もしも伊集院レイに勇気が無かったら・・・?

 「ああ、何もいい事の無い三年間だった。まあ友達は何人かできたけど所詮はそこまで。印象に残っていることと言えば何かというと伊集院の奴に嫌味を言われた事くらいかな。」
などと自らの高校生活を総括しながら教室に戻って来た陣館諭にとって、この三年間はまさに伊集院レイとの抗争の日々だった。何かやっていて成功すれば嫌味、失敗すれば嫌味、顔を合わせれば嫌味。反撃に転じようと電話をかければくだらない自慢話に延々とつきあわされ・・・
「・・・なんかこれって俺が一方的に伊集院のオモチャにされてたような気が・・・」
今更その事実に気付き愕然とする諭。しかし同時にそのことに対して不思議と腹が立たないのにも気がつく。初めの内は「伊集院憎し」の一念に凝り固まってむきになって突っかかって行っていたのが、いつの間にかなんとなくその状況を楽しく感じるようになっていた。それに気のせいかも知れないが、レイの方もこの風変わりなコミュニケーションを(嫌味を言う事ではなく諭と言葉を交わすことを)楽しんでいたように感じられた。電話に出て相手が諭だと知った時、うっとうしそうな口振りながら声が弾んでいるように感じられたのはわき上がる喜びを押さえきれなかったのではないか。
「・・・馬鹿馬鹿しい。何で俺と話せるからって伊集院が喜ばなきゃいかんのだ?」
自らの心にわき上がった疑問にツッコミを入れて無理矢理話を切り上げた諭は帰り支度を始めようとのぞき込んだ机の中に意外な物を発見する。
「ん、何だこりゃ?手紙みたいだけど・・・」
何気なく開いた手紙に書かれた文面は・・・
「伝説の樹の下で待っています。」
その瞬間諭は混乱状態に陥った。情け無い話だが自分にこんな代物を送り付けてくる相手に全く心当たりが無い。とっさに友人の早乙女好雄のいたずらかとも思ったが、その名の通り人のいい好雄がそんなたちの悪いいたずらをするとも思えない。その時諭の思考の網に一つの名前が引っかかった。
外井雪之丞。
しかし諭はすぐにその考えを振り払った。
「いや、それはないな。あの外井さんが伊集院に逆らうとは思えない。」
卒業式を終えて教室に戻る途中で諭は外井に「愛の告白」を受けた。確かに外井はなかなかの好青年で人間的には好感が持てる。しかし残念ながら諭は外井の愛を受け入れることができる種類の人間ではなかった。諭はどう対応したものか困り果てていたが、幸い告白の途中で現れたレイが外井を説得してくれたおかげでその場は収まった。この時諭は知り合って以来初めてレイに感謝の念を抱いた。
「ん、待てよ?大体外井さんはあの時決着を付けるつもりだったんだ。と言うことはこの手紙の送り主は間違いなく別の人間。・・・一体誰だ?」
いくら考えたところで分からない物は仕方ないのでとりあえず差出人の待つ場所へ行ってみることにした。

 諭が伝説の樹の下にたどり着いた時、そこには誰もいなかった。やはり誰かのいたずらだったのか、それとも相手の到着が遅れているのか。そんなことを考えながら何気なく伝説の樹に視線を向けると幹の陰から誰かがこっそり顔を出してこちらの様子をうかがっていた。その人物は諭に見つかったと気づくとあわてて顔を引っ込めたが、しばらく躊躇した後覚悟を決めたらしくその姿を現した。諭と大差無い長身と腰まで届く金色の髪がいやでも人目を引くその少女に諭は心当たりが無かった。
「えーと、その、ごめんなさい。わざわざ呼び出したりして。」
「いや、別にいいけど。」
「あの、実は、その・・・」
何とか話をしようと懸命になればなるほど言葉が出なくなり口ごもる少女を見ながら、諭は彼女に会ったことがあるという確信めいたものを感じていた。そしてそれは恐らく一度や二度ではない。
「ふ・・・ふふふ・・・」
言葉を失ってうつむいていた少女の口から笑い声が漏れる。何が起こったのか理解できない諭が見ている間にも笑い声は次第に大きくなっていった。
「ふふっ、はーはははっ!まだ分からないのかね?僕だよ。伊集院レイだ。」
言われてみれば確かに伊集院レイの面影はある。しかしながら目の前にいるのはどう見ても女装した男という感じではない。
「やれやれ、あんなでっち上げの手紙につられてのこのこやって来るとは君もおめでたい奴だな。まあ、今日はおかげで楽しませてもらった。では失礼するよ。」
言っていること自体はいつもの憎まれ口だが口調はあまりにも弱々しく、聞いていて怒りを覚えるどころか心配になってくる。そんな捨てぜりふを残して慌ててその場を立ち去ろうとするレイの前に誰かが立ちはだかった。
「お待ち下さい、レイ様。」
「外井?どうしてあなたがここに・・・」
予想外の展開にうろたえるレイの問いに答えることなく外井は話を進めた。
「先程レイ様は私をたしなめられましたね。所詮は叶わぬ恋だ、と。」
「ええ。その通りです。でもそれは・・・」
レイの言葉を押しとどめる外井。
「いえ。分かっております。もしあのまま話を続けていたら陣館様を困らせ、結局私が思いを遂げることは叶わなかったでしょう。あのとき止めていただいたことはむしろ感謝しております。」
そこまで言って一呼吸置いた外井はレイに問いかけた。その視線は逃げやごまかしを許さないと言う強い意志を伴ってレイに注がれた。
「しかしあなたは違う。叶える事ができる恋を目の前にして、せっかくここまで来たというのに何故逃げ出そうとするのですか?」
「そ、それは・・・」
レイはなかなか理由を話そうとしない。目を伏せて口を閉ざし、気になるのか諭の方を窺うようにちらちらと視線を走らせる。それを知ってか知らずか諭は自分なりに状況を整理しようと試みていた。
(えーと、外井さんの話だと伊集院のこれは本気らしいんだよな。・・・ええーっ?それってつまりこの二人が俺を取り合ってるって事?勘弁してよ。)
しかし何か重大な見落としがあるような気がして今までの出来事を思い返していた諭は外井の最後の言葉から一つの結論に達し、その真偽を確かめることにした。
「あのー、外井さん、叶える事ができるって事は、もしかして・・・」
外井は諭の問いにうなずいて見せた。
「はい。レイ様は正真正銘、伊集院家のご令嬢です。」
「あ、そうなんだ。は、はは・・・あー、よかった。」
諭にしてみれば単に「卒業の日に男二人から告白される」という最悪の事態を免れたことに対する喜びを表明したにすぎなかったのだが、レイはそれを異なる意味に受け取り、そのことによってレイの覚悟が決まった。
「陣館さん、大事なお話があります。聞いて下さい。」
レイはそう言うと、気を利かせてその場を立ち去ろうとした外井を引き留めて話し始めた。
「最初に会った頃はあなたのことが大嫌いでした。なんていい加減な人なんだろうって。でもずっと関わり合っている内に良いところも見えてきて・・・気が付いたらあなたの事が気になって仕方が無いようになっていました。」
そこまで話したところでレイの表情が曇る。
「でも私は家訓により卒業までは男のふりをしなくてはなりません。それまで自分の気持ちを隠し通す自信が無かった私はいっその事あなたが私の目の前から姿を消してくれれば楽になれると思ってつらく当たりました。」
話している内にその当時の記憶が呼び覚まされたのか、かなりつらそうな様子だが、レイは気力を振り絞って話し続ける。
「本当はあなたがいなくなるのが怖かった。だからあなたが相変わらずの調子で接してくれるのが嬉しかった。でも苦しかった・・・」
自分が気楽に過ごしている間、レイがどんなにつらい思いをしていたか今になって知った諭は何となく後ろめたいものを感じていた。その表情からそれを感じ取ったレイが慌てて付け加える。
「あ、ごめんなさい。あなたはなにも悪くないんだから気にしないで。私が勝手に苦労を背負い込んでいただけなんだから。」
そして少しだけためらいを見せた後、レイは話をいよいよ核心に向けた。
「本当は一日早いんだけど、この伝説の樹の下で今日言いたかったから・・・。ずっとあなたのことが好きでした。そしてこれからも、ずっと・・・」
長い間押さえていた想いを表に出したことで随分気が楽になったのか、返答を待つレイはとても良い表情をしていた。たとえ諭がいい返事をしなくても後悔はしない、そう感じさせるほど吹っ切れたようだった。もちろん諭にそれを試してみる気は全く無かった。

 毎年恒例のクリスマスパーティーだが今年は趣が異なっていた。伊集院家の令嬢としてドレスアップしたレイの美しさを参列者は口々に褒め称えた。レイはそつなく応対をこなしていたが、何故か立ち歩くことはほとんどなかった。
「ふう。今日はとても疲れました。」
パーティーが終わり客も帰った伊集院邸ではレイがいかにも疲れ切った様子でぐったりしていた。
「いやいや、今日はお務めご苦労さん。」
諭はおどけてそう言うとレイの肩を揉む真似をする。
「んもう、からかわないで下さい。本当にくたくたなんだから。」
「ああ、ごめん。でもいつもの事だから慣れっこだと思ったんだけど。」
口を尖らせてすねたようにそっぽを向くレイの機嫌をとった諭はふと感じた疑問を口にした。
「それはやっぱり男として出るのと女として出るのでは全然勝手が違いますから。」
「確かにそりゃそうだね。」
「これまでの十数年で染みついたものを一年足らずで180度変えろと言われても限度がありますから・・・ふぅ。」
そう言って溜め息をつくレイの姿を見ている内に心配になってきた諭は真顔で忠告する。
「あまり無理しない方がいいよ、疲れがたまって体調を崩したりしたら大変だから。」
「いえ、大丈夫です。体力的にはそれほどきついわけではありません。」
笑顔でそう答えたレイは視線を意識的に遠くへ向けて小声で続けた。
「精神的にはかなり疲れるけど、あなたが支えになってくれるから全然平気です。」
レイのつぶやきをはっきり聞き取れなかった諭が内容を問いただそうとした時、ノックに続いて外井が入ってきた。
「お飲物をお持ちしました、どうぞ。」
そう言って二人の前にティーカップを並べ、湯気の沸き立つ紅茶を注ぐと一礼して退出しようとしたが、諭の呼びかけに応じて再び戻ってきた。
「外井さん、一つ聞きたいことがあるんだけど。」
「はい、私に答えられることならば何なりと。」
諭はこの数ヶ月気になってはいたもののなかなか言い出せなかった疑問を思い切って口に出した。
「卒業式の日のあれ、本気だったのかな?もしかしたら・・・」
レイの尻を叩く目的でやったことではないか?あの日の出来事を思い起こすたびに諭にはそうとしか考えられなかった。短い沈黙の後、外井は簡潔に返答した。
「はい、あれは間違いなく私の本心でした。」
再び一礼して立ち去りかけた外井だが、ドアの前で立ち止まって一言付け加えた。
「ですが今の状況には非常に満足しています。」
それはレイに気を使ったともとれる言葉だったが、二人には間違い無く言葉通りの意味だと分かった。
「やるねえ、外井さん。どう?まんまと乗せられた感想は。」
「知りません!意地悪なんだから、もう。」
からかうように問いかける諭に完全に背中を向けるレイ。
(あら、まずいな。本気で怒らせたかな?)
不安になった諭が謝ろうかどうか躊躇していると、レイが向こうを向いたまま話し始めた。
「あの日、外井に二回も背中を押してもらいました。もしそれが無かったらその後の私たちは全然別の道を歩んでいたでしょう。」
「まあ、そうだね。俺は全然事情を知らないから手の打ちようがないし。」
「そう考えると外井にはいくら感謝してもとても足りるものではありません。」
感慨深げにつぶやくレイ。諭としても今の幸せを与えてくれた恩人に対する感謝の気持ちは同じだった。
「あ、そうそう。せっかくの紅茶が冷めるといけないから早く飲まなくちゃ。」
「まあ、そう言えば。うっかりしていました。」
そして二人はゆったりと紅茶を味わった。
「ああ、温かい。気分が落ち着きますね。」
「・・・」
無言で何か考え込む諭をいぶかしげに見つめるレイ。
「どうしたんですか、何か気になることでも?」
「え?いや、何でもない。ただこうやって二人で過ごせるのは本当に幸せだな、って思って。」
「そうですね。私もそう思います。」
ティーカップ一杯の幸せを片手に、クリスマスイブの夜は静かに更けていった。