1998フランスW杯観戦記
6月10日成田を発ち、機中で日本代表が あの日の丸のユニホ−ムが,W杯の舞台に立つなんて、まだ夢じゃないか 頭の中をいろいろなことが走馬灯のように巡ってくる、初めてサッカ−を見た東京オリンピックのハンガリ−対モロッコ戦 翌年クラマ−氏の提言によって日本リ−グの発足 サッカ−少年だった俺は毎週日本リ−グの試合を見に行ったけ、今でも俺の引き出しの中にある日本リ−グのプログラムは俺の宝物だ、古河電工の川
淵三郎 宮本征勝 桑原隆 長沼健 三菱重工の横山謙三 森孝慈 ヤンマ−の加茂周 釜本邦茂 ネルソン吉村 彼らの現役時代のプレヤ−としての名前が刻まれているじゃないか、そして日本代表がブラジルのパルメイラスに勝った駒沢の奇跡、ア−セナル ボルシアMG 数々の強豪チ−ムとの対戦が頭の中をかすめていく、そして俺の中のサッカ−にたいする思いが最高潮に達したのが、メキシコオリンピック日本代表が銅メダルに輝いたときだ、いつしか俺も日の丸のユニホ−ムを着て代表でプレ−すると心に誓ったもんだ。
メキシコオリンピック以降日本サッカ−も低迷の時期に入る、W杯の予選おろかオリンピック予選も韓国の壁に跳ね返される、そしてもう俺はサッカ−の試合はもう見ないと決めた試合がある、ジャパンカップのちにキリンカップになる、全日本対ミドルスブラの試合だ、当時の代表のメンバ−はおもだっとところで岡田武史 金田喜稔 田嶋幸三 木村和志 田中真二 原博美 水沼貴史 加藤久 そうそうたるメンバ−で強そうに見えるけどこれが弱い弱い試合は4対0で完敗、試合後俺はただ一人愕然と試合後のピッチを見ていたっけ、後ろからサポ−タ−がおまえら日の丸のユニホ−ムが泣いているぞとイレブンに罵声が飛ぶ、あいつらは蹴れない守れないドリブルできない、いくら相手がプロでもたかがプレミアリ−グの下位のチ−ムそれも二軍に近いメンバ−そんな相手に内容的にも完敗だ、下お向いたまま大宮サッカ−場を後にした俺はこの日を最後にスタジアムに足を運ぶことはなくなった。
そして月日が経ちテレビを見ると代表のメンバ−も変わりカズ、ラモス中心にユベントス バスコダガマ トットナムホスパ−相手に互角以上の試合をしているじゃないかそしてJリ−グの発足で俺のサッカ−の虫がうずき毎週スタジアムに足を運ぶようになる、ド−ハの悲劇をえてフランスW杯の予選に突入するのである, 国立が紙吹雪に舞い上がった開幕戦のウズベキスタン戦、悔し涙に暮れた韓国戦、加茂さんが更迭された中央アジア遠征、国立が暴徒化したUAE戦そしてW杯出場を決めたジョホーバルのイラン戦、数々の思い出を胸にしまい6月11日にドゴール空港を降りTGVでトウル−ズに入るのである。
トウルーズ駅を降りるといきなり日本人がやってくる産経新聞の記者だ、チケットもっていますか?もっていると答えると今日本ではチケットが大問題になっていると言う、日本人が沢山集まってくる、もっていない人が多いみたいだチケットはインターネットで購入していたので、たいして気にとめずにホテルを探しに行くのだった。
11日はオ−ストリア対カメル−ンを観戦、ダフ屋からチケットを買うが最初1000フランだったチケットを200フランでゲット、いよいよW杯のスタジアムに足を踏み入れるのである、俺は,子供のころからスタジアムを見ると興奮する癖があるみたいで、もう頭の中は炎のように燃えたぎっていた、スタジアムに入るとなんと席はオ−ストリアサポ−タ−の真ん中じゃないか、元G大阪のエムボマのいるカメル−ンを応援しようと思っていたのに、これはヤバイどっちが点を入れてもただおとなしく試合を見ていようと心に決める、結果は1対1の引き分けだった、生まれて初めて見るW杯、ホテルに帰ってもまだ興奮している14日にはあの日本代表が同じグランドでアルゼンチンと対戦するのである、オ−ストリアのサポ−タ−が話しかけてくる、負け試合をロスタイムで同点にしたのでちょっと上機嫌だ、彼は車でオ−ストリアからフランスに来たらしい、そしてオ−ストリアのチ−ムが負けるまでフランスに滞在するらしい、そして日本戦のチケットが7000フランの値段がついていると言うと、クレイジ−と言い残し次の試合地に旅だった、7000フランも出してサッカーの試合を見るとゆうことは外人から見ると異様に見えるのかも知れない。
トウルーズの街にも日本人サポーター 、アルゼンチンサポーターが溢れてくる、アルゼンチンサポーターはとにかく陽気だ、太鼓 笛 タンバリン等でトウルーズの駅の中をパレードしてしまう、車に乗ればアルゼンチン国旗を振りクラクションを鳴らしながら、日本人を見るとジャポン ジャポンと呼びかけてくる、そして圧巻はキャロット広場での日本対アルゼンチンのサポーターどうしの試合が始まってまったのである、もちろん俺も参加した、彼らは本当にサッカーが好きだと思ったこれは文化の違いか、ホテルで知り合ったアルゼンチンサポーターのジルさん、彼は決勝戦までフランスに滞在するらしい彼は元リバプレートで4年間活躍した選手で、ワールドカップが始まると休暇を取り決勝戦まで観戦するらしい、彼にはいろいろお世話になった、ネットで知り合いフランスで合流した友人のチケットも彼が手配してくれた、日本人がいくら頑張っても手に入らないチケットをいとも簡単に手に入れてくれたのだ。
ホテルのロビーで泣き崩れる日本の女の子達、街で陽気にはしゃいでいるアルゼンチン人、いろいろな人生模様を描きながら日本対アルゼンチン戦のホイッスルは吹かれるのであった。 試合当日は快晴で沢山の日本人がトウルーズのスタジアムに訪れるナイナイの矢部、電撃ネットワーク有名人も見かける、そして俺もトウルーズのスタジアムに再び入るのである、あっという間に終わった90分間今まで見たサッカーの試合でこんな経験はなかった、もう声がでないでも心地よい疲労感が俺を包んでいく、2002年日韓共催W杯を一緒に見ようと誓いジルさんと別れる、サッカーだけであれだけ楽しめるアルゼンチン人、チケットが無くて泣き崩れていた日本人どっちが幸せな国なのか考えさせられる、2002年のことお思いながら成田へと帰路に着くのである。