主体なき国家に信頼存するか?
中央執行委員長 森垣秀介


1、何の改革か? 
 戦後五十八年、平和・自由・民主の幻覚を満喫してきたわが国は、今や全く先の見えぬ底無し沼に引き摺り込まれている。嘗てGNPの代名詞であった「右肩上がり」はいまや失業率のそれを示すものとなり、三百五十万失業者が街頭に吐き出されている。国家財政はザル状態。国民一人あたり七百万円、空前の九百兆円国家赤字は事実上の破産だ!これに対し「何とかしなければならない。」「現在の体質を変えねばなぬ。」と誰もが声高に主張し、我こそが「元祖改革者」だと言わんばかりに喧伝する。
 二年弱前、「構造改革」「派閥解消」「自民党をぶっ潰す!」の威勢の良い掛け声で国民を騙し、遂に宰相の座に辿りついた小泉純一郎。自民代議士三代目・根っからの自民党員で元厚相・大派閥森派会長といった典型的守旧派政治屋が一体、何を変えようとするのか?今まで変えるつもりもなかった者が(もし変化する意思があったと主張するなら、結局は力がなかったのではないか!)どうして今までの自らの価値観を否定唾棄できるのか?断じてできるはずがない事は自明の理ではないか!
 さりとて、これにとって代る者なしが、益々政党政治・議会制民主主義に対する疑惑と不信を増長させているのは至極当然であろう。
 しかるに、従来の機構・体質では断じていけない事は誰でも理解できるが、では変化が惹起し得ないその理由は一体何であろうか?
 答えは明確だ!
 変化させる土台たる「主体性」が存在しないからに他ならない!
 主体性とは、即ち、「自ら自身で!見て聞いて考え行動する」ことを言うのであって、国家たればそれあって初めて独立主権が存することになるのである。
 しかるに現在一斉高唱する「変化」の実態は「戦後民主主義の枠の中」「日米安保の庇護の下」「対外攻撃できる武力は断乎持たぬ」等の様々な制約に縛られたものであり、既に変化の選択の余地など殆どありはしないのが事実ではないのか!
 戦後五十八年間、「対米従属・経済一辺倒・国防軽視」の吉田ドクトリンの呪縛を粉砕しないばかりか、いまなおこれを金科玉条の如くしがみついている醜態のどこに「変化」を見出すことができようか!
 米国の対日奴隷化政策によって、政治経済から軍事まで支配されている現状に満足し、尾っぽを振ってアメリカに寄りそう走狗どものどこに主体性が見出せられようか?
 一体どこに自主性が感じられようか?
 戦後民主主義を守れだと?自由・民主主義を促進せよ?平和を守れ?
 まったく笑わせるではないか!
 己自身で構築した価値観を一つも持ちえず、与えられた餌を啄ばむだけの養鶏場の鶏に「自由」があるのか!それが「平和」なのか!
 鞭と餌をもった養鶏場主=米国は、言うことを聞き無邪気にポコポコ卵を生み続ける改良された鶏だけを生かし、主に抵抗する鶏を残酷にも間引きしていく。
 永遠に卵を生みつづける鶏にはもはや、大空で飛翔する姿を想像する脳細胞は一片さえ持ちえていないのだ。せいぜい隣の鶏との間隔を数センチ広げることに「改革」を求めるのだ!
 
 2、戦後わが国に外交なし!
 故に、戦後一貫して主体性を持たなかったわが国には、真の政治政策も経済政策も存在してこなかったのだ!特に、奉天領事館掛けこみ事件、二十四年間なおざりの北鮮拉致事件等、相次いでその無能性が暴露されている外交についてはより顕著であろう。「国連中心外交」「日米友好=日米安保堅持」の二大指針を軸としたわが国の外交政策は、これを見ただけで無為無策が露呈されているではないか!
 「わが国外交には国際戦略が欠落している。」と頻繁に言及される。こんなことは至極当然ではある!何故ならば、戦略を言う前に、先述した如くわが国は自国自身を運営維持させるための力=主体性がまったく欠落しているからに他ならない!
 外交とは、自国の国益を守護発展させる為に外国と交渉することを言うのであろうが、もっと簡潔に言えば、「主体と主体の闘い」「我(が)と我(が)の綱引き」の舞台である。
 ならば、主体を持たぬものは外交の舞台にすら本来上がることができないはずであろう。
現在,外交らしき舞台に上ることができるは、米国の「付き添い犬」として登壇しているに過ぎない。米国の「偉大性」を演出する為だけの単なる飾りにほかならないのだ!現に世界の一触即発の危急時においては、主体性思考能力も抑止力をも持たぬ役立たずの犬に誰が見向きするか?信頼寄せるか?
 戦後世界秩序を無条件に甘受し、頑迷固陋にしがみ付くことのみを「平和」「国際化」と履違えるわが国の外交思考!戦後世界秩序の根底である「日本=永久の敗戦国」価値観を嬉々として受け入れ、驚くことに、自国の卑下卑屈を声高らかに世界に向かって喧伝主張することに陶酔するマゾヒスト!そこに何の衒いも屈辱も感じ得ない鈍磨の極地は、世界の不具者にほかならない!
 尤も、狡猾な外国勢力は日本を見るにつけ、個人破産者にも拘らず要求されるだけ金を貢ぐこの不具者を気味悪がるこそすれ、これを面白がって金を巻き上げるだけ巻き上げているのだ!「戦後補償だ!」「国際平和だ!」「先進国だから!」とのあらゆる恫喝か美辞麗句をしっかりと忘れないで付言している筈だ。
 
 3、主体性もたせぬ策動
 これら至極明確な事象すら目を瞑り、あくまでも戦後日本を「健全自主性」を持ち得ている「自由」「平和」な国家国民と自任する戦後デモクラシー信奉者は、では一体何をどう変化させ、わが国をどこへ持っていこうとするのであろうか?
 無為無策を唯一の政策とする戦後デモクラシーのもたらす結果は、日本金融経済資本の剥奪と支配、先端技術の米国企業の下請化、高い貯蓄率を睨んだ米国の貯金箱化。更には完全な「人・物・金」の支配を統一基準化によって実施する日は刻一刻と近づいているのだ。(尤も為替レートによる借金帳消しを目論み円を残す事は十分考えられる)
 再度言う!経済破綻は間近に迫っている!
 昨年の支那との貿易額が米国のそれを抜いたとされるが、経済システム自体がアメリカナイズされている現状下、対米プランテーション経済の度合いは今後加速度的に増強されるであろう。
 わが国の国家国民を目先の生活苦からアメリカに差し出した吉田ドクトリンに今尚しがみ付く戦後デモクラシー信奉者は、まさにわが国の主体を去勢し続ける害毒であるといっても過言ではないのだ!いまや、あらゆる内外万難を断乎排し、わが国の主体を厳然と屹立主張し得る英雄の登場こそが、現今真っ暗闇の混迷を打破超克する唯一の手段に他ならない!わが国が自力で国家を運営維持し、あらゆる侵略をもこれを決然排する意志と能力を持った時、わが国を覆い尽くした暗黒の雲は霧散し、大空の日輪が燦々と輝くであろう。わが国が真の独立主権国家として決然登場するとき、それは偉大な有色人種の英雄・東亜の光輝の復活を示すものに他ならない!
 「自存自衛」「アジアの解放」そして五百年来白人帝国主義打倒!千年来十字軍粉砕!の錦旗が高く翻り、新文明闘争の大号令が下された時、五十億アジアアフリカ同胞は歓呼でこの英雄を迎えることは断じて間違いのないことであろう!
 人種差別・五百年白人帝国主義打倒!
 対米の走狗・戦後デモクラシー粉砕!

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