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ダイムラー・クライスラー・グループの招聘により、ひと夏フランスに滞在し、作品制作を行った成果を発表した個展。
いったん写真に撮った対象物を油彩で描くという手法を用いる伊庭は、ゲルハルト・リヒターのように自分の主観を極力排除し、映像そのものをキャンヴァスに写しとろうとする。これまでの作品には布やお菓子、果物など身の周りの身近なものが対象として選ばれてきた。色や光の透明感を追い求めて、対象はクローズアップとなり、しかも実寸よりもはるかに大きく描かれるため一見なにが描かれているのかわからない、というところがかえって見る側の興味を引きつけてきた。
会場で繰り返し上映されていた制作現場の記録映像から、フランスでもそのやり方はまったく変わらなかったということがわかる。
変わったのは作家を取り巻く空間的環境であり、大気、光だ。伊庭は日本でするのとおなじように現地で調達した花や果物を撮影し、その写真を見ながらキャンヴァスに下絵を描き、ペイントしていくのだが、光の感じは日本よりも鮮明で力強い。どの作品も色彩は美しく、申し分ない。だが、美しく描くことが彼女の目的ではないはずだ。彼女は光を、透明な光をキャンヴァスに定着させたかったはずだ。写真をとおして見ることや、見えるものとはなにかをもっと純化させなければならなかったはずだ。そして、見ているものに対して私たちが抱いているありふれたイメージを翻弄するのが彼女の絵であったはずなのに。
制作期間が限られていたからだろうか、作品は技術を駆使し画面をまとめることに終始してしまい、本来の持ち味をさらに高めるまでに至らなかったのは残念だった。

原田 環