ゆかりが怒った日

 その日のデートはいつもと勝手が違っていた。古式ゆかりはどことなく
落ち着かない様子で周りに視線を走らせる。ゲームセンターと言う所に
来るのは初めてだった。ゆかりは居心地の悪さに耐えかねて陣館諭に
声を掛けた。
「つらだてさん、わたくしこういうばしょはにがてでして。」
「初めてだからね。慣れれば気にならなくなるよ。」
「それに、おとうさまはこういうところにきてはいけないと・・・」
こういう時に父親の話を持ち出されたら誰だって面白くない。諭の返答
は幾分突っ慳貪なものとなった。
「ふーん、時代遅れなんじゃない?」
その時人前では笑顔しか見せないと言われるゆかりが不機嫌そうな
表情になり、普段からは想像できないような冷たさを帯びた声で諭に
言い放った。
「おとうさまをわるくいわないでください。」
その後はすぐにいつものゆかりに戻り、別れ際に今日は楽しかったと
言ってくれたが、諭にしてみればゆかりを怒らせたと言うだけでこの日
のデートは大失敗だった。
 翌週、諭は前回の埋め合わせをしようと再びゆかりをデートに誘った。
途中まではうまく行っていたのだが、予想外の邪魔が入った。たまたま
同じ所に来ていた伊集院レイと顔を合わせてしまい、いつも通りの嫌味
と皮肉の応酬が始まった。レイが去った後も諭の気は収まらず、悪態が
口を衝いて出た。
「まったく、どうしてこういう大事な時によりによって奴と顔を合わせなきゃ
いけないんだ?さんざん甘やかされてわがまま放題に育ったボンボン
の相手はもうたくさんだ。」
なおも文句を並べ立てようとしていた諭の背後から声がかかった。
「いじゅういんさんをわるくいわないでください。」
先日に比べれば声に柔らかさがあったが、そんな事は諭にとっては
あまり慰めになっていなかった。
「ご、ごめん!伊集院と古式さんは幼なじみだっけ。」
諭は慌ててゆかりに向かって頭を下げた。その頭の中は途切れ途切れ
の思考が絶望的な響きを伴って渦巻いていた。
(またやっちまった)
(二週続けて)
(怒ってる?怒ってるよね?)
(許してくれるかな?)
(駄目かも・・・駄目だよ、たぶん)
(終わった。ああ、おわりだ、なにもかも。)
「それはちがいますよ。」
「へ?」
自分の思考を見透かされたような気がして顔を上げる諭。いつの間にか
ゆかりはすぐそばまで近寄って来ていた。至近距離で顔を突き合わせる
形になるがゆかりはかまわず諭の顔を見つめている。諭は思わず顔を
そらしそうになるが、何故かそうしてはいけないと感じて気力を振り絞っ
てゆかりの澄んだ瞳を見つめ返した。それはほんの短い間だったが、
諭にとっては永劫の試練に等しかった。ゆかりはそのままの状態で諭に
語りかけた。
「おとうさまだから、おさななじみだからではないのです。わたくし、ひと
のわるぐちをいわれるかた、きらいです。」
(ああっ、駄目だぁ。完全に嫌われた。)
ゆかりの言葉を最後通告と受け取った諭の頭部が支えを失ってがくんと
前のめりに倒れる。
「わかっていただけたのですね。ではこれからはきをつけてくださいね。」
その場に崩れ落ちかけていた諭の体がすんでの所で持ちこたえる。再び
顔を上げた諭の目の前にいつも通りのゆかりの笑顔があった。久しぶり
ということもあったが、絶望のどん底から舞い戻ってきて見たその笑顔は
いつもより一層輝いているように諭には思えた。

 その夜の古式家の食卓。にこにこしながら夕食を摂るゆかりにゆかり
の父が重々しく話しかけた。
「今日もあの若者と一緒だったのか?」
「はい、つらだてさんにおさそいいただきました。」
いかにも嬉しそうなゆかりと対照的に父親の方は面白くなさそうに眉間にしわを寄せる。
「おまえも年頃だからな。そう言ったことが楽しくて仕方がないのは分かる。しかし、相手は選んだ方がいい。」
ゆかりの箸が止まり、不安気な視線が父に向けられる。
「以前一度だけ見かけたことがあるが、見るからに頼りなさそうな感じだった。あれではいざというとき心許ない。」
「いえ、そのようなことは・・・」
ゆかりの控えめな反論を遮るように父の話は続いた。
「あの分では生活能力も無いんじゃないのか?将来遊んで暮らすために
おまえに取り入っているのかも・・・」
ばん!
「あのかたをわるくいわないでください!」
ゆかりの肩は小刻みに震え、頬は紅潮していた。ゆかりがここまで激昂
した姿は両親さえ初めて見るものだった。しかしこの事件で一番戸惑い
を感じていたのは他でもないゆかり自身だった。
「わ、わたくし、きぶんがすぐれませんので。おやすみなさいませ。」
興奮と混乱を抱え込んだままゆかりは逃げるように自分の部屋へ向かった。
「ゆかり、待ちなさい!」
ゆかりを追って立ち上がりかけた父の手が軽く押さえられた。ゆかりの母
が言い聞かせるようにたしなめる。
「いまのは、あなたがいけないのですよ。」
「むう・・・」
反論の余地がない父は一声うなって再び席に着いた。

 ゆかりは部屋の中央で正座して気持ちを落ち着けようとしていた。しか
しなかなかその高ぶりは押さえられない。
(ふしぎですねぇ。おとうさまのおはなしをきいていておもわずあのような
ことをしてしまいましたが、このきぶんはいったいなんなのでしょう?)
閉じられていたゆかりの瞳が見開かれる。
「もしかしたら、これが・・・」
ゆかりの問いに答える者はなく、ただ月明かりが静かに降り注ぐだけ
だった。

後書き
 「古式さんが本気で怒る状況」を作ってみよう。と言うわけでこんなもの
が出来ました。まず目の前で他人の悪口を言われるのは嫌いだろうと
考え、古式さんといえどもその対象に対する好意によってそのリアクショ
ンに多少差が出るのではないかと想定した結果こうなりました。