日露戦勝の意義
9・5千島・樺太奪還の日
一、自信喪失の日本
 街を徘徊する多くの市民はこの日の意味を意識せず、ひたすら怠惰で狭隘な人生を堂々巡りしている。
 大東亜戦争の正式名称すら使用禁止されている現今、「わが国の軍国主義が引き起こした戦争によって世界中の人々が永遠に被害を被っている」との戦勝国の謀略教育により、戦後、国民は自虐と卑下で汚濁された出自に喘いでいるのだ。
「対米盲従・対支朝鮮屈服・経済幻想・国防軽視」の欺瞞に塗れた戦後日本。
 「自由」「平和」「民主」という麻酔入りの餌を食わされ、牙を抜かれ調教師に従順なサーカスの獣と成り下がった祖国日本。
特に政治においては完全な植民地政治と成り下がる。外国勢力の傀儡政治が跋扈する永田町。立党の精神は一日にして持たず、無節操な離合集散を「政策だ!」としてごまかす茶番劇。
 「多数決原理こそ民主主義だ!」の理念を忠実に守り、自自公連立による数合わせが引き起こした重要法案の矢継ぎ早の成立は、一層、特定教団=創価学会の増長をもたらすこととなった。
 また忠実な米国傀儡政治は、自主性を浮き出さているように見え、実は米国の植民地政府の色合いを一層濃くしているに過ぎない。射撃撃沈・海上船舶臨検等の根本を棚上げにしたまま対米追従を強化する為だけの「周辺事態に関するガイドライン」。国歌の内容やその掲揚斉唱の徹底を曖昧にした「国旗国歌法」。
 最も必要対象である宗教法人を除外した「通信傍受法」。このように、「国防・国旗国歌・治安」といった国家基本問題を政争の具とした妥協の産物に過ぎないのだ。
 私が強調したいのは、重要法案を作成審議する前に、それに値する腹の座った指導者がいるのか?断固祖国の再建の為に責任を一身に負うべく命を堵した政治家がいるのか?ということである。すべては選挙対策であり、すべては私利私欲の保身の産物に過ぎないではないか!
 尤もポツダム議会屋、傀儡政府には己の国家民族に対する強烈な自信も狂信的な愛国心も持ち合わせていないのである。
 本来、わが国の為政者であるならば、誰がなんと言おうと国益最優先であり、国家国民に大ロマンを与えなくてはならないのだ。
 これら戦後腐敗の原因は、須らく日本の「自信喪失」にある。そして国家の自信の源は「偉大な歴史観」=「偉大な己の出自」にほかならない!
 その歴史観が自虐であれば、どうしてわが民族に自信と愛を抱くことができよう。国民に夢を与えることが出来るのか?
いま、あらゆる障害を排し、民族に新たな自信を取り戻さねばならない。いま、偉大な過去を再び国民の前に鮮明に示さねばならないのだ!
 「強い力、勝利」こそ、誰がなんと言おうとも最も偉大な民族の金字塔であることは、古今東西の歴史の摂理である!
然るに、わが国近代に目を転ずれば、近代において初めて横暴な白人に打ち勝った日露戦勝に、それをはっきりと見出さねばならないであろう。

二、白人帝国主義打倒の使命
 日露戦争の勝利は、世界中に驚愕の雷電を叩き落した!五百年間白人の苛烈な鉄鎖に呻吟していたアジア・アフリカの同胞にとって、わが国は燦然と輝く解放者として胸に刻まれた。現に、支那の孫文とトルコのケマルパジャは「日本に学べ」として反白人帝国主義の旗幟を高く掲げ、アジアの自主独立に邁進したのである。ところがこれ以上に日露戦勝に衝撃を受けたのが白人列強であった。まさに「極東の小島」に過ぎなかった日本が、いまや「東洋の英雄」として有色人種の尊敬と期待を一身に受けているのだ。植民地に噴出する「日本に続け」の民族覚醒は、英雄日本の行動に掛かっていることは、もはや紛れもない現象であったのだ。動揺した白人列強は次々と対日謀略を巡らせた。なかでもアメリカは、自国ポーツマスで日露の調停を斡旋するが如きの紳士面を見せ、わが国に多くの親米傀儡をもたらした裏で、ぬけぬけと満州殖民の橋頭堡を築かんとしたのだ。小村寿太郎外相が機敏な判断で、米鉄道王ハリマンの満州での鉄道敷設権を破棄しアメリカのアジア侵略の野望を事前に封じたことはその好例であろう。即ち、満州の権益を巡ってロシアの増長を排除する為、日本に日露戦争という「火中の栗を拾わせた」米は、思いがけない勝利をつかんだ日本を叩く為、近い将来日本を「火中に投げ込む」ため、日露戦争終結直後の西暦一九〇五年に対日侵略計画「オレンジ計画」を発動し、ハワイ・フィリッピンを強固な海軍要塞とし一気に日本を叩く大海軍増強をスタートさせたのだ!
 このように、日露戦争で白人を打ち破り、絶対不動と思われた白人世界支配体制に強烈な一撃を食らわせたわが国は、白人・有色両人種共々から、「白人を打倒する者は日本以外にない!」と確信され、当然にわが国父祖は、その世界史的使命を死に物狂いで実行せんがため、果敢に「自存自衛」「アジアの解放」を掲げ、大東亜戦争で白人侵略主義者を相手に孤軍大反撃したのだ。結果、五百年間殖民からのアジア・アフリカの独立を惹起させたわが国は、今尚世界中の有色同胞から尊敬と、必ず決起してくれると信じて止まない期待を一身に受けていることを断じて忘れてはならない!現今の日本は本来の日本では断じてなく、まさに民族主義に覚醒し強力国家を建設した日本が天賦されているのは、まごうことなき「白人帝国主義打倒の世界史的使命」に他ならない!

三、日露戦争勝利の意義を再考せよ
 白人帝国主義の世界征服の野望を、身を挺して戦い抜いた大東亜戦争は、わが国にとって絶対に譲ることの出来ない生存戦争であった。尤も対英米傀儡勢力の手によって戦わずに屈服する姑息な手段を用いていたならば、わが国は必ず支那よろしく白人列強の分割支配に今尚組み伏されていたであろう。なぜか?全ての動植物の生存摂理は「弱肉強食の原理」が働いているからであり、自存を断固護りぬく力を持った栄光の民族か、さもなくんば、自存自衛すら放擲し他国に身を委ねる卑猥な奴隷民族の道を甘受するかしかないからである。「自存自衛」「アジア解放」の名の下、大日本帝国は世界に栄光の民族魂を知らしめたのである!戦後のエセ歴史家はいう。「米国に戦争をしかけたこと自体間違いであった。」「神州不滅の精神で奢ってしまった結果、自らの戦力を過信した」云々・・と。このような腰抜け評論家には言わせておけばよいのだ!
 民族の歴史には、どうしても避けられないし、避けて後世に禍根を残してはならない時期があ
るのである!「彼我の戦力を鑑みて」決意する以上に、厳粛に「栄光の過去と未来の掛け橋として」命を賭した大使命を全うせねばならない時機があるのだ!
 大東亜戦争とは、このように、天命民族の宿命を担った大反撃戦であったということを改めて認識しなければならない。  そして、その使命を歴史から賦与された契機が、他ならず日露戦争の歴史的勝利であったことを現在において改めて確認しなければならない。わが国は基より有色同胞の対白人コンプレックスの打破、自存自衛の自信。日本こそが白人列強打倒の一人者としての自他共に見とめる契機となった、まさに偉業こそが日露戦勝であったことを改めて認識しなければならない。

四、北方領土は全千島・樺太である
 さて、日露戦争の結果、わが国は全千島・南樺太を堂々と領有することとなり、わが同盟はこの版図を当然のわが領土として主張するものである。ところが、わが国亡国政府は、日露間に存在する領土問題として、北方四島のみの返還を求める愚を犯している。その論拠として、@西暦一八五五年日露通好条約による国境線で北方四島が日本固有の領土として日露間で容認された。A一九五一年サンフランシスコ条約で放棄した千島列島には四島は含まれていない。とするものであるが、このような生半可な対露融和政策では自存自立することは断じて出来ないのだ!我々はこのような傀儡政府の国益放棄を断固糾弾するものであり、我々の当然の主張は「全千島・南樺太」にほかならない!
それは、第一に、日本は一六一三年に樺太を、一六三五年千島列島を既に実効支配している。第二に、ロシアの不法占領の根拠は英米露ヤルタ条約密約であり、国際法上意味をなさない違法行為であること。第三に、千島樺太を放棄したサンフランシスコ条約に旧ソ連(現ロシア)は参加しておらず、未だにそこは未帰属であるが、カイロ宣言の「領土不拡大」「国境不変更」の原則により、わが国に当然に帰属されるべきものである!
更に日露通好条約、交換条約は、幕末維新の動乱期に乗じて強圧ロシアの恫喝に屈服した屈辱条約であり、千島樺太を奪還すべきと主張するが、譲ってもポーツマス条約が日露国境の根拠であることは間違いの無いことである。
神聖なる領土を妥協の道具にする国家は国家の主権も国民も守護できるはずもなく、その堕落した国家運営はかならずや国家みずからを滅亡へと導くことは間違いのない歴史的事象である!故に、我々は断固譲ることの出来ない領土問題を鑑みる時、ポーツマス条約の歴史的意義を再確認しなければならない。ここで、締結の九月五日を「全千島・樺太奪還の日」として領土問題の原点とするとともに、この9・5日露戦勝の日を、民族の自尊心を復興させる意義ある記念日として位置付けねばならない。
 勿論、理不尽な侵略行為には、それに相応する鉄槌を下すことは当然であろう。わが同盟はこれら千島樺太が「話し合い」や「妥協」によって「返還」されるとは思っていない。今尚白人帝国主義に神聖な祖国を占領支配されていることは、断じて許してはならない民族的屈辱であり、わが国歴史の汚点である。領土は常に力で奪還するものであり、「失地回復」の屈辱汚名が、近い将来、必ずや、わが国をして、強力な国家として世界史に登場し、軍事的にロシアの近代侵略史を根こそぎ打倒し、千島樺太のみならず、シベリアから白人ロシアを駆逐するであろうことは、わが天賦された世界史的使命の見地からはっきりと明言しておかねばならない。

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