私のグラムシ研究

グラムシ読書案内

日本のグラムシ研究者列伝

私のグラムシ研究・雑文集
 グラムシ「サバルタン」覚書感想
 上村忠男講演録「グラムシの全体主義について」批判覚書
 『トロツキーとグラムシ』(社会評論社・1999年)批判Vol.1
 『トロツキーとグラムシ』(社会評論社・1999年)批判Vol.2
 『トロツキーとグラムシ』(社会評論社・1999年)批判Vol.3
 「サバルタン再考」


★グラムシ略年譜

 1881年 イタリア・サルデーニャ島生まれ。幼いときの病気で背中に瘤状のものが出来、
       身長も150センチどまり、生涯、さまざまな病気に苦しめられることになる
 1911年 トリーノ大学に進学、言語学を専攻
       当時活発化しつつあった労働運動の影響で社会意識に目覚め、イタリア社会党に
       入党、工場評議会運動を指導する一方、党機関誌の執筆・編集に辣腕をふるう
 1921年 ロシア革命ののちコミンテルンの指導のもと、イタリア共産党の創設に参加
 1922−3年、25年 モスクワでのコミンテルン大会で執行委員に就任、イタリア共産党
         内における指導的な立場を確立
 1924年 国会議員に当選、共産党書記長となる
 1926年 ムッソリーニ・ファシスト政権によって逮捕、獄中生活を余儀なくされる
 1937年 病状の悪化により、出獄を許されるが、病院にて死去、46歳


★グラムシ再評価と現代

  グラムシの死後遺された「ノート」29冊(他に翻訳4冊)は、グラムシの義姉タチャーナ・シュフトの手で散逸を免れ、大戦中はモスクワで保存、戦後イタリア共産党の管理に戻された。
  1947年には、グラムシが獄中から近親者や友人・知人に送った手紙218通がまとめて出版され、イタリア三大文学賞の1つ、ヴィアレッジョ賞を受賞する。そこに込められた豊かな人間味溢れる志操が読む者に深い感動を与え、また文中に展開されている教育観・哲学が注目されたためである。
  翌年1948年から51年にかけて、『獄中ノート』はテーマ別に分けられ、全6巻で刊行された。
  1956年スターリン批判に始まる国際共産主義運動総体の見直しの中で、イタリア共産党による「テーマ別」編纂ではグラムシが意図した真実の姿を伝えていないのではないか、との声が高まり、厳密なテキストクリティークによる校訂版『獄中ノート』(編者の名からジェラルターナ版と呼ばれる)が1975年に刊行された。
  現在ではこの版をもとに、ドイツ語版、フランス語版が刊行され、英語版も刊行中である。
 『獄中ノート』では、「アメリカニズムとフォーディズム」「受動的革命」「歴史的ブロック」「機動戦と陣地戦」「トラスフォルミズモ(変異)」「ヘゲモニー」「実践の哲学」などグラムシ独特のキーワードが散りばめられ、難解な中にも、当時の公認マルクス主義を遙かに超えた優れた知見が散見せられる。
  まず、コミンテルンが資本主義終焉論を唱えていたのに対し、グラムシはアメリカ資本主義の新動向(テイラーシステム導入による生産様式の変化に伴う社会全体の変質)に着目している。後世これが、フォーディズムと呼ばれる資本主義の形態変化を考察する視点となり、ポスト・フォーディズムと言われる現代においても、フランスのレギュラシオン学派などに深い影響を与えている。
  一方彼は大衆文化のもつ力にも着目し、その分析の重要性を指摘した。これは、昨今、英米においてブームの様相を呈しているカルチュラル・スタディーズ(文化研究)の流れに直接間接的な影響となって表れている。
  また、党と大衆と知識人をめぐる独自の論説は、「オリエンタリズム」を唱えたサイードらへの影響が顕著である。
  ポスト冷戦下の現代にあって、マルクス主義系思想家への評価が失墜する一方であるのに対し、唯一その影響力が現代思想(ポスト・モダニズム)の思想家たちにも及ぶ人物として、グラムシへの国際的評価は高まるばかりである。
  彼は現在、世界の人文・社会科学系論文で、最も多く引証されるイタリア人思想家として知られ、本国イタリアでは、そうした情勢を受け、国家版(ナショナル・エディション)「全集」刊行が政府決定された。いまや、文字どおりダンテ、マキアヴェッリ、ヴィーコに並ぶイタリアを代表する大知識人として評価が定まっている。


★日本でのグラムシ紹介・研究

  グラムシの日本における紹介にはいくつかの波がある。
  戦前の一時期に早くもその名が知られていたようであるが、本格的な紹介と研究が始まったのは50年代末から60年代にかけての時期であった。テーマ別「選集」が翻訳されたものの、この時代はソ連派公認マルクス・レーニン主義全盛期であり、その亜種の一つ構造改革派を紹介する一環での翻訳にとどまっていた。
  次の波が70年代末から80年代にかけての時期、ソ連派の地位が揺らぎはじめ、別の可能性を模索していた流れでユーロコミュニズムの一端としてのイタリア共産党、その創設者として注目を浴びたようである。この時期に校訂版『獄中ノート』翻訳がスタートしたが、第1巻のみで中断している。
  次が現代にまで続く90年代、ポスト冷戦期におけるマルクス主義思潮見直しの流れと、現代思想におけるグラムシ再評価の動きである。日本では、80年代末と90年代末に二度国際シンポジウムが開催され、若い世代を含む多くの人々が参加した。左翼系の研究集会が総じて50歳代以上の人々を主力としているのに対して、グラムシの場合はその思想的な魅力・柔軟性・未来への活力などが、ボランティア運動や生協活動、NGO運動などの若い担い手たちに注目されてきている。
  現在では、そうした人々が集い、首都圏では東京グラムシ会を結成し、研究・普及活動が行われている。


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