勘違い、果てし無く

 古式ゆかりと伊集院レイはレイの部屋で恒例のお茶会を開いていた。レイにとって幼なじみで自分の本当の姿を知っているゆかりは唯一自然に接することのできる相手であり、それによって心の安らぎを得ている面もあった。もっともゆかりがうっかり誰かに秘密をばらしそうになって冷や冷やする事があるのが頭痛の種ではあったが。その辺りの事情を知ってか知らずかゆかりは嬉しそうにテーブルの上に用意されたケーキやクッキー等をゆっくり味わっていた。
「いじゅういんさんのつくられたおかしは、ほんとうにおいしいですねえ。」
「そう?よかった。自分でも割とうまくできたと思うけど、気に入ってくれて嬉しいわ。たくさん食べてね。」
表向き男のふりをしなくてはならない反動からか、レイの菓子作りは趣味の域を完全に超えていた。何も知らない相手に食べさせたら間違いなく一流の職人が作った物と信じて疑わないだろう。
「でも・・・」
ゆかりが何か言いかけて考え込む。ゆかりのペースをよく心得ているレイは続きを待たずにケーキを口に運ぶ。
「ちかごろはまえにもましておいしくなってきていますねえ。なにかいいことでもあったのでしょうか?」
かちゃんっ。
フォークを皿に戻そうとしていたレイは手元を狂わせて音を立てた。不思議そうに自分の方を見るゆかりに対して、レイは顔を赤らめながら弁解した。
「なんでもないの。少し手が滑っただけ。」
そして何事も無かったかのようにお茶会は続いたが、しばらくしてレイが感慨深げに口を開いた。
「ゆかりちゃんが居てくれて本当に良かった。お菓子作っても一緒に食べてくれる人が居なかったら寂しいもの。」
「そうですねえ。ひとりでたべるよりこうしてふたりでたべたほうがたのしいですからねえ。」
ゆかりはそう相づちを打って、少し間をおいてから続けた。
「でも、おおぜいだともっとたのしいでしょうねえ。」
「そうね。でも今はまだ駄目。楽しすぎて男のふりをすることを忘れてしまいそうだから。」
そう言ったレイの表情は暗く沈んだものだったが、すぐにそれを振り払うように付け加えた。
「でも、それももうしばらくの辛抱。卒業したら何の気兼ねもなく普通の生活ができるようになるわ。その時は他の人たちも誘ってにぎやかに行きましょうね。」
「それはたのしそうですねえ。いじゅういんさんのおともだちのかがみさんとそのおともだちのみなさん、わたくしのおともだちのあさひなさんとそのおともだちのさおとめさん、そのおともだちのつらだてさん・・・」
かちゃんっ。
陣館諭の名前が出たところで妙な音がした。ゆかりがそちらの方を見るとレイが皿の上で横倒しになったティーカップを前にして固まっていた。間もなく我に返ったレイは真っ赤になって場を取り繕うべく弁明を始めた。
「ご、ごめんなさい。驚かせちゃった?カップを戻そうとして手元が狂ったの。」
そう言いながら未だに怪しい手つきでカップを置き直すレイを見つめていたゆかりが口を開いた。
「あのー、もしかしたらおからだのぐあいでも・・・」
「ううん、全っ然。この世の中に私しか居なかったら医療関係の仕事は絶対成り立たないわ。」
「そうですか?ならばよろしいのですが・・・。」
言っていること自体はむちゃくちゃだが何が言いたいかは分かるレイの返答を聞いてゆかりが納得したためとりあえず話はそこまでとなった。ちょうどその時レイの携帯から呼び出し音が響く。
「あ、ちょっと失礼するね。」
ゆかりに断って電話に出たレイの声は今までとはがらっと変わって普段人前で出しているものになっていた。
「伊集院だが。」
相手の声を聞いた途端にレイの表情がぱっと輝く。
「いい加減、君もしつこいな。これも僕の素晴らしさ故か・・・仕方のないことだな。」
口調はうんざりしたと言った感じを装ってはいたが、その表情は明らかに内心の喜びを表していた。もったいぶって嫌みったらしく、しかしながらうきうきと会話を楽しむ様は何か倒錯した雰囲気といくらかの哀れさをにじませていたが、レイにとっては内容はどうでもよく、とにかく話ができること自体が幸せらしかった。
「それじゃ、今建造中の自家用スペースコロニーの話でも・・・おい、待ちたまえ!」
レイはしばらく名残惜しそうに携帯を見つめていたが、ため息をついて片付けるとゆかりの方に向き直った。
「ごめんね。終わったわ。」
「いったい、どなたからだったのでしょう?」
ゆかりは何か意図があって尋ねたわけではないが、レイの反応はかなり派手な物だった。
「え?う、うーん、その、あのね、つ、陣館君・・・なの・・・」
「まあ、そうですか。それはまためずらしいかたからおでんわいただきましたね。」
ゆかりにそう言われてレイはとまどったような表情を浮かべる。
「ううん、実はそうじゃないの。陣館君、結構よく電話を掛けてくるのよ。少し話しただけで切っちゃうんだけど。」
「そうですか・・・」
ゆかりはレイの話を聞いて何事か考え始めたが、レイは心ここにあらずと言った感じてそれに気付かない。
「やはり、ごほんにんにおたずねするしかありませんね。」
「え、何?何か言った?」
ゆかりのつぶやきで我に返ったレイが慌てて聞き返すが、ゆかりはにこにこ笑いながら首を横に振る。
「いいえ。たいしたことではございません。さあ、つづけましょう。」
ゆかりの言葉をきっかけにそれまでの事はひとまず終わりにして再び静かなひとときが始まった。一方そのころ陣館家では受話器を戻した電話の前で諭が邪悪な笑みを浮かべていた。
「くくく・・・順調だ。自慢話の好きな奴の事だから繰り返し電話を掛ければその内我慢できなくなると思っていたが、まんまと引っかかりおったわ。」
まるで一昔前の悪役のようなつぶやきを漏らしながら自室へ向かう諭。
「見ていろよ、伊集院。これからも先に電話を切ってやる。存分に地獄の苦しみを味わうがいい。フ・・・フフ・・・ハーッハハハ!」
勝利を確信した諭の高笑いはしばらく止む事はなかった。

 翌日、ゆかりは校門前で諭が来るのを待っていた。休みの度に電話を掛けて来るというのはゆかりにも妙な行動だと思えたが、なぜそんな事をするのかいくら考えても見当も付かないので、レイに代わってその真意を
尋ねてみようと思い立ち、早速実行に移すことにした。
「あ、いらっしゃいましたね。それでは・・・」
諭が近付いて来るのを待ちながらゆかりは「真剣な表情」を作ろうと慣れない試みを始めたが、できあがったのは誰がどう見ても「怒っている」としか解釈できない物だった。ゆかりのそんな表情を初めてみた諭はぎょっとしたように足を止め、校門前で奇妙なにらめっこが始まった。
「・・・・・」
「・・・・・」
ゆかりはいざ話を始めようとしてどう切り出したらいいか全く考えていなかったことに気付いた。
(これはよわりましたねえ。なにもおもいつきそうにありませんし、ここはひとまずひきあげるといたしましょう。)
仕方なく目的を果たせないまま退散するゆかり。諭は呆気にとられた様子でそれを見送った。

 翌日、ゆかりは昼休みに友人の朝日奈夕子と食事をしながら今後の作戦を立てていたが、気が付くと夕子の様子がおかしい。目の前の食べ物にほとんど手を着けず、片手で頬杖を付いて何か考え事をしている。
「・・・あさひなさん。」
「・・・・・」
ゆかりの呼びかけにも反応する様子はない。それを見たゆかりは困ったように首を傾げていたが、何か思いついたらしく顔をぱっと輝かせると席を立って夕子のそばに行き、耳にくっつきそうなほど口を近付けた。
「あーさーひーなーさん。」
「どわああっ!」
ゆかりの奇襲に思い切り取り乱した夕子は奇声をあげて全身を硬直させた。しばらくそのまま固まっていたが、やっとの思いで体の自由を取り戻すと荒く息を付きながらゆかりに恨みがましく視線を向けた。
「ゆ、ゆかり・・・あんたねえ、いきなり何すんのよ。びっくりするじゃない。」
「もうしわけございません。あさひなさんがぼーっとしておいででしたのできになりまして。よろしければわけをおきかせねがえないでしょうか。」
ゆかりにそう言われて夕子は話してみるかどうか迷っていた様子だったが、決心がついたらしく辺りを気にするように小声で話し始めた。
「始めに言っとくけどまだはっきりそうと決まった訳じゃないからね。実は早乙女君のことなんだけど・・・その・・・もしかしたら私に気があるんじゃないか、なんて気がするんだけど、私には本命が居るしどうしようかなあって・・・ねえ、ちゃんと聞いてる?」
「はい、ごしんぱいなく。ところでいったいどうしてそのようなことがわかったのですか?」
夕子の話を聞きながらお茶をすすっていたゆかりがもっともな疑問を提示すると、夕子は我が意を得たりとばかりにうなずいた。
「そう、そこなんだけどね。最近よく電話を掛けてくるのよ。いくらなんでもこりゃあやしいと・・・わわっ!」
「そういうものですか?」
夕子が電話の話を持ち出した途端に目の前にゆかりの顔が急接近してきた。不意を付かれて思わずうろたえる夕子。
「な、何のこと?」
「でんわをよくかけてくるのはあいてのかたがこちらをしたっておられるとかんがえてよろしいのでしょうか?」
ゆかりの声にただならぬ物を感じた夕子はしどろもどろになりながら何とか返事を返す。
「そ、そうね。特にどうでもいいようなネタで何回も掛けてくるようなら怪しいわね。」
「そうですか。では、あれはそういうことなのですね。」
永年の疑問が解けたような晴れやかな顔で座り直すゆかりを見て夕子の好奇心が刺激された。
「ねえ、ゆかり、ひょっとしてそう言うことあるわけ?」
「いいえ、わたくしではございません。いじゅういんさんです。」
ゆかりが当事者でないと知って少々落胆した夕子だったが、それはそれで興味がある。
「へえ、で、相手は誰?鏡さんじゃなさそうだよね。ゆかり、知ってるの?」
「はい、つらだてさんです。」
「・・・へ?」
にこやかな笑みをたたえたゆかりの口から出てきた答えは夕子の想像を絶する物だった。ショックのあまり放心状態に陥った夕子を前にしてゆかりは何か思いついたらしくぽん、と手を打った。
「そうですねえ。このことをさっそくいじゅういんさんにおしえてさしあげましょう。では、わたくしはこれでしつれいいたします。」
一礼してゆかりが去った後も夕子はまるで彫像のように立ち尽くしていた。ちょうどそのころ早乙女好雄は情報収集に余念がなかった。
「お、新しいデートスポットか。チェックだチェック!女の子の受けはどの位かなあ?まあ、後で朝日奈に聞いてみるか。学校だと電話掛けなくても直接聞きに行けばいいしな。あいつの意見はいい参考になるから助かるよ。」

 時は流れて卒業式の日。諭にとってある意味待ち望んでいた日がやってきた。とある日を境に知り合いの女の子たちが急に冷淡になって口も聞いてくれなくなり、一番の友人だった好雄も何かにおびえるように諭を避けるようになり、孤独な日々を過ごすようになっていた諭の唯一の心の支えといえたのは皮肉なことにレイの相変わらずの嫌味とこちらから掛けるいたずら電話だった。例え腹の立つ嫌味といえどもまるっきり無視されるよりはずっとましだということを諭は身を以て思い知った。
「しかし何もいい事の無い高校生活だったな。終わってほっとするなんて救いようがないよ、全く。」
式を終えて己の不幸を呪いながら教室に戻った諭は自分の机の中に一通の手紙が入っているのに気付いた。
「ん、一体なんだ?えーと、伝説の樹の下で待っています、か。あ、そう。・・・ええっ?」
手紙に軽く目を通して捨てようとした諭はその内容の意味することに気付いて改めて読み返した。
「誰かのいたずらかも知れない。でも、もし本気だったら・・・」
諭はしばらく悩んでいたが、結局行ってみることにした。一方そのころ体育倉庫の中ではゆかりがレイに声を掛けていた。
「じゅんびはできましたね。では、まいりましょう。」
「あ、ちょっと待って。」
外へ出ようとするゆかりを引き留めるレイ。ゆかりは振り返って首を傾げる。
「どうかなされましたか?」
「あの・・・やっぱり私・・・止めておく。恥ずかしいの・・・」
ゆかりはレイの手を包み込むように握って屈託のない笑顔を見せる。
「だいじょうぶ、よくおにあいですよ。ごしんぱいはいりません。」
「でも・・・」
後込みを続けるレイを前にしてゆかりはふと時計に目をやる。
「まあ、もうこんなじかんですか。しょうしょういそがないといけませんね。」
そうつぶやいたゆかりはそのままレイの手を引いて扉に向かう。
「きゃっ!や、やめて、ゆかりちゃん。お願いだから・・・」
レイはゆかりに哀願しながら精一杯の抵抗を試みたが結局外に引っぱり出されて「本当の姿」をお披露目する事になった。ゆかりに手を引かれて真っ赤な顔をしてうつむきながら歩くその姿を見た者は、一人の例外もなくぎょっとした表情で視線を集中させた。

 諭が約束の場所にたどり着いたとき、そこには誰もおらず、ただ風が吹き抜けていった。
「ふん、こんなものか。まあ、そんなことだろうと思ってたけどな。」
内心の落胆をごまかすようにそうつぶやいた諭はその場を立ち去ろうと振り返ったが、背後から何か聞こえたような気がして再び伝説の樹の方を向いて耳を澄ませた。
「駄目。もういいの。やっぱり私・・・」
「きっとうまくいきますよ。あまりおまたせするのもわるいですし、そろそろはじめましょう。」
「え?ちょ、ちょっと・・・きゃっ!」
小さく悲鳴を上げて樹の裏から飛び出してきたのはすらりとした長身に腰まで届く長い髪の少女だった。この学校の制服を着てはいるが今まで見かけたことがない。ただこれが初対面ではないような気がして諭は少女を見つめながら記憶の糸をたぐり続けた。一方少女の方は気が動転したのかその場でおろおろしていたが、やがて覚悟を決めたらしく目を閉じて胸に手を当てて深呼吸するとゆっくりと諭の方へ歩み寄っていった。

 「うまくいきましたねえ。わたくしもおてつだいしたかいがあったというものです。」
連れ立ってその場を立ち去る二人を見送りながらゆかりは嬉しそうにつぶやいた。その時ゆかりの方に何者かが手を置いた。
「・・・・・?」
ゆかりが振り向くとそこには滝のように涙を流す夕子が立っていた。
「ゆかりいー、ひどいよお。」
「はい?わたくしがなにかごめいわくをおかけしたのでしょうか。」
ゆかりは思い当たる節がないか考えてみたが、大切な友人を泣かせるようなことをした覚えはない。
「伊集院君が女の子だなんて知らないからてっきり陣館君がそう言う趣味だと思っちゃったじゃない。本当のこと知ってたらあきらめなかったのに・・・」
「そういえばあさひなさんはそのことをごぞんじなかったのですね。すっかりわすれていました。」
「はああああ・・・・」
今のがとどめになったと言わんばかりにその場にへたり込む夕子。その後ろには夕子と同じ過ちを犯した少女たちが足下に水たまりを作っていた。さすがのゆかりもこれには驚き、口に手を当てて目をぱちぱちさせるほか無かった。
「・・・・・あらまあ。」

 後書き
 女の子を全員出して伊集院さん一筋のプレイをしたらこんな感じかな、と想像して見ました。あと今回は一人でも多くのキャラに勘違いをさせようとがんばってみました。