ラフレシアの罠

「うーん、今年もあの日が近付いてきたか・・・」
昼休みの教室。陣館諭はそうつぶやくと眉間にしわを寄せて考え事を始めた。そのいかにも真剣な表情は周囲に近付き難い雰囲気を漂わせていた。
「どうかしたの?妙に人相悪いけど。」
諭の周囲に張り巡らされた結界をものともせずあっさり近寄ってきた星野翔子はからかうような調子ながらも深刻そうな様子の理由を尋ねてきた。自分に声を掛けたのが誰なのかを認識した諭はその表情に一種の期待のようなものをにじませた。
「ああ、翔子ちゃんか。実は今ちょっと悩んでる事があって。」
諭はそこで一端言葉を切って続けようかどうか迷っている様子だったが、結局続ける決心をした。
「もうすぐ古式さんの誕生日なんだけど、プレゼントを何にするかまだ決まってなくて。何か手がかりになるようなこと知らないかな?」
翔子とゆかりはテニス部で女子ダブルスのパートナー同士で、結構仲もいい。あるいは何か情報が得られるかも知れない。そう考えた諭は思い切って単刀直入に尋ねてみた。
「手がかりねえ。何かあったかなあ・・・」
そう言って考え始めた翔子はすぐに何か思い当たったようだった。
「あ、そういえば・・・でもあれは役に立たないかも。」
「え、何?いいから教えてよ。」
せっかくの心当たりを何故か教えようとしない翔子に食い下がる諭。結局翔子が根負けした。
「ふう、分かった。じゃあ帰りに案内するから。言っておくけどあまり期待しないでよ。」

 放課後、二人は花屋に来ていた。早速翔子が説明を始める。
「あの時ゆかりがいきなり立ち止まってじーっと何か見ているから何かなと思ってそっちを見たら・・・」
そう言って横を向いた翔子の視線の先には巨大な物体が横たわっていた。そしてその近くにある立て看板には・・・
[ラフレシア 1,400,000]
「ひゃくよんじゅうまん?一体どうしろと?いや、その前にラフレシアって輸入してもいいんだっけ?」
そういう諭の意識に一応ゆかりがこれを欲しがるかという疑問が浮かんだが、以前植物園に行った時ウツボカズラをかわいいと言っていたのを思い出すのと入れ替わりに消え去った。
「だから役に立たないって言ったんだけどね。とりあえず今の所心当たりはこれだけ。もし他に気付いたことがあったら知らせるから。」
「ああ、頼むよ。」
諭は店の前で翔子と別れて帰宅の途についたが、その後ずっと巨大な植物の影が脳裏に焼き付いたまま離れなかった。

 何かがいる。
それが何か、一体どこにいるのかは分からなかったが、危険な存在であることは感じられた。息を潜めて様子をうかがうが何も変化は無い。意を決した諭はじりじりと歩を進め始める。向こうに見える明かりの所までたどり着けば助かる。何の根拠もないが何故かそう感じられた。
あと50m。
走り出したくなるのを必死でこらえながら注意深く歩き続ける。
あと10m。
神経が焼き切れそうな緊張に耐えかね、わめき散らしたくなるのをかろうじて押さえ込む。
あと3m。
ゴールが目前に迫った安堵感が不安や恐怖心を一気に消し去る。
あと2m・・・あと1m・・・
目的地が近付くにつれ次第に早足になっていった諭が次の一歩を踏み出した時、そこには下ろした足を支えるものが何も無かった。
「わっ!」
ちょうど人一人がすっぽり入る広さの落とし穴に膝の辺りまで入った諭はしばらく呆然として突っ立っていたが、すぐに気を取り直すと一つため息をついて上がろうとした。しかしその時いきなり穴が狭まり諭の両足をがっちり捕らえた。
「・・・!」
予想もしていなかった事態にパニックに陥った諭は何とか足を引き抜こうと必死にもがくが効果は無く次第にその体は沈んでいった。腿の辺りまで引き込まれて手を着いて下を見て初めて自分がラフレシアに飲み込まれようとしていることに気付く諭。思わず悲鳴を上げようとするがあまりの恐怖にかえって声が出ない。自由の利く両手でなんとか這い出そうとするが、そのままじわじわ引き込まれていくのを止めることはできなかった。ところが突然押さえつけられる感じが無くなり、体が前に進み始めた。そのまま勢いに任せてそこから十分離れるまで這い進んだ諭は力尽きてその場に突っ伏した。しばらくして何とか体力が回復したので立ち上がろうとしたがうまくいかない。何とか仰向けになって向けた視線の先にはあるべきはずのものが無かった。諭の腹から下は消え去り、残された部分も次第に溶け崩れようとしていた。
「・・・」
今日の諭の目覚めは最悪だった。結局あの後翔子から連絡は無く、ゆかりの誕生日は明日に迫っていた。
「あー、ひどい夢だった。それもこれもあのいまいましいラフレシアのせいだ。」
悪夢を見るまで追い詰められた事に対する怒りをその原因と言うべき存在にぶつけながらも他に当てのない諭は放課後になるととりあえず花屋に向かうことにした。
「相変わらず百四十万円か・・・」
もともと自分に手が届く範囲まで値下がりするわけは無かったが、まさに「高嶺の花」である事を再確認した。
「まあこれは最初から無理だと分かってたし。こだわるだけ無駄だな。」
さすがに残された時間が少ないため現実的な対応を考えなくてはいけない。諭の選択はラフレシアのそばにあった手頃な価格の観葉植物の鉢植えを購入することだった。

 「これはまたけっこうなものを・・・」
「・・・え?」
翌日のゆかりの反応は諭の予想外のものだった。ゆかりは基本的に何をもらっても幸せな気分に浸れるある意味うらやましい性格の持ち主だが、諭の経験からいって今のリアクションはプレゼントが非常に気に入った時のものだった。
「このまえおはなやさんにいったとき、ちょうどこんなかんじのかわいらしいはちうえをみつけて、ついみとれてしまいました。」
それを聞いて諭は納得した。あの日ゆかりはラフレシアではなくこの鉢植えを見つめていた。しかしその様子を端から見るとまるでゆかりがラフレシアに見とれているとしか思えない。まああんな物が目の前にあったらそう思ってしまうのも無理はなかった。
(しかしラフレシアが手の届く値段じゃなかったのを感謝しないとな。)
諭がそんなことを考えながら密かに胸をなで下ろしたとき、背後から何者かが声を掛けてきた。もっとも一声聞いただけで諭には誰なのかすぐに分かったが。
「おや。庶民がこんな所で一体何をしているのかね?」
伊集院レイはそう言うと諭の返事を待たず歩み寄って来ると二人の顔とゆかりが手に持つ鉢植えに視線を走らせる。
「ふむふむ。そういえば今日は古式くんの誕生日だったな。さしずめその鉢植えがプレゼントと言ったところか。趣味は悪くないがつましいな。」
よけいなお世話だ。と言い返そうとした諭だったが、レイは口を挟む隙を与えることなく話し続ける。
「そういえば今回珍しい植物を手に入れてね。本来君のような庶民には一生縁のない代物だが、どうしてもと言うなら見せてやらない事もない。」
いつもならまた自慢が始まったと軽く聞き流す所だが、今回は事情が違った。「珍しい植物」という部分が諭にとってはまるで非常ベルの響きのように聞こえた。
「君も名前くらいは聞いたことがあるだろう。ラフレシアと言って・・・おい、待ちたまえ!」
決定的な名前がレイの口から出た時、諭は既にゆかりの手を引いてその場から走り去っていた。
「あいにくだけど・・・」
レイの制止の声を振り切って諭は怒鳴り返した。
「ラフレシアだけは当分ごめんだね!」

後書き
 ネタが浮かばず半年ほど休止状態でしたが、HPの趣旨からいってこの日だけはすっぽかす訳にはいきません。それでも基本的な話を思いついたのが二日前。かなりぎりぎりの状況でなんとか形にできました。