江古田富士
西部池袋線の江古田駅の北口にある浅間神社に高さ約8m、直径約30mの大きさの通称“江古田富士”と呼ばれる富士塚がある。この富士塚は、全体が富士の溶岩でおおわれている。富士塚は天保10年(1839年)に築かれたものと考えられており、大正12年(1923年)の関東大震災によって損壊したが、その後、復旧工事が行われた。昭和54年に国の重要有形民俗文化財に指定された。
江戸時代の寛政期(18世紀末)から天保年間(19世紀半ば)にかけて民衆の間で富士講が盛んだった。富士講は、信仰の対象として富士山をあがめ、富士山に登ることを目的に結成された組織だ。年ごとに講の代表者として富士登山に参拝するものを選び、必要な経費を講全員で負担していた。代表に選ばれなかったものは、富士塚に登拝すると、実際に富士山にに出かけたのと同じご利益があるとされていた。こういった富士塚が、江戸市中に60ぐらいあったようだ。
富士講は、信仰とレジャーを兼ねた地域の組織だった。