少年の父は阪神ファンだった。
生まれも育ちも東京の父がなぜタイガースファンだったのかは定かではない。
ただひとつ「巨人はフロントが嫌いだ」と言っていたの幼少の身ながら覚えている。
「巨人が嫌いだから阪神ファン」パ・リーグのメディアへの露出が少なかった当時としては阪神ファンになるのも不思議ではないだろう…
そんな父が野球を覚えたての少年を後楽園球場に連れて行ってくれた。
「巨人戦は混んでいて野球を見る雰囲気じゃないからなぁ」
そう言って連れて行ってくれた後楽園球場。
少年はあの日の記憶をはっきりと覚えている。
1977年4月24日(日曜日)日本ハム−近鉄戦。先発投手が誰だったかは覚えていない(佐伯和司だったかな?)。
"どうせ見るなら"と大枚はたいて三人分(弟も一緒)の内野指定A席(当然三枚とも大人料金)。まずは25番ゲートへ行ってファンクラブの特典をもらい、更には父にもカミソリのプレゼント(笑)そこから22番の正面ゲートへ移動していざ球場内へ。空席だらけの内野席、ベンチの上で応援している応援団、明るい緑の人工芝、トイレと焼きそばの臭いが混じったコンコース、そして爽やかなストライプのファイターズのユニフォームを纏った大沢監督、富田、ミッチェル(それくらいしか知っている選手はいなかった…)。なにもかもが新鮮だった。結局、試合には負けてしまったけれどこれが少年の後楽園デビューだった。
ソフトクリームを食べながらの観戦、父はビールを片手に観戦。「大人になったら僕もビールを片手に毎試合、内野席で観戦したいなぁ…」子供心にも内野席は値段の高い席だと言うことは認識していたらしくいつしかこんな夢を抱いていた(笑)
そんな"ボールパーク"に魅せられた少年は後楽園球場へ通いはじめる。父との会話も野球が中心。それまでパ・リーグには興味なかった父もファイターズの選手の名前を覚えていってくれた。
「よーし、そのうち日本シリーズで日本ハムと阪神の対戦だ!!」
という親子対決も夢見ていた。
当時は、ダイナマイト打線もしぼみはじめたタイガースに父は「阪神が優勝するまで死ねないぞ」が口癖だった。
そんな父、奇跡の85年猛虎優勝の翌年、急逝した。ファイターズvsタイガースは見られなかったけどタイガースの優勝を見て死ねた父は幸せだったんだろうなぁ…
父と初めて行った後楽園球場…
父と自転車で通ったファイターズのホームグラウンド…
そんな父との想い出が札幌移転により、またひとつ消えてゆく…
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