三井家の名宝

 中野区上高田にある三井文庫別館で行われている三井家の名宝展を見てきた。前期(9月15日〜10月22日)は「絵画と書跡」、後期(10月26日〜11月26日)は「茶掛と茶道具・能面・刀剣」と二回に分けて開催されている。 今回は、江戸時代以前の国宝を含む絵画と書跡が31点展示されている。

 三井家代々の富が、中野の地で美術品となって社会に還元されていることを思うと感慨深いものがある。

 

 

三井文庫別館での三井家の名宝展
 延宝元年(1673年)に三井家の始祖三井高利が伊勢松坂から出てきて江戸の本町に呉服店をもった。当時は盆暮れに代金を集計する掛け売りが普通だったが、「現金安売り掛け値なし」の新商法を行い、嫌われて本町から追い出された。近くの駿河町に移ってから両替店をも持つ大商人の道を歩み出した。越後屋は初め4間間口の小さい店であったが、あっという間に店間口は東西36間を超し、駿河町表間口の半分を占めるほどになっていた。両替店は幕府の金銀為替御用を引き受け、幕府財政にも大きく関与した。
 絵の正面には正月の富士山が描かれている。
駿河町越後屋正月風景図
 徳川二代将軍秀忠の末娘和子(14歳)が、後水尾天皇(25歳)に入内する状況を描いた屏風絵である。和子は元和6年(1620年)5月8日江戸城を出発し、5月28日に京都に着き二条城に入り、6月18日女御の宣下があって同日入内するのだが、その儀は盛大を極め空前絶後と人々を驚かせた。
 二条城から御所への行列には武家側は藤堂高虎を総指揮者とし、譜代大名が家来を多数つれて従ったのはもちろんであるが、公家衆も関白九条忠栄ただなから多数これに従っている。
東福門院入内図屏風