中里貝塚
貝塚の層の厚さは最大4.5mに達する。 | 記念にもらったマガキとハマグリ。 貝塚の構成はマガキが52%、ハマグリが26%、 その他22%になっている。 |
中里貝塚が10月21日〜11月19日まで一般公開されていることを知り見学に行って来た。中里貝塚は、京浜東北線の上中里駅から歩いて10分のところにあり、縄文時代中期〜後期初め(約4600年前〜3900年前)に形成された貝塚だというこです。貝塚の規模は日本最大で、幅100m、長さ500m以上の範囲に広がっていると考えられている。中里貝塚は、貝類の加工を専門に行った水産加工場であると考えられており、膨大な量の貝を付近の集団だけで消費したとは考えにくく、貝類は遠方の集団と交易されたと思われている。中里貝塚は2000年9月に国指定史跡に指定され保存されることが決定している。
温暖化で海面が上昇し海の幸が豊かだった中里海岸のくらしぶりをうかがうことができた。
旧古河庭園
中里貝塚見学の後に旧古河庭園に立ち寄った。明治の時代には陸奥宗光(第二次伊藤博文内閣の外相として条約改正や下関条約締結に貢献)の邸宅だった。その後、宗光の次男が古河財閥の養子になったとき、邸宅も古河家の所有になった。戦後、国へ所有権が移り、地元の要望などをとり入れて、東京都が国から借り受け、一般公開している。庭園は洋風庭園と和風庭園からなり、大正初期の庭園の原型をとどめている。
旧古河庭園を見て山県有朋の邸宅だった椿山荘を思いだした。明治の政治家はこのような広い邸宅に住んでいたからスケールの大きい政治ができたのだろう。