わたしは生かされている!



わたしはハタチの頃からつきあって
5年間一緒にいた彼に振られたんです(笑)
今でこそ、笑って書けますが
そのときの事を思い出すと、すごい感覚が蘇ってきます。
とてつもない体感でした。
ずっと、一緒に生きられる、そこにいるのが当たり前の人から
はっきり言えば、縁を切られたのですから。

そのときの私は「結婚」の二文字にすごくとらわれていました。
結婚すれば幸せになれる!
自分の居場所(実家は団地で妹と同じ部屋でした(笑))が手に入ると
そこに理想、願望を投影していたんです。
なので彼のペースなど無視して彼に結婚の二文字を非常に押し付けていました。
私はすごくイライラして「結婚するの?しないの?しないなら別れる!」と
心にも無いことをいいつづけていたんです。
で。その矢先に。わすれもしないおめでたい正月でした(笑)
「ひとりで考えたい」とね。言われたのです。
それからの私の行動はとても醜かったです。
ストーカーはさすがに自分のプライドのせいでしませんでしたが
泣き喚き、過換気にちかい状態まで起こし、必死で彼を引きとめようとしていました。
彼の論理に対抗する論理まで考えだしもしました。
しかし、所詮離れた心を引きとめようとするなど無理なことで
旅行先の中国で電話をしたときの冷たい態度と帰国後の手紙で
やっと諦めようという気持ちになったのです。
そうして私は少しづつ、落ち着きを取り戻しました。

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そんな中で私は友人や母にとても支えられて生きていたと想います。
「もう死にたい」という私に一緒に泣いてくれた友人。
私は気力が無く怒りや憎しみなど生まれませんでしたが
怒りをあらわにしてくれた友人。
私の頭をぽんぽんとなでてくれた友人。
そして、私の母。
遠くから優しさをくれ、その優しさで泣けていました。
生きていることがとても辛くて、毎日が痛くてしょうがありませんでした。
ですこしづつ、みんなの支えや時間の流れの優しさに見守られ
歩き始めたんです。

あるときのことです。
私は片道30分の距離を職場まで
チャリンコで通っていましたが、その帰り道。
その日は晴れてとても天気の良い日でした。
私は家路へと急ぎながら空やたんぼなどを見ていたと思います。
そして、突然あるビジョンが涌き出てくるのをすごく感じたのです。
『私は生かされている、この広い世界のまんなかで。
今、1人でいるけど独りじゃないんだ!こんな暖かな世界が私を見守ってくれている。
神様、ありがとう。私は彼を失ったけど、幸せです。生きていけます!』と。
本当に、突然でした。
それまで宗教など毛嫌いしていたし
神様なんていない!とか本当に思っていたのです。
それを覆すような真理、私にとっての真理が生まれた瞬間でした。
気持ちはとても温かく、穏やかで、1人でいてはじめての、幸せの体感でした。
生きている!と生命の躍動が内から湧き上がるのが解りました。

そうしてここから、私は見えない世界との繋がりを感じ、生きる生活が始まったのです。



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