Kanon外伝〜天野・ぴろ編(1)

 (おかしいなあ、誰も居ないや。)
ぼくの家に住み着いていた人間たちがいきなり居なくなった。どの部屋を見ても人気が無いし、ごちゃごちゃと置いてあった物もきれいさっぱり無くなっている。どうやらここから出ていったらしい。まあ向こうにも都合というものがあるだろうし、そのこと自体は何とも思わなかった。ただ、ここに彼らが居たから今まで食事にありつけたのだから、次の当てを何とかしなくてはならなかった。とりあえずいつまでもここにいても仕方ないので無人の家を後にする。外に出てすぐの地面に黒くて平べったい物が落ちていた。人間がこれを「サイフ」と呼んで大切にしていたのを思い出したので何か役に立つかも知れないと思い、持って行くことにした。

 これと言った見込みも無いまま町をほっつき歩いてみたが、やはりこんなやり方では成果は得られなかった。それどころか嫌と言うほど人間に追っかけられた。多分ぼくの財布を横取りしようと狙ってきたのだろう。そんなことを繰り返している内に気が付くと見慣れない丘にたどり着いていた。こんな所に長居しても時間の無駄なのでさっさと立ち去ろうと思ったのだが、どうもここが気になって仕方ないので一通り回ってみることにした。丘の外側をぐるっと回り始めたが特に変わったところはない。半分ほど回ってもう止めようかと思ったところで、向こうに何か転がっているのに気付いた。行ってみるとそれは人間の女の子だった。においをかいでみる。別に変わった感じはない。顔をなめてみる。反応は無い。しばらく待ってみたが起き出す様子はないので町の方へ戻ることにした。途中でサイフを置いてきたことを思い出したが、取りに帰るのも面倒なので放っておくことにした。

 (ああ、お腹空いたなあ。)
あれから何日経っただろう。時々家をのぞきに行ってみるが、まだ誰も住み着く気配がない。もっとももし誰か来たとしても仲良くできるとは限らないのであまり当てにはできない。一応食べ物を分けてくれる家も何軒か見つけたが、必ずというわけではないので当てが外れることもある。まさに今日がそれだった。こういうついていない時は下手に動き回っても無駄なことが多い。それに暗くなるまで待ってからもう一度回ればもしかしたらいい結果が出るかも知れない。そう考えたぼくは道ばたに寝そべって休むことにした。

 むぎゅ。
「あれ?何か踏んだ・・・」
何かがのしかかる感触で目を覚ましたぼくは声のした方を見上げた。何か珍しい物でも見るような目つきでこちらを見ていたのはこの前丘で眠っていた女の子だった。隣にいた男があきれたように声を掛けると女の子は口をとがらせて言い返している。その間にぼくは起きあがって大きく伸びをした。いいところに来てくれた。この子にはこの前の借りを返してもらおう。人間が後生大事にするようなものをあげたのだからそれなりの見返りがあって当然だろう。ぼくは話を終えて歩き出した二人の後について行った。しばらく歩いてからぼくに気付いた女の子が驚いたような声を上げる。ぼくはその足下に歩み寄って体をすり寄せる。頭の上で二言三言会話が交わされた後男が僕を抱え上げると女の子に押しつけた。女の子は初めの内気が進まない様子だったが、「肉まん」と聞くとぱっと顔を輝かせてぼくを受け取った。そしてそのままぼくを頭の上に乗せる。こう言うことをされるのは初めてで少しとまどったが、なかなか居心地がいい。この場所が気に入ったぼくはこの状態のまま二人について行くことにした。やがて商店街にたどり着く。それまでの会話から女の子の名前が真琴で男の方は祐一だと分かった。祐一が一軒の店に向かい、湯気が出ている温かそうな物が入った袋を持って戻ってきた。待ちかねたように真琴が受け取ったところを見るとこれが「肉まん」なんだろう。二言、三言交わした後祐一が袋の中身を一つ取り出すと真琴が悲しそうな声を上げた。すぐに祐一が話しかけてきて受け答えしていたと思ったら素っ頓狂な声を上げる。とても騒がしい子だ。少しあきれながら様子を見ていると、真琴は袋から取り出した肉まんをゆっくりこちらに近付けてきた。ぼくはどうしようか少しだけ迷ったが、祐一は平然とぱくついているから害は無さそうだ。お腹も空いているしくれる物はもらっておこう。そう決めたぼくは差し出された肉まんをくわえると食べやすいように地面に降りた。早速戦利品にかぶりつく。なかなかいける、気に入った。真琴が顔を近付けて何かわめき立てているが、多分いつものことなんだろうと思い放って置いた。間もなく祐一になだめられた真琴は渋々と言った感じでおとなしくなった。腹ごなしが終わったぼくたちは歩道橋の上から車の流れを眺めていた。すっかり満足したぼくを両手で抱えていた真琴の声が耳に入る。
「動物なんて、結局要らなくなったらポイって。」
それを聞いてぼくは一緒に暮らしていた人間たちのことを考えた。でも結構日にちが経っていることもあってかあまりよく思い出せない。だいたいいつ頃からあそこにいたんだっけ?そんなことを考えていると突然ぼくをつかんでいた手の感触が消え、気がついたら軽トラックの荷台の上に立っていた。何が起こったのか分からず、ぼくはひたすら遠ざかる真琴に向かって叫び続けた。

 信号待ちで止まった軽トラの荷台から飛び降りたぼくは辺りを見回して途方に暮れた。
(まいったな、どこだかわかんないや。)
今までこんな所に来たことがない。まあ慣れればここで暮らしていけるかも知れないが、やっぱり勝手知った町の方がいいに決まっている。ぼくは何か元の場所に戻る方法はないかと思ってもう一度自分の周りをぐるりと見渡した。
あった。
遠くの方にぽつんと見える丘。あそこを目指して行けば何とかなる。目的地を見つけだした事で力付けられたぼくはそこへ向かって歩き始めた。時々手近な家の屋根に登って方向を確かめる。少しずつ、けれど確実にぼくは懐かしい場所に近付いていった。結局丘の上にたどり着いたのは次の日の明け方だった。さすがにへとへとになったぼくは一眠りすることにした。

 「あ、いた!よかったあ。」
目を覚ました時は既に昼過ぎだった。とりあえずこれからどうしようか考えているとどこかで聞いた覚えのある声に続いてどたどたという足音が近付いてくる。顔を上げてそちらを見ると真琴がこちらめがけて一目散に走ってきていた。僕のそばまで来て立ち止まり、しばらく肩で息をしていたが、呼吸が落ち着くとなんだか決まりが悪そうな表情をして話し始めた。
「あのね、わたしはああした方がいいと思ったんだけど、祐一は酷い事するって怒るのよ。キミはどう思う?」
一息にそこまで言ってから少し間を空けて、真琴はため息をついた。
「こんな事言っても分かる訳無いか。はあ・・・、これからどうしようかなあ。もうあの家には戻れないし。」
そう言ってその場に座り込んだ真琴は膝を抱えて爪先の更に前方に広がる町並みに視線を落とした。ぼくはその隣に丸くなってうずくまる。そのまましばらくそこにじっとしていたが、不意に真琴が立ち上がった。
「お腹空いたなあ・・・。ちょっとここで待っててね。」
そう言うと来た道を一目散に走り去っていった。ぼくはしばらく言われた通りに待っていたがやがてそれにも飽きてその辺を見て回ることにした。その内ぼくは不思議な感覚にとらわれ、この丘を歩き回っているうちに、以前もこんなことがあったような気がしてきた。たしかに真琴と会った時に一度来ているがそれだけではないような・・・。しかしいくら思い出そうとしても無駄なことだった。結局気のせいなんだろうと思うことにしてさっきの場所に戻ることにした。待ち合わせの場所に着く頃には辺りはすっかり暗くなっていた。先に着いて座り込んで待っている真琴を見つけたぼくは声を掛けて足下に寄っていった。真琴はなんだか困っているような苦笑いをしてなにかつぶやいていたが、もっと近寄るように言ってきた。ぼくは真琴の望み通りその膝に飛び乗る。すると目の前に何かが突き出された。これは確か肉まんと呼ばれていた物だ。お腹が空いていたぼくはすぐさまそれにかぶりついた。食事の間真琴がぼくに話しかけていたみたいだけどあいにくそれに耳を傾ける余裕はなかった。腹ごなしも終わって一息ついているとふたたび真琴が手招きをする。もう眠ろうという事らしい。確かに眠る時は体を寄せ合った方が温かいからぼくに異存は無かった。でも人間は普通家で眠るのにどうして真琴は外で寝たがるんだろう?よほどこの場所が気に入って居るんだろうか。すぐに寝息をたて始めた真琴の横でそんなことを考えていると誰かが近付いてきた。よくみるとそれは祐一で、真琴に声を掛けていたが反応がないとみるとそのまま真琴の体を抱え上げた。そして真琴の寝顔に向かって何かささやきながらその場を立ち去り掛けたが、振り向くとぼくに声を掛けてきた。
「おまえも来いよ。さんざん探し回らせておいてほったらかしじゃ真琴の奴に何言われるか分かったもんじゃない。」
もちろんぼくにその申し出を断るつもりは無かった。どうやら新しいねぐらにありつけそうだ。ぼくは一声あげて了解の意思表示をすると祐一の後を追って歩き出した。