江戸城
平川門(竹橋) |
天守閣跡 |
大手門(大手町) |
江戸城は徳川氏の居城であり、三代将軍家光の時代に完成した。皇居東御苑が一般公開されており、そこは旧江戸城の本丸、二の丸、三の丸があった場所である。地下鉄東西線の竹橋を出て2、3分で平川門があり、そこから東御苑に入り、東御苑の中の天守閣跡、松の廊下跡、富士見櫓やぐら、百人番所をみて大手門から大手町に出た。東御苑内に残っている壮大な石垣を見て、徳川幕府の当時の大名に対する絶対的な支配力がうかがえた。また、東御苑内は豊かな緑に包まれており四季折々の植物を観賞することができる。
江戸城は、1457年(長禄元年)、太田道潅が約一年間を費やして築城した。その場所は今の本丸の地であって、その当時から更に二百年くらい前、この地に住まっていた豪族江戸氏の居舘の跡であったといわれている。1486年(文明18年)、道潅は主君の上杉定正に謀殺され、やがて道潅の属する扇谷上杉氏の力は衰えていくこととなり、小田原の北条氏の城となる。その後、1590年(天正18年)の秀吉の小田原討伐によって、家康が江戸城に入ったが、当時の江戸城は、今の本丸、二の丸、三の丸の区域であって、構えは小さく、濠も狭かった。
家康は、1603年(慶長8年)江戸幕府を開き、築城に本腰を入れる。1636年(寛永13年)、家康が入府してから約50年後、日本の史上空前の巨城として江戸城大修築は竣工した。中心城郭としては本丸と西の丸のほか、その間に北の丸と吹上とを設けた。城門は外郭に20、内郭に11、城内に80あった。天守閣のほかに櫓やぐらが20あった。
天守閣は、1606年(慶長11年)から2年にわたって建設され完成した。天守閣の基礎石積みは、44メートル四方、高さ18メートルで、その上に金色のシャチを頂く五層の天守がそびえていた。1657年(明暦3年)の大火で焼失した後は、再建されていない。
大手門は、江戸城の正門であった。この門の警備は十万石以上の譜代大名が受持ち、鉄砲30丁、弓10張、長柄槍50筋、持筒2丁、持弓2組の警備があったという。
江戸城天守閣 |