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カメラを近づけすぎて像がぼやけるもどかしさ。眼はなんとか距離を確保しようともがくと同時に、対象に「届き得ない」苛立ちにさいなまれる。距離を欠いては心地よく働けない眼という道具。「距離はそれ自体は視覚不可能である」とG.バークリは述べた。距離は見るために不可欠であるとともに、それ自体は見ることができないのである。

 写真のイメージを素材として描き出す伊庭靖子の制作上では、イリュージョンとしての像を導くことについての懐疑はない。だがそのイリュージョンはけっして写真のイメージに奉仕するわけではない。撮影時にあったはずの距離、イリュージョンとして像を結ぶにちがいない距離、そして筆を運びつつある時の画布との距離。未知の距離を既知の距離に送り返しつつ、筆を運ぶ現在に向かい合うのである。そして同時に対象のテクスチュアに触れたい、「届きたい」と願う、接近への思いと、見るために「離れたい」思いが拮抗する。カメラによるイメージの細部に見出したテクスチュアと形の新鮮さと艶やかさは、この往還と拮抗とを介して、絵画としての強度を備え始める。立ち上がるのは、像としてのイリュージョンである以前に、実体としてはそこにはあり得ない、イリュージョンとしての距離なのかもしれない。

中谷至宏(京都市美術館学芸員)