since 2001.06.29


追悼 石堂清倫さん




すでに、多くのメディアで報じられましたように、20世紀を駆け抜けた社会運動家にして社会思想研究家石堂清倫さんが、9月1日午後2時、ご自宅で肺炎のため亡くなりました。享年97歳でした。
最新刊『20世紀の意味』が文字どおりの遺著となってしまったことは残念でなりません。
ここに謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

石堂清倫氏と最晩年の10年

主要メディアによる多くの追悼記事で、氏の業績として「グラムシの紹介」が挙げられていたことは氏とグラムシとの深い関係と、そのことが社会的に周知されていることを示していた。
グラムシの研究と社会への普及を活動目的とする当会の顧問であった氏の人生の意義が根本のところで正しく社会に認識されていることを、とりあえずは氏のためにも喜びとしたい。
当HPにおいても、これまで、「日本のグラムシ研究者列伝」のトップに氏を取り上げ、その生涯の略歴と概要とを紹介し、「石堂清倫著作リスト」で翻訳を含む主要著作リストを掲載したほか、「石堂清倫バーチャル文庫」と名付けて、氏最晩年たるここ10年余の主張を紹介した。また、「ウェブで読むグラムシ関連論文・エッセイ集」のなかに、氏の論文を転載紹介している頁へのリンクを張らせていただくなど、氏の主張の意義を重点的に紹介してきたつもりである。
それらの随所で触れたように氏の業績は多様であるが、ここ10年余の氏の営為はソ連崩壊後特に加速した、マルクスやレーニン及びロシア革命評価の見直しという点に凝集されていたと言ってよいであろう。
その起点かつ基点がわがアントニオ・グラムシ(の思想)であった。
もちろん、それは大方の良心的なマルクス主義者や左翼がここ10年余共通に蓄積してきたと言ってよい知的営為と自己革新のひとつのスタイルではあった。
距離の違いはあれ、自由主義・民主主義的価値観の再評価・接近ということがなされてきたものと思う。
その点で、氏が果たしてユートピア主義と決定論・一元論の完全否定をなし、多元主義にまで突き進んだものかどうか、と問われればそこはやはり否定せざるを得まい。
ロシア革命の評価においても、「憲法制定議会の武力による解散」にその本質を見、全否定にまで突き進んだとはとうてい言えまい。
人は誰しも、その生きてきた環境と世代の影響下から完全には自由であり得ない。
そうであるなら、氏でさえも、その97年の人生の「枠」から十分には自由でなかったことは明らかである。
潜在的可能性として氏の内部に胚胎していたにもかかわらず、十分に外化しないまま、氏の肉体とともに消えてしまった知的な地平、その詳細を明らかにし継承してゆく使命は残された我々にいま仮託されたと言える。
筆者は「石堂基金」に参加したことで、『20世紀の意味』をご送付いただいた。そのお礼と感想を書き送ったところ、葉書でご丁寧なお返事をいただいたが、それが先月18日のことで、氏からいただく最後の郵便物となってしまった。
葉書の後半部分で氏は

余談ですが、私はいまCesare LuporiniのLeopardi progressivo. を読んでいます 19世紀思想史のわすれものだったかと思っています

と書かれている。
この著者と、この著作で取り上げられた歴史的人物のことを想うと、氏の最後の知的関心がどのような方向に向かっていたのか、その一端を窺い知ることが出来て、興味深いものがある。

氏から我々に付託された課題はあまりに多く、重い。
しかしながら、氏の限界をも超えて、氏が目指していた方向へと大胆に歩みを続けること、20世紀の陣地戦を闘い抜いた氏が確保された橋頭堡を維持すると共に、今後さらに1メートルでも2メートルでもこの戦線を前進させてゆくことが我々すべてに求められていよう。
21世紀の新しい社会運動の地平目指して・・・。

(文責・東京グラムシ会一会員川口泉)


トップ頁に戻る