。 |