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「イマージュの測定術」

ギャラリーαM

人の目がなにかを見つめるとき、それ以外のものは焦点がぼやけた状態になる。見ることは選ぶこと。あるものを見ていることは、同時に他が見えないということである。

 伊庭靖子は、見ることのメカニズムのもつ秘密を、カメラ・アイを使って魅惑的に表出させる。非写界深度をごく浅く設定して接写した布地やビールの入ったグラスなどのモティーフを、キャンヴァス上に油彩で綿密に拡大描写する。この独特なプロセスによって完成する伊庭の絵画のなかで、焦点の合ったわずかな箇所とピンぼけの部分の描写が、迫り来るような強烈なコントラストを生みだしている。これまでに発表された植物をモティーフとしたシリーズや、シャツの襟元を描いた作品では、植物の醸す湿気や人間の胸元から立ち上る体温など、官能的ともいえる気配が漂っていたが、本展の布地の作品ではもはや「製品」の形を予測しえないほどにモティーフはクローズ・アップされ、あらゆる物語的連想の余地は見あたらない。それだけに、見えること、ぼやけることという視覚的テーマがより明確に、より大胆に表現されているといえよう。

 とくに強い印象を受けたのは、それぞれ青と白、赤と白の格子模様の布地を描いた二点であった。織り込まれていく青と白の縦糸、横糸の一本一本とそこに生じる四角い空間や、繊維の毛羽立ちまでを精密に表現した描写には、ぞっとするほどのリアリスティックな力がある。しかし、明るく浮き上がった焦点部分からほんの少し離れただけで、たちまちそこは具象性をまったく失った色のにじみとなる。絞られた焦点によって執拗なまでに浮き彫りにされた部分とそれを取り巻く完全な抽象との対比が、「見る」ことのダイナミズム(それはほとんど暴力的ともいえる視線のエゴイズムだ)を放出している。

 見慣れた写真の世界では見落とされてしまうであろうなにかを、伊庭は卓越した筆致による堂々たる絵画のなかに暴きだす。そこには、バロックの画家たちが見出した光や印象派が抽象のなかに求めたリアリズムが、今日的な形となって表われ、新たなドラマを呼び起こしている。


荒木夏実