出雲大社と古代日本

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巨木3本を束ねた柱出土 復元した平安時代の出雲大社の本殿

 出雲大社の境内から平安時代後期(11世紀終り〜12世紀)の本殿を支えた柱の根元部分が出土した。直径1mを超える丸太3本を束ねた柱で、9本の柱で本殿を支えていた。平安時代の本殿は高さ48m(16丈)あり、東大寺の大仏殿の46mをしのぐ国内一の高層建築だった。

 12月2日に「出雲大社と古代日本」をテーマに國學院大學でシンポジウムが行われた。日本書紀によると、斉明5年(659年)に斉明天皇の命により、出雲国造により出雲大社の本格的神殿建築が造営されたとなっている。伊勢神宮が東の蝦夷えみしに対し、出雲大社は西の新羅しらぎに対して建てられたと推測されている。天智2年(663年)に日本・百済くだら軍は唐・新羅軍に白村江はくすきのえの戦いで惨敗している。

 高い柱は、天と地を結ぶものの象徴となっている。神殿は稲の穂を刈り取り倉に収め穂倉ほくらと呼んだ。これがやがて祠ほこらになっ 

 その後の調査で、柱は鎌倉時代に建てられたものだとされた。