そうそう、小学生だったころこんなエピソードがあるので紹介します。
6月頃だったかな…前期終了間近の後楽園球場のダブルヘッダー、確か大沢監督が第二試合で退場になった試合のあとです。
球場をあとにした少年は帽子が頭の上にないのに気が付きました。
時は既に夜の帳が降り始め、もう場内は扉が閉められていて中には入れません。
仕方なく正面ゲート近くの事務所入り口(選手はここから出入りします)を訪ねて職員の方に事情を説明しました。職員の方は丁寧に少年を案内してくれて事務所の椅子に腰掛けるようにすすめてくれました。
「少し待っていてね。今探してもらっているから」
大切な選手のサインがぎっしりつまった帽子を紛失したのです。少年は泣きたくなるのを堪えていました。
そんなとき、扉が開き見たことのある顔が…
「おおぃ、坊主どうしたんだ?」
大沢親分でした。
「帽子をなくしちゃったんです…」
「そりゃぁ大変だなぁ、宝物じゃねえのか?」
そういいながら事務所の自動販売機にコインを入れてコーラを少年に差し出してくれました。
「まぁ、これでも飲んで元気出せや」
試合中は選手のために体を張って審判と闘っていた親分…落ち込んでいる一少年ファンを見て声をかけてくれる。これこそ究極のファンサービスなのではないでしょうか。結局、帽子は見つかりませんでしたがなににも代え難い"記憶"という素晴らしい宝物になりました。
優しい親分の顔、今でも鮮明に残っています。一生忘れないことでしょう…
優勝した昭和56年頃を境に、少年ファイターズの特典が寂しくなってきました。
毎月来ていたハガキも2ヶ月に一回とか、頻度が減ってきて…
中学生になった周囲の友達は部活に明け暮れたり、続々と出来はじめた他球団の少年ファンクラブに鞍替えしていきました。それでも少年はファイターズファンでいて少年ファイターズに入会していました。
しかし…
昭和59年、少年が高校に進学した頃、ファンクラブの持つメリットが無くなってきたことを実感しました。高校生以上は少年ファイターズには入会できません。大人と同じファンクラブに入会しなければならないのです。自分で小遣いもそれほど自由にならない高校生が大人と同じ会費、特典ではどうでしょうか?ファンクラブ離れしていってしまいます。少年もそんな一人だったのかもしれません。他にも同じようなファンがいたんじゃないかなぁ…
チームも優勝した当時全盛期だった選手も数少なくなってきて、それまで生活の一部だった野球観戦が他の趣味にはしり少年の中でのファイターズ熱は次第に冷めていったのです。
しかし、他の球団を応援するでもなく、「どこのファン?」と聞かれればやはり「日本ハム」と答えてしまう。
そんな時期を経て少年は青年になっていったのでした。
続く…
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