会報「未来都市」20号「編集後記」に関して

「会報」20号の「編集後記」が一部で問題にされた。
私としては疑問に思ったことを素直な気持ちで書いただけのことであり、どこが悪いのか、未だに理解できない。
人間の良心として、極めて当たり前のことを書いたつもりである。
いま改めて読み直しても、どうしていけないのか理解に苦しむ。
直接の「非難」理由は、あれが「会の代表意見と誤解される」と言うのだが、私の実質的な「署名」入りであり(「(川)」と表記したのは、これまでの「編集後記」での通例に従ったまでのこと、私、川口が書いたことは明白)、誤解される恐れはない。
むしろ、ああした見方が会だけでなく、日本社会の主流的意見となればよいと今でも信じて疑わない。

ことの発端は、一部の会員(複数)が「あれが会を代表する意見なら、自分は会を辞める」との意向を、事務局に伝えた(らしい)こと、それを受けて運営委員会でも「問題」とされた。
私としては「誤解」というのは理解に苦しむものの、混乱の責任を取って21号から編集委員を降りる仕儀となった(「混乱の責任」というのはまるで某政権政党の出身大臣が辞める際の口実と同じで苦笑ものだが)。
いま思うと、「編集後記」で私が批判したある種の人々の側に立って、テロに「理解」を示し、もっぱら米国を糾弾するような倒錯した意見を書いていたなら、おそらくこれほど「問題」にはされなかったことであろう。
そのような「意見」なら、会の意見と「誤解」されるうんぬんでもって、「退会意思」圧力をかけてくる向きも存在しなかったのであろう、と思われる。
そこに、日本社会の一角に巣食う、テロに宥和的な人々の意図を伺い知ることが出来る。
(なお、F氏が事務局に退会圧力をかけてきたホントの理由はこちらを参照のこと)

この「問題」が混乱した一つの要因としては、「編集後記」における私の主張が、私のインターネット上での発言とも合わせて「問題」とされた点も挙げられる。
当ウェブで私の主張を知った人が、わざわざプリントアウトまでして、インターネット環境にはないある会員に見せる、といったこともあったようである。
インターネットにアクセス可能な人と、そうした環境にない人との間の情報ギャップとでも言うべき事態に関しては、私は以前から自分なりの見方をしている。
インターネットに居る場合は、意見などはインターネット上でやり取りすればよい。
もし私の意見がおかしいと思うなら、堂々とメールを寄越して「ここがこう」おかしい、と指摘してもらえればありがたかった。
インターネットで見た意見をわざわざプリントアウトまでして、インターネットに居ない人に見せる行為をどう考えたらよいか。
それは一冊の本のわずかなページをコピーして見せて、「その本の著者の意見の全体」とするような詐欺行為であろうと思える。
見せられた側もインターネット環境にない以上、「その人の主張の一部」にすぎない、と割り引いて考えるぐらいの配慮はすべきであろう。
インターネットに参加するしないは、その人の「趣味」で尊重されるべきだが、自分の知らない世界をも自分の感性でもって捉えようとする「井の中の蛙」は困ったものである。
それにしても、私がわざわざインターネットで発信している主張を、あえて正しく伝わらないようなかたちで第3者に「伝えよう」とする、そこには、初めから何らかの悪意があるとしか思えないのは、まことに残念なことである。
思えば、「退会意思」圧力をかけてきた人びともインターネット環境にある。
私の意見がおかしいと思うなら、堂々と言って寄越せばよいのである。
どうして反論を寄越さないのか。

私は、「会報」20号の「編集後記」においても、またインターネットにおいても、自分の名前を明かし、言論責任を明らかにしたうえで、個人の意見を発信している。
私の主張の全体が、自律した個人の育成こそが市民社会の成熟につながる、との願いからのものであることも、理解できる人たちには理解してもらえていると信じていた。
ところが、今回の事態の推移は、私のこうした従来の願いとはまったく逆流し、極めて日本的に、自分たちの名は明かすことなく(「退会意思」圧力は匿名で、「会報」紙上には「運営委員会」名で)なされた。 そこがまことに残念でならない。

インターネットに限らず、日本の社会で市民が個人の意見を発信することの困難さを感じざるを得ない。 これが、テロに親和的という「共通意思」で「結ばれた」(?)団体なら、楽に意見を発信することも出来るのだろう。
山内昌之氏は今回のテロ事件のキーワードとして「開かれた社会とその敵」という、カール・ポパーの高名な著作のタイトルをもってした。
まさに、「開かれた社会の敵」がさまざまな圧力をかけて活動している現状に対し、私は市民社会に更なる警戒心を訴え続ける覚悟である。

少しまとめておこう。
(アイザイア・バーリンの主張、並びに米国前大統領クリントン氏のリチャード・ディンブルビー記念講演、参照)

世界には2つの考え方がある。
「この世には絶対に正しい真実というものがあり、それが人間に認識可能であり、いま自分(たち)が認識しているのがそれであって、そのことに少しでも異議を差し挟む異見に対して肉体的に破壊・抹殺も辞さない、あるいはせめて自分の目から遠ざけようとする」

このうち前者がテロリストの立場であり、後者はテロに宥和的な日本の一部人士の立場なのだろう。

もう1つの考えが、
「この世には人と人の間で了解される、(そう言ってよければ)相対的な真実しかなく、それは相互のコミュニケーションにより、異見をすり合わせることなしには形成され得ない」

こうした考え方を基本とした社会システムを構成しているのが、米国や欧州、もちろん日本も含めた現代の国際社会である。
この考えでも、不法な力の攻撃にはまず「適量の暴力」(エーコ)で対処することは共通の認識としてある。残念ながら、それ以外の方策は人類知の圏外だからだ。
もちろん、それだけでなく貧困対策や、大きなテロに発展しかねない地域紛争を解決しようと努力しているのが我々の社会なのである。

この2つの考えの根本を分かってない人(たち)とは、おそらく本当のコミュニケーションは出来ないのではないか。


「『未来都市』20号の「編集後記」について」(東京グラムシ会会報「未来都市」第21号掲載)への回答

文中の「1」は「会報」紙上に関わることであるので、ここでは触れない。
「2」はインターネットに関わる点であるので、インターネット上で回答としたい。
「2」で、私川口がインターネット上に開設している当ホームページについて、東京グラムシ会を代表するものと誤解を受けているので、誤解を受けないようなかたちに直してもらいたいとの「申し入れ」がなされている。
慎重に検討した結果、以下の理由にて、受け入れることはとうてい出来ない旨をもって回答とする。

0)私がインターネット上に開設しているのは「東京グラムシ会アン・オフィシャル・ホームページ」であり、1999年6月1日スタート、その後本年9月18日「アントニオ・グラムシ研究のためのウェブ」へと再編成した。2001年秋、アクセス数が1万件を突破した。
1)インターネット上での情報発信については、1999年4月24日東京グラムシ会第2回年次総会前後の時期に、運営委員会において、当会のホームページとして企画提案申し入れを行なったにも関わらず、残念ながら全体の許可を得ることがなかったため、いわば「勝手連」的にスタートさせたものである。
2)スタート当初より、開設者である私川口は当会会員ではあっても、当ホームページ自体は当会とは無関係である旨、幾重にも断ってある。
3)「勝手連」的なものであるとは言え、道義的には会の承諾を得るべきであると考え、同年6月12日、簡単な内容を運営委員会に紹介、許可を得ている。
4)「会報」のロゴに関して、おそらく「誤解」のもとであるとの見解からであろうが、使用をやめてもらいたいとも要請されている。しかしながら、あの「ロゴ」なるものに関しては「会報」紹介をホームページに加えるにあたり、その借用を依頼したが協力を得られず、そのため苦労して私が作成したというのが実態である。
そもそも「会報」には創刊号以来の共通のロゴがある訳ではなく、また商標登録をしてある訳でもない(これは推察だが)ゆえ、商標権侵害などには当たらないと考える。
5)文献リストなどに関し、会員を中心として広く情報提供への協力を求めたものの、ほとんど得られずに終始している。現今ホームページの大部分は、私の個人的な労力によるものである。
6)この2年半ほどの間、「会報」紹介、研究会案内、グラムシ文献リストなどで、一定の社会的注目を新たに受け、毎日新聞社からの刊行図書提供や、佐賀市立図書館での「サバルタンノート」納入など、会の名を社会に広めることに貢献することが出来た。また、幾人か決して数が多いとは言えないものの新規会員獲得の成果もあった。それらはみな旧来の活動ではとうてい望めない、インターネットならではの成果と言うことが出来る。
7)9月11日テロ事件に当たっては、トップページに開設者本人のメッセージを入れるよう編成変えを行なうため、従来のタイトルを含めて大きく変更、「東京グラムシ会正式ホームページ」であると誤解されないよう、最大限の配慮を加え済みである。
8)この「申し入れ」では、誰がどのように「誤解」しているのか、具体的な指摘がまったくなされていない。曖昧模糊たる、証明出来ない「事実」に対しては、反証も出来ない。
ただ、12月8日の運営委員会にて、唯一「誤解」され易い根拠として挙げられた、宮地健一氏のホームページ中のリンクにおける表記は、全面的に私の怠慢にて気づきつつ修正の依頼をしてこなかったものである。宮地氏には急遽事情を説明し、ただちに表記を変えていただいてある(責任は全面的に私にあり、宮地氏にはないことを重ねて断っておく)。
9)現状でも「誤解される恐れ」と言われるなら、9月11日以前でもそれは何ら変わらなかったはずである。どうしていま、この時点で特別に要請されるのか理解に苦しむが、思いつく理由はただひとつ、9月11日テロ事件に関する私の見解との関係である。
10)当該ホームページに一定のアクセス数があるのは、この2年半の私の個人的な努力の結果である。そうしたホームページに、私のテロ事件への個人的見解を置き、社会の多くの人に私の見解を読んでもらいたいと願い実行するのはごく自然なことであり、それは誰にも妨げられるものではない。
重ねて言う、私が独自のホームページ設計思想にもとづき、作成するのは私の市民としての権利であり、それを侵害せんとする試みに屈する訳にはいかない。
それが、テロに宥和的な、「開かれた社会の敵」勢力に遠慮しての圧力であるなら、なおのことである。

なお、当会の会員および運営委員の方で、外部の人間から「貴会のホームページ見ましたけど、最近どうしたのですか、何かおかしいですね」などと言われたら、次のように答えていただくよう要望したい。

「おかしいのは「テロにも報復にも反対」と建前的に言うだけで実はテロと闘うことに反対しているあなた方のほうではないですか。それにあれはちゃんとウェブ上で断ってあるとおり、当会の正式ホームページではなく、一会員が個人名を明かしたうえでやっているだけです。おかしいと思うのはあなたの勝手ですが、それならホームページ開設者に具体的にどこがどうおかしいのか、あなたの名前を明かして言論責任をきちんと取る方向で、あなたの責任において言ってやってください。インターネットで大事なのは個人個人の情報・意見の発信だって聞いてますがね」



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