ときは今から25年前、少年ファイターズ会に入会していた少年の話しです。

それは少年が小学校の4年生の春でした。
きっかけは、近所の肉屋に母親と買い物に行ったとき入会申込書が置いてあったから…
なにげなく見た申込書、それが少年と日本ハムファイターズの出会いでした。
申込書に書いてあった特典のベスト、白いジーンズ地にnhのマークの釦が格好よかった。
そういえばクラスの友達が学校に着てきていたなぁ…
母親にねだり現金書留で申込書と入会金を送る。少年の心は既に少年ファイターズの会員でした。
毎日学校から帰宅する度に「まだ来ない?」と楽しみにしていました。
一週間くらいが過ぎた頃、私宛の小包が六本木から届けられていました。
浮き立つ心を抑えて包みを開け、真っ白のベストと帽子を被り少年は友達の待つ公園に野球をしに行きました。
東京に住む少年達は殆どが黒地にGYの帽子を被っていた頃ですので青地に赤い鍔の帽子はかなり目立ちます。
当時、少年のためのファンクラブはファイターズしかありませんでした。
(翌年にロッテがバブルボーイズ&ガールズ、その翌年にライオンズがライオンズ友の会を発足)
格好いい特典に魅せられて少年の周囲は瞬く間に少年ファイターズのブームがやってきました。
一ヶ月に一度は必ず来るハガキ。その内容は「少年ファイターズデー」土日の後楽園主催試合が大概でした。
C指定席及び外野席には無料入場、時にはB指定席招待も…
ハガキが来た翌日には友達と集い、いつ見に行く?という話しからファイターズの話題で持ちきりでした。
先着何名様には選手のブロマイド(A3くらいの大きさ)プレゼント。
連れ添いのお父さんにはShickのカミソリ(なんでだ?)をプレゼント。今考えてみると凄い太っ腹ですよね。
鳴門デー(当時のキャンプ地は徳島の鳴門)にはお母さんも喜ぶ鳴門のワカメプレゼントなんてのもありました。
その他、球団の小旗、サイン帳、リストバンド、ガイドブック etc.
少年ファン確保のため営業は並々ならぬ努力をされたことでしょう。
後楽園球場のライトスタンドはいつも少年ファンでいっぱいでした。
オールスターでファイターズの選手が組織票で8人選出されたのもこのころですよね?
マンモスプールの横に駐車場があり、朝早く行って選手からサインをもらうのも日課でした。
(試合が終わった後はガードマンがいて中に入れないんだよね…)
特典も、ベストに始まり、ユニフォームシャツ、ブルゾン、スポーツバッグ、ウインドブレーカー。
当然、帽子も毎年付いてきます。
昭和54年だったかなぁ…帽子の横が赤く青い部分との境界線に白いラインを入れたデザインの帽子もありましたね。あれはもうどこにもないでしょうねぇ…
ファン感謝デーも場所は二子玉川園や向ヶ丘遊園、現在の鎌ヶ谷のように選手とのふれあいがありました。
冬の後楽園球場はサーカスのテントがが張られていました。
そこにもファイターズファンを呼んでサーカスの前座として新入団選手を紹介したり抽選会をしたり…
一年を通してファンクラブの楽しみがありました。
中学生になるとみんな部活や学業に忙しくなり一緒に後楽園球場に行く友達も減ってきました。
しかし少年は、毎週一人でも後楽園球場に足を運びました。いつしか少年は真のファイターズファンなっていたのです。

続く…


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