「幻の少女」
広い草原に座って夜空を眺めていた。
空一杯に広がって瞬く星がとてもきれいだった。
こんなきれいな星空はいつまで眺めていても飽きない。
「きれいね。」
ふと聞こえてきた声にそちらを向くと幼い女の子が星を見上げていた。
誰だっけ?思い出せない。
でも一つだけ覚えている。
僕はこの子が好きなんだ。
あの子がこちらに振り向いた。
顔はよく見えないけど、こっちを向いてうれしそうに笑っている。
それを見てうれしくなった僕もつられて笑った。
・・・・・・・・・・・・・
諭は目覚めたばかりでまだぼんやりした頭で最近よく見る夢のことを考えていた。
「誰だっけなあ、あの子。本気で思い出せないや。確かにあんな事があったような気はするんだけどなあ。」
結局記憶を呼び覚ますことはできず、すっきりしない気分のまま起きあがった。
「こうなったのもあの日からなんだよな・・・。」
ゆかりをプラネタリウムに誘った諭は「待ち合わせの相手に気付かず隣で待っている」という大技を見せられた前回の経験に基づき辺りを油断無く見回しながらゆかりの到着を待った。約束の時間の少し前にゆかりが現れた。諭は先手を打って声をかける。諭に気付いたゆかりがすまなそうに口を開く。
「もうしわけございません。いそいであるいたのですけれども・・・」
「え?ああ、大丈夫。ぎりぎり間に合ったよ。」
「そうですか?それはよかったですねえ。」
いかにもほっとした様子のゆかりを見てついおかしくなった諭は笑いながらゆかりを促した。
「じゃあ、そろそろ入ろうか。」
「はい、そういたしましょう。」
ゆかりも笑顔で答えて二人は建物に入って行った。
真っ暗なドームの内壁に光の点が浮かび、静かなBGMをバックにナレーションが流れる。
(へえ、あれが琴座か。知らなかったなあ。)
説明を受けて感心する諭。
(なかなかためになるね。でもやっぱり本物の星空には負けるかなあ。)
そこまで考えて諭はふと長い間星空を見上げていないことに気付いた。
(子供の頃はよく見てたのに。いつ頃からだろう・・・?)
諭は夜空を見なくなった時期やきっかけを思い出そうとしたが、何故か記憶を呼び覚ますことはかなわなかった。その代わりに何とも表現しようの無い不快な感覚に襲われる。諭はたまらずその事について考えるのを止めた。
「どうかなされたのですか?」
ゆかりが耳元でささやく。その声には心配そうな響きが含まれていた。動揺が表に出てゆかりに気付かれたらしい。
「あ、大したことじゃないよ。ちょっと首が疲れただけだから。」
諭は小声で答えると筋肉をほぐすように首を回して見せた。
「そうですか。」
当然諭に体調の悪そうな様子は見られない。ゆかりは再び半球の上に再現された星空に目を移した。座席周辺は暗闇なのでゆかりの表情は伺い知れない。
「ほしをみていると、こころがなごみますねえ。」
独り言のようなゆかりのつぶやきに返事を返す諭。
「そうだね。でも本物はもっと良いよ。」
僅かな間をおいて諭の言葉が続く。
「今度、見に行こうか?」
ゆかりのシルエットがこちらを振り向き、三つ編みが跳ね上がる。
「ほんとうですか?」
声が出る前に若干の時間差があったのは声が大きくならないように押さえたためだろう。
「あー、でもよるにそとへでるのをおとうさまがゆるしてくださるでしょうか。かぞくそろってならばよろしいのではないかとおもいますけれど・・・」
ゆかりはそこで諭の様子がおかしいのに気付いた。まるで諭だけが時の流れから取り残されたようにぴくりとも動かない。
「あのー、つらだてさん?」
壊れ物に触れるような調子で恐る恐る声をかけるゆかり。その声によって呪縛を解かれた諭の時が再び動き出す。
「あ、ご、ごめん。えーと、何だったかな?」
「ぐあいがわるいのならえんりょなくおっしゃってくださいね。わたくしはかまいませんから。」
「いや、大丈夫。本当、大したことないから。」
そう言って再び天球に顔を向けた諭だったが、その意識はすでに人工の星に向けられてはいなかった。満天の星空の下こちらを振り向く三つ編みの少女。この情景を以前に見たことがある。しかしその顔は黒いカーテンの下に隠されていた。
(一体誰なんだ?何故思い出せない?)
現時点では諭の疑問が解決される可能性は皆無と言って良かった。
「ごめん、今日は嫌な思いさせちゃったね。」
プラネタリウムを出てから諭はゆかりに謝った。
「いいえ、じゅうぶんたのしませていただきました。ありがとうございます。」
ゆかりは笑顔で答えたがすぐに表情が曇る。
「そんなことよりおからだはだいじょうぶですか?あまりむりをなさらないでくださいね。」
「うん、その辺は問題ないから。本当にごめん。」
「それならばよろしいのですが。ではわたくしはこれでしつれいいたします。」
一礼して立ち去ろうとするゆかり。諭は思わずその背中に声をかけていた。
「古式さん!」
「はい、なんでしょう。」
「ひょっとして、俺達子供の頃に会った事無いかな?」
突拍子もない諭の問いに記憶の糸をたぐるゆかり。
「ええと・・・そのようなおぼえはございませんねえ。」
「じゃあ、その髪型はずっと前から?」
「いいえ、しょうがっこうのなかごろからですよ。」
ではあれはゆかりではない。あの少女はおそらくあの時点ではまだ小学校に入っていない。
「そうだったんだ。ちょっと気になったんでね。ありがとう、じゃあまた。」
ゆかりと別れてからも諭はあの少女の正体について考え続けたが結論は出ずじまいだった。
(もしかしたら詩織?いや、違うな。あいつは子供の頃から同じ髪型だった。まああのころはヘアバンドじゃなくてリボンだったよな。)
いくら考えても分からないのであきらめようとしたのだが、その夜から諭は同じ夢に悩まされるようになった。
「しかし気になるなあ。一体誰なんだろ?」
夢のおかげで早く目が覚めてしまい、家にいても仕方ないのでさっさと登校することにした諭は改めて夢の中の少女について何か記憶を呼び覚ませないかと試みてみたが結局上手くいかない。そのうちに不慣れな早起きの反動で大口を開けてあくびをする。途端にばん!と背中を叩かれ思い切りむせる諭。
「道の真ん中で突っ立って大あくびしてるんじゃないの!情けないわねえ。」
詩織はそう言って笑いながら諭の顔をのぞき込む。
「ああ、苦しかった。いきなりこういう事するのは止めろよな。」
「んー、ちょっと強かったかな?次はもうちょい手加減するね。」
「あのなあ・・・」
絶句する諭にお構いなしと言った感じで詩織が次の話題に移る。
「でも珍しいね、諭が早起きするなんて。私傘持って来て無いんだ、どうしようかなあ。」
「何だよそれ。俺が早起きすると大雨でも降るってのか?」
「え?誰も大雨なんて言ってないよ。何でそんな事思ったのかな?」
詩織のからかうような眼差しが諭に向けられる。無言でそっぽを向く諭。
「あ、ちょっとやりすぎちゃったかな。ごめんごめん、そんなに拗ねないで。」
諭が機嫌を悪くしたのを見てなだめにかかる詩織。
「でも本当に珍しいよね。何かあったの?」
「ん、いや、ちょっと変な夢見てさ。それで早く目が覚めちまったんだ。」
「へえ、どんな夢?」
諭は何気なく夢の内容を詩織に話そうとしたが、あの不快な感覚に襲われる。思わず顔をしかめる諭。
「ねえ、どうしたの?いきなりしかめっ面なんかして。何か気分悪そうだけど・・・」
「いや、何でもない。ただ夢の内容が思い出せないんだ。どんな夢だっけなあ。」
諭の様子を見て詩織が心配そうに話しかける。咄嗟にごまかす諭。
「ああ、そう言うことあるよね。今朝見た夢が気になるんだけどどうしても思い出せないっての。ま、どうせ大した事じゃないからさっさと忘れた方がいいんじゃないかな。」
「そうだな。じゃ、そうするか。」
「じゃ、この話はここで終わり。さ、行こ!」
詩織と並んで歩き出す諭。一旦はごまかしたものの、あの少女について詩織に尋ねてみようかという考えがその心中に浮かんでいた。幼なじみの詩織にも少女と何らかの接点がある可能性は十分にある。諭はどうしたものか暫く悩んでいたが、とりあえず今回は見合わせることにした。
(ちょっと時期が悪いよな。今は古式さんに集中しなさい、とか説教されそうだ。)
「諭、何ぼーっとしてるの?足が止まってるわよ。」
気がつくと腰に手を当ててあきれ顔でこちらを見ている詩織とは結構距離が空いている。
「あれ?いつの間に・・・」
「もう、しっかりしてよ。」
諭は頭を掻きながら詩織に追いつくために足を早めた。