汐留遺跡

汐留遺跡現地説明会場 舟入場 土留め

 汐留遺跡現地説明会に行ってきた。汐留遺跡の発掘調査は平成4年からはじまり、9年がたつが、今年度で調査が終了する。汐留遺跡では、江戸時代の大名屋敷跡と明治時代の旧新橋駅の停車場跡が発掘された。大名屋敷跡は、龍野藩脇坂家屋敷跡、仙台藩伊達家屋敷跡、会津藩保科家屋敷跡があった。

 今回の現地説明会では、仙台藩伊達家屋敷跡で発掘された海からの舟の出入りに使用された舟入場、屋敷拡張に伴う埋め立てに使用した土留め施設、上水施設、地震による液状化現象の跡、火災を受けた陶磁器などの展示および説明を受けた。汐留遺跡は低湿地なので漆器、櫛、下駄、樽などの木製品や動物の骨がよい保存状態で見つかっている。一般には、文明開化によって肉食が行われるようになったといわれているが、江戸時代にも大名屋敷では肉食が行われていたとのこと。脇坂家は、かって賎ヶ岳の七本槍(加藤清正・福島正則・加藤嘉明・平野永泰・脇坂安治・糟屋武則・片桐且元)の一人として勇名をはせた脇坂安治の子孫である。脇坂安治は関ヶ原の戦いでは西軍の大谷吉継の配下にいたが、小早川秀秋とともに東軍にねがえった。秀吉配下だった武将で幕末まで残った数少ない大名である。

 この土地は、都心再開発で20棟を超える超高層ビルが平成14年から15年にかけて次々と完成する。オフィスビル、商業ビルに交じって超高層住宅も3棟建てられ、約2千戸の都心住宅になる。