湯島聖堂

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ひじり橋から見た湯島聖堂

yushima2.jpg (15344 バイト) JR中央線の御茶ノ水駅から湯島聖堂の白壁の塀が見える。梅の季節で湯島天神を思い出したが、何度か行っているので、湯島聖堂に行くことにした。湯島聖堂は、江戸時代の文京の中心地であり、また近代日本の文京の発祥の地である。元禄3年(1690年)に徳川五代将軍綱吉が上野忍岡にあった孔子廟こうしびょう(孔子の霊を祀った所)を湯島にうつし、官学の府とした。寛政9年(1797年)に昌平坂学問所となり、幕府の学問・教育の総本山となった。明治4年には、文部省と現在上野にある東京国立博物館の前進が置かれた。明治5年に師範学校(筑波大学)、明治23年に女子高等師範学校(御茶ノ水女子大学)がこの地で創立された。

 湯島聖堂と江古田の地がかかわる話がある。幕末に彰義隊が上野の山で破れて四散し、その一部が石神井街道を秩父、飯能方面に逃げ延びたとき、江古田の名主である山崎家に立ち寄り、負傷の手当てをし雑炊を食べさせてもらい、敗走していった。そのとき、武将のひとりが、徳川家再興のときは、必ず持参すべしといって、湯島聖堂にあった水戸の斉昭なりあき筆の軸と刀を置いていったたとのことである。

孔子像