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個展 番画廊

軟焦点はしばしば情緒的な表現のための手段として用いられる。それはカメラ・アイを介してはじめて現前し、確実に近代映像文明の一側面を象徴するものであろう。私などは眼鏡を外せば即世界中が軟焦点となるわけで、手軽にロマンティック体験ができそうだが実際は危なっかしくてどうしようもない。

そういえば、視力の低下がとくに身体機能の不全として意識されにくくなったのはいつごろからなのだろう。少なくとも、現代の視覚文化は、人間本来の生理的限界をはるかに凌駕してしまっているようだ。

葉や蕾など、植物の各部分を自由に構成し、クローズ・アップで撮影する。その写真を百号なら百号のキャンヴァスに油彩で忠実に拡大する。作品はこのような制作過程を経ているが、有機的形態、絵画と写真、複製といった常套句が先行するのではなく、あくまでも視覚の神秘に対する直観的な好奇心が制作の源泉となっている。接写による”ボケ”はここでは手段ではなく、それ自体目的と化しており、それを描く行為は、いわば不可視を見据えようとする逆説的な態度にほかならない。その視線の強靭さこそが伊庭の絵画を成立させる要点であろう。くれぐれも眼は大切に。


山本敦夫