六十五回目の終戦日における復讐の誓い(平成22年8月15日)

    戦後日本の究極的売国宰相・菅直人を血祭りに上げよ

                 中央執行委員長  森垣 秀介

1、懺悔が祖国を自滅させてきた

また、暑い夏の八月十五日が巡ってきた。

六十五回目の大東亜戦争終戦の日を迎え、まずもってわれわれは大戦に散華された二百五十万英霊に対し哀悼の念を抱くと共に心から感謝を申し上げるものである。
 ところが、所謂「東京裁判史観」に呪縛された戦後わが国の歴代政権およびマスコミは、一貫してこの日を「懺悔の日」と位置づけ、世界に対し謝罪を繰り返している。
 これら売国奴は、これに先立つ八月六日の広島、九日の長崎原爆投下に対しても、被害者としての惨状を訴えることに終始するだけで、空前絶後の大量破壊兵器を使用した張本人に対する糾弾や謝罪要求を一切行なってきた形跡はない。
 まさに本末転倒とはこのことではないか! 
 広島原爆ドームに記されている「二度と過ちは致しません」の表記に代表される、あたかも「すべての戦争の原因と責任はわが国にある」とする自虐的世迷言の延長線上に、現今日本社会の混迷と腐敗が位置していることを明確に認識しなければならない!
 英霊を冒涜、国史を全否定して、占領軍にひれ伏し走狗となってきた裏切り者が、六十五年間、わが国の為政者として君臨してきたこと自体に、大きな間違いがあるのである!
 当時のソ連・支那共産党の傀儡としてわが国に侵食した赤色勢力の末裔が、遂に現民主党赤色政権の中枢に盤きょしていることは、まさに祖国の末期的症状を露呈しているといっても過言ではない!この左翼勢力を即時に粉砕しなければならないことは、当然の理であるが、しかしこの大鉈は、この左翼と腐敗社会を支えてきたもう一方の国賊の頭上にも振り下ろさねばならない!
 すなわち、大東亜戦争の「自尊自衛」「アジア解放」の意義を唾棄するばかりか、昭和二十一年六月の国会において、質問した時の野坂参三・共産党議長さえもが驚いた「正当防衛権さえ否定」する答弁を吐き、そして昭和二十七年日米安保条約締結により祖国をアメリカ軍政下に差し出した戦後最大の売国奴・吉田茂を断じて許す訳にはいかないのである!
 戦前に、その対英米宥和主義により軍部から睨まれた吉田茂は、戦後、GHQから鳩山一郎氏らが公職追放となった隙をついてまんまと政権の座をくすねることに成功したに過ぎぬ。
 米国に魂を売り渡すのと引き換えに保身を図る吉田の「対米追従・国防軽視・経済偏重」の所謂吉田ドクトリンが、「保守本流」の源流としてまかり通るナンセンス!
 これらを鑑みれば、その出発点からして既に、「ボタンを掛け違えている」のである!
 もはや、この恒久的敗戦国家意識を維持している限り、わが国が健全国家として成り立つことができないことをはっきりと認識しなくてはならない!
 さて、この革新・保守の傀儡分子を醸成させ、互いに「対立」を煽る事=すなわち「国内の冷戦」構造によって、米ソ双方の仇敵である日本民族の精神・自覚・矜持をことごとく抹殺してきた。
 代わりに、この売国奴傀儡政権が維持されるがために、宗主国アメリカは、植民地日本に対して根拠の無い虚妄の経済繁栄と物質的快楽を提供したのである。折りしも、西暦一九五〇年に勃発した朝鮮動乱によって、軍需景気に煽られた日本は、米軍の下請け工場と化し、従来からの自給経済体制を放擲し、豊葦原の瑞穂の国の豊饒の大地はズタズタにされたのである。

2、個人主義が祖国の歴史を歪曲する
 更にこの敗戦国価値観を正当化させるためにばら撒かれたのが、戦後デモクラシーという梅毒である。
 「戦前=軍国主義=侵略戦争、戦後=自由主義=平和」の図式がものの見事に描かれ、洗脳されていった。わが国伝来の「家父長制度、長幼の序、和」といった責任体制・役割分担を慣習化してきた共同体社会は、これは侵略戦争に繋がる「全体主義」として否定され、老若男女はそのものの長短所や特徴も一切無視され、一種の共産主義的画一化によって「個人主義」が押し付けられた。
 特に、あらゆる暴力が否定されている偽善社会においては、弱者が強者を凌駕する事態が常識となっている。
 もはやその社会には、強者が弱者を労(いた)わる価値観が薄れ、互いに醜い権利の主張合戦が繰り広げられるだけで、あちこちで多くの禍根を残し、惨劇が噴出している。
 この国家社会を省みない個人至上主義の成れの果てこそ、上は、永田町の党利党略・私利私欲から、末端では「親の子殺し、子の親殺し」「隣人の生死をわれ関せず」式の犬畜生にも劣る惨劇が繰り広げられているおぞましい腐敗社会の出現に他ならない!
 この歪曲化した個人主義こそ、己自身と祖国の歴史を分離してきた元凶である。
 このような結果、次のような非国民の戯言がまかり通るのである。
 すなわち、「大東亜戦争は日本が仕掛けた侵略戦争?」「広島長崎原爆投下は、日本がさっさと降伏しなかったせい?」「日韓併合は韓国朝鮮人を奴隷化した侵略的植民地化である?」
 まさに、このようなデマゴーグがまことしやかに流布されてきた戦後六十五年間。
 わが国の近代史はすべて「侵略戦争へ繋がる軍国主義の道」であるといって憚らない教育が強要され、挙句は「外国によって屈服され、いまだに軍事支配されている祖国こそ平和」であると嘯いている社会が健全であろうはずがないではないか!
 自国を自国民が守ることを放棄し、自国のルールさえ自国民の意思なき社会に規律も発展もあるはずも無い。
 「自由・民主・平和」のデマゴーグに踊らされ続けた結果、実態は手足を?がれた「非自由・非民主・非平和」の青色吐息の死に体日本が横たわっているではないか!
 もはや自主独立を忘れた集団は、国家とは名ばかりの植民地に他ならない!
 現今社会を大東亜聖戦の意義を再認識し、いまだに「自存自衛」「アジアの解放」という聖戦目的を達成できていないことへの深い反省、そして継戦を断念するかのごとき国賊行為に狂奔してきた六十五年間売国政権・マスコミを血祭りに上げなくてはならない!

3、韓国に謝罪する必要なし!
 日韓併合 百年の首相懇話に示された首相・菅直人の稚拙なまでの短絡的歴史観の中に、間違うことなき戦後デモクラシーの実態が余すことなく露呈されているのではないか!
 ボンクラ菅直人は、「植民地支配によって国と文化は奪われ、民族の誇りを深く傷つけられた」として「多大の損害と苦痛」に対する「痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」を表明した。この中には、当時の歴史環境は一切等閑に付され、反日教育の典型たる朝鮮人の立場を代弁した売国奴そのものに他ならない!
 反日教育が国内外で蔓延した唯一無二の理由は、わが国が敗戦からいまだに立ち直っていない弱体国家であることに他ならない。弱体化した相手には容赦しないのが、半島人や支那人の得意とする戦法であることは、過去の歴史を紐解けば一目瞭然であろう。
 しかるに、謝罪を繰り返すことは、日韓友好に有益であるはずは断じてなく、逆にわが国の劣等化による朝鮮人の間違った優越感を増長させるだけで、日韓対立を煽るに過ぎぬものとなるのだ。
 真の日韓友好に不可欠は、偉大な日本の再興以外にはないことを歴史からはっきりと認識しなくてはならない!
 白人帝国主義打倒に燃える東亜の光輝・日本の存在こそ、意図的にでっちあげられてきた反日史観を微塵に粉砕することができるのである!
 更には、謝罪に次ぐ謝罪を嫌と言うほど繰り返し続けてきた戦後六十五年の実態こそ、無為無策と保身に狂奔する傀儡政権の無能の証にほかならない!
 故に、わが国は自覚と自尊そして独立心を去勢され、外国勢力の心身にわたる侵略によって死滅の道にひた走っているのである。
 いまこそ、大東亜戦争継戦の意義を高らかに謳い、白人帝国主義者とその手先となってきた売国奴に対する復讐を貫徹しなくてはならない!
 戦後の代名詞である「謝罪・懺悔」を即刻駆逐し、いまこそ「自尊・復讐」の下、自主独立精神を発揚し、新たな「戦前」としての覚悟をもたねばならない!
 時代は、まさに祖国日本の生死を賭した大転換点に立っているといわねばならない!
 いまこそ、白人帝国主義打倒のわが国の世界史的使命を再認識し、国内にはびこる傀儡分子=戦後デモクラシー信奉者の息の根を止めることが急務となるのだ!


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