今年はNHKの大河ドラマ「葵徳川三代」を毎週楽しみに見ている。津川雅彦の徳川家康、西田敏行の徳川秀忠の名演技にひきつけられる。従来の時代劇よりくだけた人間性を表に出したところがおもしろい。
徳川家康というと学生時代にたまたまテレビ放送で見た山岡荘八原作の「徳川家康」の一場面が印象に残っている。元服前の徳川家康(北大路欣也)が、今川義元の駿府で人質だったときの鶴姫(扇千影)と亀姫(野添ひとみ)とのロマンスの場面である。後で知ったが、鶴姫は家康の正妻となり築山殿といわれていたが、織田信長に武田との内通が疑われ家康に殺害されることになった悲劇の女性である。
「葵徳川三代」は関が原の戦い以降の家康、秀忠、家光の時代に焦点が当てられている。豊臣秀吉亡き後の豊臣政権崩壊期に当たり、権力の徳川への移行期の人間模様がよくわかる。豊臣政権は右肩上がりの膨張政策によって成り立っていたが、朝鮮出兵の失敗により崩れるべくして崩れたといえる。豊臣の五大老の家臣としての徳川から人心を掌握し徳川政権を確立していった時期にあたり、もっとも徳川家康の本領が発揮された時期だと思う。
あとひとつ気づいたことは、主だった大名は政略結婚の結果姻戚関係にあり、戦国の戦いは親戚同士の争いであったことである。戦国時代に限らず日本の歴史を調べると親戚間での争いが実に多い。生産性の低い農業社会では生産量を増やすためには、土地をめぐる争いになり、親戚間でも生死を賭けた争いになった。また、権力の支配者は血統が重視され、戦さの勝者は権力を維持するために敗者を根絶やしにするのが習いだったことも納得できる。