耳鼻咽喉科医50年の徒然草


はしがき 

青年医の時はまだまだ先輩に見習うこと多く、学習ばかりで、医学や診療の事を自分で工夫したり開発する事は殆どなく、だた診療と学位論文が自分の最大の関心事であり、そこから逃避する生活など考えられませんでした。随分と家庭も犠牲になったと思います。
学会にもよく発表もしました。しかし、それらは一応医学論文でしたが、自然科学として深く考え抜いたものではなく、思考過程が小学生の日記や観察に近く、今ふりかえると恥ずかしいものばかりでした。整理してまとめる気にもなりません。
「科学者として最も楽しいことは自然の真理に近づいたと感じるスリリングな瞬間である。」と恩師の細菌学者、西田尚紀先生はいわれていましたが、まさしくその瞬間とは「そうだ」とポーンと手を叩きたくなる時であると思います。
 日常診療や生活の中の現象には誰も考えない未解決のものがまだいっぱいあります。なんかテーマを見つけてその考えに調和する現象がないか?と考えながら人様の文献や実験データをみていると案外いいものを発見します。しかもその著者とは違った視点で参考にする事もあります。これはものすごくわが大脳を刺激してくれます。これは暗記中心の受験勉強などとは全く異質のものです。しかし、こんな事が出来るようになったのも齢70を過ぎてからであり、甚だ遅すぎた感はありますが、それでも考えることの楽しさに気づいた事は嬉しいこと思います。私の大脳というハードディスクが壊れる前に、いくらかでもその経験談やアイデアなど、ダウンロードしておきたいと願い文章にする事にしました。内容は学術論文ではありませんので気ままな自分流のもので、簡単な思いつき程度のものや可成りいいかげんなものもある様ですが、お許しいただいて、寛容の精神で目を通していただければ幸いです。
2009年1月

拙著を雑誌「耳鼻咽喉科」編集されている山本悦生先生にお見せしたところ過分の激励のお言葉をいただき、修正印刷発行する事にいたしました。



               医療法人社団 耳順会 ひょうたん町耳鼻咽喉科医院
         顧問 石丸 幹夫
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一般診療


鼻出血止血法

 幸いな事には これまで 多くの鼻出血の患者で止血出来なかったことは一度もなかった。文献をみると苦労している症例も沢山あり、いろんなタンポンの工夫や はては入院、動脈の結紮など大変なこと多い。
 私はこれまで多くの鼻の手術を手がけ、随分と血管も切ったと思うが、みな何とか止血していた。この事から血管収縮剤を浸したガーゼでの出血部の圧迫で止血しない場合は手術の麻酔のつもりでアドレナリン液を直接、出血部の粘膜下へ注射を行うことにした。例えば5mlの注射器にカテラン針をつけ、ボスミン0.1ml加1%キシロカイン3mlをつめ局所に0.5ml注射する。鼻中隔前部のキーゼルバッハ部位ならばその出血血管の周囲の軟骨膜下に注射し、下鼻甲介後部あたりの蝶口蓋動脈の枝が疑われるときは下鼻甲介粘膜を前方から芋刺しにするように注射する。特に場所のはっきりしない深部の鼻出血にはこれが甚だ効果的である。
本当に泉の湧出が止まるように止血する。その後、血液凝塊を完全に除去し、出血血管を焼く。もちろん鼻出血の時は高血圧のことが多く降圧させることは必要である。
これでほとんどの患者さんはタンポンなしで帰宅出来る。 ただボスミンは速効性であるが、持続時間が短いので、処置後、局所をナシビン液(0.05%塩酸オキシメタゾリン液)を浸したガーゼで数分間、追加圧迫する。ナシビンは約8時間その効力が持続する。
このようなことはしかし、よく調べると他にもよくにた文献もあり、すでに私も40年前に学会にも発表したが、これらはどこにも引用もされず指導書の止血手技にも記載されていないままになっている。



鼻中隔彎曲矯正手術の術後血種

 折角、手術したのに術後剥離した粘膜の間に血液凝塊ができ、鼻閉塞が一向によくならないことがある。そこでもう一度粘膜をはがして血液凝塊を除去しタンポンをしっかり挿入しなおす。患者さんにとってはまた一晩口呼吸せねばならず、苦しいことこの上もない。
そこで術後剥離した粘膜の最深部に、小切開を入れ、血液の流れ出口を作っておいてやると そのようなことは起こらない。このことはみな知っているのかも知れない。



鼻たけをとったら なお鼻づまりがひどくなった。

 大きなポリープのを迷いもせず摘出したら、余計 鼻閉塞! 原因は鼻中隔にあった。既に手術すみで それが軟骨膜下でなく、粘膜下に剥離して軟骨除去した手術症例であった。呼吸の度に弁状にゆるい鼻中隔粘膜が動いていた。どうやら巨大鼻たけで動き
を抑えていたようである。



副鼻腔洗浄について

 どうして副鼻腔を(ふくびくう)と発音するようになったのかわけらないが、本当は(ふくびこう)であろう。また洗浄はもともとの字は洗滌であろうが、これは(せんでき)というらしい。
さて副鼻腔といっても手術後のものでなければ、上顎洞洗浄がおおい。この手技は容易なもから甚だ困難なものまでいろいろある。内視鏡で見て、自然孔がばっちりひらいているものから、全然みえないどころかポリープでしっかり塞がっているものまである。
洗浄管には先人の工夫したものがいろいろあるが、私はどこにでもある喉頭注入器の銀製の管を利用している。患者さんの鼻腔の形態にあわせて折り曲げる。かなりつよく曲げなければなない。中鼻道を後ろから前方にむかって先をすすめ上顎洞内に挿入出来る。
麻酔はキシロカインのスプレイやガーゼでは痛がってやれないことが多いが、キシロカイン・ボスミンガーゼで中鼻道をしっかり表面麻酔後、中鼻道をしっかり拡げ、下鼻甲介にキシロカインを充分注射して麻酔する。必ずしも中鼻道でなくてもよく効く。これで案外はいる。あとは生理食塩水で洗浄し、出てきた液体の細菌検査にまわし、抗生物質の注入をする。案外、微熱の原因が上顎洞の感染によることも多い。



前頭洞鼻内手術

 前し骨洞の鼻内開放をしっかりやったあと、わん曲した鼻用鋭匙で解剖を考えながら前上方にすすめて軽くそう把すると すっと前頭洞に入る。これにはやはりし骨洞の天蓋をしっかり確認し、その最深部に入れた鋭匙で下部に残った胞巣の残った前下部をひっかくようにして前頭洞に入る。決してけっして上深部に進んではならない。その時は側壁の感触をつかみ、しづかにすすみ前後左右のそう把開放をする。なれてくると鋭匙の先にセンサーがあるように思える。眼か紙様板のやわらかい感触もわかる。すこし鋭匙の先を揺さぶり通路壁の感触を確かめながら進む。これが内視鏡手術が現れる前の手技であるが、術後、内視鏡で確認してみると結構うまくいっている。これは何十年もしてきた方法であるが、局所麻酔であるし、外来でもやれて便利であった。
この方法はかっての国立金沢病院の種村龍夫院長の開発された方法であるが、前頭洞への通路の骨壁を削開したり、傷つけないようにするのがみそである。手術時間もものすごく短い。



鼻根部の重圧感、疼痛、頭がぼーとする感じ

 確かに副鼻腔に膿汁がたまると不愉快かもしれない。特にブドウ球菌などの毒素産生菌ならなおさらである。しかし、手術後の嚢胞などの貯留膿からは細菌が分離されることは少ない。ではこの不快感はなにゆえか? 細菌毒素よりも貯留液による圧迫感や血液の循環障害のためであろう。
このような場合、一般に中鼻道が狭く側壁が膨隆しており、下鼻甲介の後上部の腫脹が見られる、そこを血管収縮剤をひたしたガ−ぜで処置するだけで大分すっきりする。空気が通っていても鼻閉塞感があり、大変不愉快な事もある。。自宅などでは一時的に運動をしたり、チューインガムを噛んだり、鼻に蒸しタオルをあてて呼吸をしたりして血液の局所の血液循環を良くしてやれば大分すっきりする。
50年間大きな鼻たけがあって全く鼻呼吸が出来ていないお年寄りがおられたが、鼻閉塞の苦痛を言われたことはなかった。「ポリープをとってすっきりして上げましょう」といっても、強く拒否された。この場合慢性副鼻腔炎もあるにきまっているが、昔なら徹底的な根治手術適応であろう。しかし、かっての手術法は鼻・副鼻腔の粘膜にはん痕組織を作り過ぎた感がある。これは粘液の流れを阻害するばかりか血液の循環を悪くし、局所のうっ血や貧血を来し、不快感どころか疼痛まで起こす。また副鼻腔の換気障害は気圧性の副鼻腔障害を起こしやすく頭痛の原因になる。鼻の気分が爽快であれば勉強も仕事もはかどり、性格も明るくなる。学校でも職場でも家庭でもこの点あまり認識も理解も少ない様に思われる。。自分の経験であるが医学部入試前、物理学の教科書が気持ち悪いくらいに頭入り、一冊を読むスピードの速いこと一晩で完全に仕上がった経験があった。試験は満点であった。あんな事はそれ以来もうない。元来、鼻づまりの多い私にはいつも変なインパルスが鼻からでていて我が大脳の学習の邪魔をしているのに違いないと思っている。



すばらしいベスキチン膜

鼻中隔わん曲矯正術、鼓膜穿孔閉鎖術、副鼻腔鼻内手術、下鼻甲介切除術などで用いると癒着や出血が殆どなく、大変利用しやすい。
蟹のカラからつくったといわれているが、タンポン除去後の出血が少ないのが素晴らしい。
下鼻甲介切除術は一晩タンポンを挿入し、止血をまつが、患者さんには苦しいものである。しっかり鼻にタンポンがつまっていると唾液を嚥下しても耳まで響くし、まったく睡眠も出来ない。今まではいろいろ工夫しゴム膜つきのガーゼタンポンなども使ったが、再挿入もかなりあった。現在はベスキチンはどこでも常識的によく使用されている。



副鼻腔手術後の嚢胞

 かっての鼻外法と呼ばれていたコールドウエル ルック法やデンケル法などで行われた手術の残存粘膜のせいであるといわれている。
一番問題なのは中鼻道付近のし骨洞と上顎洞の境界附近の処理である。内視鏡での手術がはじまった頃、鼻内のみから徹底的にし骨洞・前頭洞・上顎洞を開放してみたが、この鼻内手術後、コールドウエル ルック法で確認してみると、やはり盲点はここの処理である。
あまりの後部まであけると分泌物の流れが後方にいくし、小さくてはすぐ閉塞する。術後しっかり管理すべき場所である。
手術後の嚢胞は昔の名人といわれた医師の手術でもみられるが、やはり出現するには年数がかかる。患者さんが長生きしたり、医師がも他界してからでてくるものもある。この場合は大体、下鼻道の対孔部か し骨洞と上顎洞の境界部に多いから発見されすい。
開放も膨隆しているから容易であるが、下鼻甲介の付着部の裏側に病的粘膜が残存している場合は厄介である。内視鏡で徹底的に仕上げなければ一時的に良くてもまた鼻閉塞や鼻重圧感の原因になる。




感染症について

抗生物質の効かない前頭痛

 いろいろ効きそうな抗生物質を使用したが効果がない。分泌物もほとんどない。レントゲン検査でもあまり陰影もなかったが、前頭洞を鼻内から試験開放して内視鏡で確認したら前頭洞粘膜にcandidaらしいコロニーがしっかり存在していた。抗真菌剤の局所注入、と内服ですぐよくなった。




副鼻腔にすみついた厄介なMRCNS

(メチシリン耐性コアグラーゼ陰性ブドウ球菌 methicillin resistant coagulase negative Staphylococcus S.epidermidis)が副鼻腔に感染して住み着くと、鼻漏の膿汁化も殆んどないくせに、しつこく白色透明な後鼻漏が少量ずつだがやたらとでることが多い。
特に手術のしてある副鼻腔に多い。本人は鼻根部や頬部の重圧感や頭がぼーとして困るという。
一例をあげると その細菌の私の検査室での感受性テスト成績は抗生物質はPCG、ABPC、AMPC、MIPC、MCIPC、SBPC、SBTPC、CET、CEZ、CTM、CXM、CZX、CEX、CCL、CFDN、CDTR FMOX、KM、GM、TOB、AMK、NTL、EM、CAM、AZM、LCM、CLDM、PL、FOMはすべて(R)、TC、MINO、NBは(S)CPは(I)ニューキノロンはNFLX、OFLX、CPFX、TFLX、FLRX、LVFX、すべて(R)という厄介なものである。NBは昔はノボビオシンといわれ、キャソマイシン、アルビオシンと言う商品名で販売されていたが、現在は存在しない。動物用か水産業に使用されているのかも知れない。MINO(ミノマイシン)やTC(テトラサイクリン)製品も本当に少なく今では手に入りにくくなった。後はもうVOM(バンコマイシン)しかない。仕方ないから、鼻処置して清拭し鼻汁の流れよくする様に努力して、様子をみていた。

この症例は2007.8.12の検体であったが2007.10.12の再検査でもまだ消失せず。対象療法のみして放置し、様子をみながら細菌フローラが変わるのまって、2008.3.12に再採取して調べたら、感受性のStaphylococcus epidermidisにかわっていた。しかし、症状が再燃し、又調べたらやはり、またもやMRCNSが出現していた。処置にニュ−キノロンのタリビット液を副鼻腔内に注入すると2〜3日間は症状がよくなるが、すぐ効かなくなり、そのとき耐性菌がまた増えた様である。



変異の速いブドウ球菌

 Staphylococcusの平板培養をしていると、白い一つのコロニーで一部が扇状に黄変していることが時々ある。この現象は突然変異クローンの発生を意味する。これが液体培地で起こるならば、数回継代培養しているうちに環境に適応した細菌ばかりになってしまう。私はかってClostridium perfringens(ウエルシュ菌)の毒素産生能が培地により、また継代であまりに変化するので、液体培地と固形培地とで10回継代培養し、比較してみたことがある。液体培地に比べて固形培地は非常に安定していた。勿論、固形培地の釣菌は単一コロニーである。分離菌が当初と全く変化しないで、保存出来れば研究にも大変助かるが、そうもいかない現状である。薬剤環境になじんでない209P株や寺島株はその点、貴重である。
変異の仕方にはいくつかあるらしい。突然変異が原因であることを見事に証明したのがレーダーバーク夫妻である。スタンプ法で薬剤に接触しなくても耐性菌が発生する事を証明した。その他、変異の原因は 細菌の接合、形質導入、形質転換、溶原菌(細菌ウイルス感染)などもっと積極的な方法もある。しかし、人間の身体環境は薬剤耐性ブドウ球菌にはあまりなじめないらしく、その薬剤を長く使用しなければ、感受性菌になってしまうことは往々経験するところである。これは他の項目で述べたい。



急性中耳炎とブドウ球菌

半世紀前は急性中耳炎の起炎菌の主力はブドウ球菌であると考えられていた。とういうのも病巣からの分離頻度がもっとも多かったからである。最高70%の報告もあり、当時は肺炎球菌は10%ぐらいといわれていた。しかし、現在肺炎球菌が圧倒的に多い。この理由は起炎菌の種類が近年かわって来たのだろうか?今では急性中耳炎といえば 肺炎球菌、インフルエンザ菌 ブランハメラなどが問題にされ、ブドウ球菌は無視されるくらいである。もともと表皮にいたものが汚染したものと思っている人も多い。そこで、病巣からコンタミネーションのないようにかなり厳重に細菌を採取してみたが、やはりある程度分離される。鼓膜切開や穿刺の膿でも数%みられる。そこで切開直前に汚染源と思われる外耳道のブドウ球菌の検出をよくするために 綿棒にハートインヒュージョン培地を浸して、外耳道のみから採取してみたが、ほとんどブドウ菌が出てこなくて、切開での膿からのみ分離された。やはり中耳腔内にいたらしい。
しかし、鼓膜切開なしに自然穿孔での耳漏からはブドウ球菌の分離頻度は切開で得たものよりもやはり高い。理由としてブドウ球菌に感染するとその壊死毒のためか鼓膜穿孔がしやすくなったものとも考えられる。しかし、汚染説も否定はできない。
一般に細菌の採取は必ずしも切開直後や耳漏発生直後ではない。切開直後はあんなに多かった肺炎球菌が日数とともに分離頻度が減少し、ブドウ球菌の分離頻度が増えてくることである。もともと中耳腔にいたものか外耳道からの汚染かわからないが、昔、ブドウ球菌の頻度が高かったのはこれら″病日に関係なくまとめて報告していたのかもしれない。そこで急性中耳炎の耳漏を毎日調べてみると肺炎球菌は数日で分離できなくなるが、インフルエンザ菌やブドウ球菌はなかなか消えてくれない。結局、起炎菌をきめるには なるべく早いほうがいい。抗生物質が効かないからといって数日たってからではブドウ球菌を採取する頻度が増してしまう。正確には治療開始時に中耳と鼻咽腔粘液から分離するのが良い。
インフルエンザ菌とブドウ球菌は仲がよい。同時分離もよくある。この場合のブドウ球菌の役割はどうなのか?単なるインフルエンザ菌へのV因子の栄養補給役なのか、ともに病原性を発揮しているのかわからない。



黄色ブドウ球菌Staphylococcus aureusの耐性菌の変動  
 使用薬剤環境に鋭敏に反応する。

 この問題は私のクリニックで40年間追い続けたテーマでの一つである。
話はさかのぼって昭和34年頃の話であるが、国立金沢病院に勤務していた頃、院内に30mcgクロラムフェニコール耐性菌が出現したとの報告を受けた。そしてその源をを調べたら耳鼻咽喉科であったとの事であった。当時、病院の検査科長をしておられた伊藤博先生(現在伊藤病院長)がいわれたのを記憶している。まもなく長男が生まれたが、生後何ヶ月頃か、発熱がなかなか下がらず、主治医の先生はクロマイパルミテートを処方したが、
全然よくならないでいたが、腰部に膿瘍を発見、切開排膿した。さっそく菌を調べたらクロマイ耐性ブドウ球菌であり、オレアンドマイシンで完治した。
当時は抗生物質耐性ブドウ球菌の出現は報告に値する事件であったが、それが現在では耐性菌が当たり前になってしまった。
逆にペニシリン感受性ブドウ球菌による感染例などは報告に値する症例かも知れない。
私がブドウ球菌にこだわる理由はその時代に流行する抗生物質によって耐性のパターンがかなりスピーディに変化することにある。もちろんブドウ球菌は耳鼻咽喉科領域ではやはり大切な病原菌であるが、分離や培養がし易いし、保存もしやすい事もある。
 ところで、この菌への抗生物質の使用の指導指針はいつもピッタリと合っているように思えない。なぜなら耐性パターンは保菌者の環境やかかっている医療機関で大分変動するからである。しかも耐性パターンの変化はStaphyloccocusを狙い撃ちしたためではなく、
肺炎球菌やインフルエンザ菌、その他腸内細菌などの感染の治療をしているうちにStaphyloccocusも耐性化したわけである。
このように 細菌の薬剤耐性化は予想された結末であるとしても甚だ厄介な出来事である。 抗菌剤の使用指針もめまぐるしく変動するし、慎重によく考えて使用する様に言われても具体的には難しく、もう見捨てられた抗生物質がまた有効になっていたり、どうしてまだこの薬が使用されているのか思われることもある不思議な現実がある。
私はこれまで自分のクリニックで分離した細菌については約40種以上の薬剤感受性テストを常に行っていたが、Staphylokcoccus aureusを追跡していると現在の流行薬剤による影響を如実に反映していることがわかる。1996年〜1999はまさにペニシリンにとって暗黒時代の極みであった。ペニシリンGのみならずオキサシリン系も殆ど耐性化していた。しかし、もうみな諦めて使用しなかったせいか、その後、次第に回復し、驚くなかれ2005年にはメチシリン(スタフシリン)さらにβーラクタマーゼ感受性のアンピシリンにさえ95%が感受性株になっていた。しかしこの現象は2年しか続かず、2007年にはメチシリンは何とか90%で頑張っているが、アンピシリンは10%にまで急墜してしまった。原因の一つは肺炎球菌へのABPCやAMPCの大量使用療法があるのかも知れない。
セフェム系は2004年まで85%を維持していて有効であったセフメノキシムが2006〜2007年には50%までさがってしまった。
しかし、セファロスポリン系第一世代が80〜90%にと徐々に上がっている。安定しているのはフロモキセフ(フルマリン)でり、90%以上を保っている。
2005年からアミノ配糖体はネチルマイシン90%、ゲンタマイシン、トブラマイシンが80%と続く、ストレプトマイシンやカナマイシンは役に立たなくなってしまった。
マクロライドはどれも50%台である。
面白いのはニューキノロン系である。2004年まで90%以上で首位を保っていたトスフロキサシンが2005年か急墜2007年には15%になってしまった。代わって台頭したのが、オフロキサシン(タリビット)とレボフロキサシン(クラビット)である。2003年までは50〜60%を低迷いていたのに2006〜2007年90%にまで急上昇である。どうしてそのようになったのか理由はわからない。
同じニューキノロンでも耐性のメカニズムはいろいろあるのかも知れない。
他の抗生物質でかなり安定しているのはミノサイクリンであり、続いてテトラサイクリンである。テトラサイクリン系抗生物質の耐性菌がみつかってからすでに半世紀にもなるが、まだ80〜90%の感受性菌がいるとは驚きである。使用量のせいかも知れない。
バンコマイシンはMRSAの切り札として滅多に使用しないせいかも知らないが、2000〜2007年90〜100%を保っている。ただ、1996〜1999年は成績が悪く、感受性測定方法によったのかも知らないが50%以下であったのは不思議である。
テトラサイクリン系とよく似た成績をしめしたが、今は使用されてないノボビオシンは2004年までは90%が感受性菌であった。
昔懐かしい抗生物質であり、キャソマイシンとかアルビオシンと言われていたもので、テトラサイクリンとの合剤のキャソサイクリンは副鼻腔炎によく効いた。現在は全く販売されず、メーカーの人も知らないくらいである。不思議と感受性測定用のディスクだけは販売されている。農業、畜産、水産業などに使用されているのかも知れない。内服して人体に障害があっても外用薬として残しておいて欲しい薬である。
昔 敗血症で何を出しても効果なかった症例の血液培養をしたことがあったが、本当に発育の遅い菌のコロニーを1週間後に培養ボトルの管底にやっと見つけ、すぐ感受性をエネルギッシュに調べてようやくフシジン酸のみが有効とわかった時には転医先の病院で死去されており、大変、残念であった思い出がある。当時フシジンレオという商品名で販売されていた。



ナイスタチンの不思議な作用   併用するとペニシリンが良く効く

 これまで何十年もそのメカニズムがわからないで来ていた治療法であるが、抗生物質使用にかかわらず。急性扁桃炎がこじれてなかなか良くならないで発熱も続く、細菌の感受性テストではペニシリン系はよくきいている。もう1週間もたつのに一向熱が下らない。
こういう時にその抗生物質に例えばABPCにマイコスタチン50万単位を一日3〜6個追加すると、その日の晩はかなり高熱がでるが、大体、翌日は平熱になる。記録していたら本当に多くに症例がたまったが、学会に発表するには根拠があいまいすぎる。仕方ないから耳鼻咽喉科(現在は耳鼻咽喉科頭頚部外科 医学書院)という雑誌に随筆として発表したことがある。
併用効果のメカニズムとして
@ナイスタチンはペニシリンやセフェムの血中濃度をあげる?
自身で内服してみて採血し、調べてみた。血中濃度測定はトミロンを使用して富山化学にお願いした。良いデータもあったが殆どは関係がなかった。
A腸内にcandidaが増えてペニシリンやセフェムの効果を抑制する? 患者さんに便をお願いして調べたがcandidaが増えている様子もなかった。
Bcandida血症になった? はじめの1例に血液からcandidaを見つけ、はっとしたが、あとは全くなしであった。
Cナイスタチンとペニシリンは相乗効果があり、細菌の感受性が増す。感受性試験でナイスタチンとペニシリンのディスクを隣合わせにおいてみたが、なんらの変化もなかった。
Dナイスタチンは細菌細胞壁に穴をあける? その後どういうメカニズムになるのかわからない。
どうもはっきりしないから金沢大学医学部の微生物教室にお願いしたが、結局結論は得られなかった。
こんな時、免疫力が増加したのでしょう。ということに相成る。





めまいについて


めまい検査のもうひとつの方法と考え方

 多くのめまいの診断は 大体、問診できまるが、他覚的所見はぜひしっかり、納得できるように見てみたいというのが医師の願いである。それにはまず負荷なしで出現する眼振と前庭半規管に負荷をかけたVORが基本的であろう。しかし、それのためには一般に眼振が出現しないと困るのが現状である。
 もともと末梢性器官が原因のふらつきやめまいは前庭、半規管の病的興奮、麻痺や刺激があったり、それらの感度や、平衡神経のインパルス伝達に異常や左右差がでたためである。その程度は簡単に立ち直れてあまり病的意識にならないものから ふらつきやめまいに至るものまで様々である。例えば左右水平半規管に興奮差がでると、水平回転を意識する。しかし、あまりにもその差がすくなければ気がつかないか、何かおかしいと感じるだけである。もちろん眼振はない。このような状態で医療機関をおとずれて平衡機能検査をしても何にもでてこない。医師にとって明確な他覚的所見であるニスタグムス所見がないのではやりにくい。
 そこで書字テスト、足踏みテスト、ゴニオメーター、マンテスト、重心動揺計、OKNなどいろいろやって総合診断とあいなる。だんだん手間ひまかかって、おいそれと一人の医師ではこなせなくなるし、迅速な対応ができなくなる。めまい発作後は毎日のように所見を記載したいのだが、一般には検査日がきめてあり、おいそれとチャンスをつかむことができず。大切な所見を見逃してしまうことになる。
しかし、これらの試験は一般にパターンテストか、前庭、半規管の基本的能力を眼振を基礎にして見ており、本人の空間認識を数字化したものではない。やはりその基本的能力を数字化するには頭部の回転や直線運動がよい。しかし頭部だけの運動ということは不可能であり、必ず頸部とか胴もいっしょに動いてしまう。
そこで一つの検査法の提唱であるが、成るべく頸部や胴体からのインパルスが発生しないように被験者に安定した回転椅子に遮眼で腰掛けてもらいゆっくり椅子を回転する。その速度は90°/3秒(1/12Herz)が良い(理由後述)。
 この場合、健康な人は遮眼でも正確に回転角度をあてる。その際の眼振出現をみると様々である。普通はVORで回転中には眼振が出るはずなのにである。全く眼振が出現しないのに正確に回転角度を言い当てた完全盲目の人もいた。健康人で 眼振の起きないように赤外線眼振メガネの中の一点を注視しながら回転運動をする様に装置を工夫しても正確に回転角度をいいあてた。眼振と回転の空間認識とは無関係な経路がある様にに思える。一般にめまいを訴える人はこの回転角度の判断に誤りがみられる。たとえば病側への回転では、実際には120°回っているのに、やっと90°回ったと判断する様な患側方向の回転を認識したり、健康側回転では70°回ったのにで90°と認識したりする。左右差がみられるのである。このような状態がめまい発作後、よくなった様にみえてもしばらく続く。現在の標準的平衡機能検査では全く異常がみられないのに、めまいの訴えがある人や、治癒したと思われる人の再検査もこの方法でしてみるといろいろと興味ある所見が得られるはずである。このような現象は半規管の内リンパ液の組成異常による神経へのインパルス数の減少が原因と考えられる。例えばメニエール病などリンパ液の組成の変化のみられるものであり、BPPVでは正常である。


クプラの動きと回転感覚

 頭部を水平回転させると水平半規官の壁もいっしょに動く、しかし内リンパ液は慣性で一瞬遅れてうごくことになり、回転向き側の半規官の中のクプラは回転とは反対側におされる。このクプラの変形により、その感覚毛のある細胞には機械的メカニズムにより内リンパ液のNaイオンが多く取り込まれ、細胞がdischargeする頻度を増す。すなわち休んでいる時のresting dischargeより多くのパルスが神経に送られる。これを中枢は解析し、回転を認識する。このとき細胞がパルスを出す電圧は一定だから、多くのイオンが取り込まれた時はパルス頻度を増さねばならなくなる。反対の水平半規管の場合は逆にパルスを減らすので左右がアンバランスになってしまう。
 


クプラの変形の仕方にはいろいろな説がある。

一般には説明としてはただ変形とか偏倚としか書いてなく、詳細な記事は少ない。一般には例えば回転後眼振が起こるのは頭部の動き、即ち半規管の動きが止まってもリンパ液がまだ慣性で流れているので、クプラが変形したままになっていて、めまいがおこるとの述べているものもかなり多い。しかし、ある成書によるとクプラはFlapping運動をするのではなく、Drum head(太鼓の皮)運動をすると述べている。動物実験で回転運動をするとクプラは倒れるのでなく、真ん中が凹むのである。そして普通の頭回転ではリンパ液の相対的流れは一瞬で停止する。そして半規管の動きと同じ速度で回転する。その後すぐ頭部回転を止めれば反対側の殆どど前と同じ加速度のリンパ液の流れをうけるのでクプラは回転前の正常位置にもどり、めまいは起こらない。だらだらとクプラを超えてリンパ液が流れていてはこんなわけにはいかない。



回転後のめまい

 例えば頭部の回転運動で半規管のクプラはDorum head 運動をすると仮定すれば、頭部を水平回転させると水平半規管内のリンパ液は一瞬にして半規管の壁と同速度で動きはじめる。しかし、回転速度が一定になっても押されて変形したクプラの形がもとに戻るには少々時間がかかる。しかし瞬間に頭運動を止めれば反対側の加速度をうけて正常な位置にもどってしまい、まったくめまいが起きない。
この様なことは日常生活での運動方法である。だから頭を一瞬だけ急に動かしてもめまいは起こらない。しかし、異常な運動、たとえば頭部を何回も等速回転させると停止前に、クプラは正常位置にゆっくりだが戻ってしまい。ここで急停止されるとリンパ液から反対側の加速度を受けて反対側へ変形してしまう。これが回転後のめまいである。もちろん初めの回転運動とは反対方向へのめまいや眼振がおこる。
 回転試験の速度にはこれまでいろいろあるがバラニーの1回転2秒のスピードではあまりにも強力すぎるし、どうしてこのような日常に起こらないような強い刺激を用いたのか理解に苦しむ。眼振が解発されやすいと思ったのかもしれたい。何回も回転したあとの停止後のリンパ液の慣性による流れはやっと正常位置に戻ったクプラを反対側に押すので回転後は反対側への回転性めまいや眼振が発生するので理屈として理解できるが、そんなに強くながく回転する必要はない。一瞬の30°とか90°の回転の場合、これは日常生活には多いのだが、クプラがFlapping doorの様に動いてはリンパ液の流れが回転側に動くには大変効率がわるいし、すぐ頭部回転が停止したら、反対側への流れが起きにく、クプラを元の正常位置に戻しにくい。これでは少し頭をまわしてもふらついてしまうことになる。よほどの強力回転刺激でないかぎり、クプラはDorum head運動をしていると考えたほうが理解しやすい。動物実験でもそれが支持されている。
 
 回転後のめまいの程度の判定には自覚的回転感と眼振解発の持続時間を問題にされているが、この両者が一致することが望ましい。文献によると、一致するには最終角速度1/12Hzがよく、この時17.5秒以上回転した後が良いことになっている。このことから回転加速度で偏倚したクプラがもと静止時の位置に戻るには17.5秒かかるものと考えたい。すなわち1/12Hzで2回転以上すれば判定可能になる。実際、実験してみると1/12Hzで2回転以上するとめまい感やふらつきがはっきりでる。1回転でもすこし揺れる感触はあるが、前庭脊髄反射で十分立ち直る事が出来る。



回転後のめまい防止法

 バレリーナーやフィギュアースケーターを見ると、あんなに激しく回転してピタット止まってふらつかないのは誠に不思議である。しかし、内耳の構造を考えると必ず回転と停止でふらつくはずである。何故か?いろんな本を読んでみると、一様に訓練の賜物である
と書いてある。末梢の前庭半規管の構造をいくら考えても理屈がわからないから、中枢神経の訓練であると考えざるを得ない。しかし、うまくやれば訓練しなくても、素人でも回転後のめまいを抑えることができる事がわかった。理屈はこうである。要するに回転後急に停止しても、いち早く、クプラの偏倚がないようにすればよいのである。回転停止直前に頭部を素早く回転方向に回転しながら停止する。
これでクプラが正位置に戻り、めまいがなくなる。よく運動会にわざと体を回転させてめまいをおこさせて走る競争があるが、この方法をとれば一着間違いない。直前に頭部を回すことは等速回転が続いて正常位置に戻ってしまったクプラをわざわざ回転方向の反対にに変形させ、躯幹と同時に頭部の動きを停止したら正常位置になるよう仕向ける。この際、躯幹と頭部の停止時間がずれていたら意味がない。



めまいに対する頭の整理

 現在めまいの診断は検査の指導指針があり、それにしたがっていくつかの病名を考えながら効率よく検査をすすめていくことが求めれている。しかし、症状、検査データがどのようなパターンにあてはまるか?かなり経験や知識がいる。
画像診断は主として中枢性のものに威力を発揮するが、末梢性の耳鼻科領域では前庭・半規管や前庭核への刺激応答が中心になる。
即ちもっとも重要視されているのがVOR(前庭眼反射)である。全く自発的なものから、刺激は頭位、頭位変換、温度、回転、電気、音響などがあるが、応答のほうはこの他、筋電図や身体の動揺などもチェックされるがは現在はやはり眼振をみるのが主力である。そして定性定量的には眼振学は非常に文献が多い。しかし必ずしもこれが適切な応答結果を示していないものもある。というのも眼振の出現とめまい感の存在とは必ずしも一致しないからである。軽いふらつきやふらつき感のみでは眼振はみつからない事も多い。この場合は非常にゆっくりした回転感と考えられ、容易に立ち直られる範囲であろう。

 めまいは平衡メカニズムがくずれた状態であるから、これを理解するにはまず身体平衡のしくみを整理して考えねばならない。
例えば私は次のように整理している。
@前庭半規管有毛細胞はは地震計のハリ
A内外リンパ液は電池
B平衡神経は電線
C中枢は気象台のコンピューターで、デターを分析して災害対応司令室が各部署へ命令すると共に、政府(大脳皮質)に報告し、そこにその異常さを意識してもらう。 
D筋肉は現地部署の活動(眼筋や全身の骨格筋)
E筋肉や腱のセンサーは、現地から中央への報告役と例えてみると
@の故障はBPPV(良性発作性頭位めまい)で、針やその周りに埃やごみがたまった。
Aの故障はメニエール病 内耳水腫 
Bの故障は前庭神経炎とか聴神経腫瘍 
Cの故障はは脳腫瘍 脳炎 血管障害 Dの故障は外傷、血管障害 神経障害 骨関節障害 炎症で糖尿病などいろいろ浮かんでくる。
と考えれば理解しやすい。



めまい現状の実際のチェック方法としての一つの実験  
−−−回転角度という空間認識を用いてみた。

@頭部を前後左右に回転してみる。BPPVは後半規管に多いので後ろ斜めの回転でめまいや眼振が出やすい。
A座位遮眼で頭部を水平にしてゆっくり回転し、左右に回転角度認識に差がないかみる。BPPVは差がなく正常であるが、メニエールでは差がでる。中枢で代償されると健側は超過した回転を意識する。
B回転検査は病側は回転角度を実際より小さく感じてしまう。メニエールのやや安定期にみられるが、これも中枢で代償されやすくて健側では超過した回転角度を意識する。めまいよりふらつきが多い。よく問診する。あやしければ画像診断となる。
C注視眼振やふらつきや他の頭痛、顔面しびれ、他の脳神経症状が参考になる。画像診断となる。

以上 眼振検査はほとんど使用していないが、、末梢性の眼振は衝撃性、廻旋水平混合性であるので、赤外線眼振めがねがあれば大変都合がよい。



遮眼状態で回転椅子に腰かけ、水平回転するとき、人は正確に回転角度を言い当てる。何故か?   二つのスクリーンの話など

@水平半規管のクプラの偏倚で回転加速度を認識する。これを積分して回転角度を計算する。 なるほどと思うが回転角度の計算には角速度のほか時間がいる。体内のどこかに時計があるのかもしれない? またどの本にもクプラは加速度を認識するとあるが、回転角度は 角速度×時間なので中枢がどの様に計算しているのだろうか?
A体内のジャイロの存在、人間は一定の方向を空間認識として持つことができ、それを基準として頭部の回転を認識できる。少し具体的にはわかりにくい考えであるが目をとじて自分で回転してみるとわかるような気もする。
Bクプラの毛細胞から静止時も中枢に向かってresting dischargeのインパルスを送っているが、頭部回転でクプラが偏倚するとそのdischargeの頻度が増える。中枢はこのパルスの数から回転角度を計算している。この考えにはかなり賛成できる。なぜならわかりやすいし、何回も等速回転しているとクプラが元の正常位置に戻って行き、インパルスの頻度も減ってしまう。そこで角度認識があいまいになってくるらしく、実際もそうであるからである。
C二つのスクリーン  暗所や閉眼時でも人は暗黒の中に何か映像を意識している。完全盲でも完全暗黒ではないであろう。出てくる映像のスクリーンは二枚ある。
一枚は頭をまわしても動かないもの、おそらく網膜の残像か視覚中枢の細胞興奮として残っているのだろう。それは閉眼時みえる青赤の点状のものである。
もう一つは頭の回転とは反対側に動く画像である。これが前庭核と密接な関係のある前庭視覚領域の働きであるとも考えられる。
眼振経路とは別の回路であろう。もやもやとした黒い雲のようなものである場合が多い。後者は朝、目覚めのとき、夢に現れるようなややシャープな画像として現れることもある。その時、頭部を回すとさっと視野から反対側に離れて行って消える。この画像が遮眼では
バックスクリーンとして存在し、静止空間を意識させている。その前を網膜残像などが動いていく。
 しかし、実際、回転している人間にとっては動くのは後方スクリーンで前方の網膜残像と思われる画像は静止している。
スクリーンの大きさは視野の範囲で左右30°ほどしかなく、そこまで映像が行けば30°回転したことを認識する。盲目の人はこの認識が非常にシャープであろうと考えられる。



めまいの方向について 周囲の同じ景色がめまい方向に何回も出て来る

メニエール病や良性発作性頭位めまい(BPPV)の時のめまいとは一体、本人は発作時どんな体験しているのだろうか?
私には両方とも経験があるが、内耳水腫が原因と思われるめまいは早朝起床時寝室の天井が回転しており、少し吐き気を伴い起き上がれなかった。高調音が響く感じもあり、低音性感音性難聴もあったと思う。わかりやすい「めまい」である。
BPPVのほうは けたたましい。やはり早朝急に起き上がろうとしたら、目の前の畳がこちらに向かってまくれ上がって来た。垂直に近い動きである。この現象は数十秒でおさまった。こんな現象が一週間ほどつづいて消失した。文献的には殆ど2か月以内におさまるという。
めまいの再現は実験的には簡単である。頭部の回転後のめまいである。
回転持続後急停止すると、めまいが起こるが、めまいしている本人にとっては回転感の方向と同じ方向に外界の窓や天井が動いていて、次々と同じ景色がやって来るのである。自分の回転している感じの反対側へ周囲の景色が動くのではない。
眼振の方向(急速相)の方向に周囲の景色が回るのである。これが実際の回転運動時の見える外界の画像の動きとは違うところである。問診で天井や障子がどの方向にに動いて見えたかで、患側がわかる。右向きなら右耳である。



となりのレールの電車が動いたのか?自分が乗っている電車が動いたのか?

 よくある現象である。加速度の変化が大変少ない時は自分が動いているのか?外界が動いているのかわからない。前庭眼反射と目の動きがマッチしていて 納得いく網膜の刺激があれば自分が動いたことになるが、網膜の刺激と前庭系の刺激がマッチしていないとき、外界が動いたことになる。上手な運転手で電車の加速度が感じられないときは外界が動いた様に感じる。それなりにクプラは動いているのかもしれないが、非常に加速度の変化が少ない。中枢がが意識するには加速度を知らすインパルスの頻度の量的変化がある程度必要なのであろう。床が水平でない駐車場で隣の車が発進したのかと思っていたら自分の車のブレイキがはずれていて後ろの壁にぶつけてびっくりしたこともある。大いに注意すべきことである。



BPPVとエプリー法 後半規管とそっくりなもの

慣れれば、簡単であろうが、本を見ながら検査していると、時々頭が混乱する。回転角度などを丸暗記したりするからである。忘れてしまったりして又本を見る。これでは困る。そこで後半規管の模型をつくり、被験者の耳部にあてる方法も工夫されている。
よく考えてみたら、人は皆その模型を持っているではないか?耳介である。その角度も姿も後半規管そっくりである。丁度、クプラのある膨大部が対耳珠にあたる。そこに印をつけて頭を回転させてやるとわかり易い。





アレルギー


花粉アレルギーの免疫学的寛容は起こるか? 花粉症人間を作らない様にするには!

 2〜3月のスギ花粉症、5〜6月のカモガヤ花粉症の人の生まれた月を調べてみた。1980年代の500例ほどであるが第一回目の調査ではカモガヤ花粉症の人は5月生まれは少ないという成績がでたので第1回花粉症研究会(富山市)で発表した。
その頃の5月生まれの人口はもともと少ない傾向と思われ、まず生月別人口の母集団の調査をした。市役所には誕生月別の人口調査記録はないということなので近くの二つ小学校の卒業生の誕生月を調べて修正した。しかし、やはりカモガヤ花粉症が少ないことには間違いなかった。
しかし、スギ花粉症でははっきりしたデータは得られなかった。その頃、学術雑誌「耳鼻咽喉科」に東海大学耳鼻咽喉科からのスギ花粉症は3月生まれに少ない様であるという発表があったが理由は書いてなかった。
これを私なりに解釈した。東海地方は天気が良いから生まれたばかりの赤ちゃんはスギ花粉を吸う可能性が多いが、その頃は北陸は天候が悪いし、むしろ5月のカモガヤの方が影響が大きいのではないかと思った。
しかし、年がたつにつれて、誕生月が問題になるデータが得られなくなってきた。月別人口も平均化し、昭和40年生以降は一年中平均化してしまった。そして誕生月別に調べても有意なデータは得られなくなってきた。
その後、竹中教授の「スギ花粉ジーズンに生まれた人はスギ花粉症になりやすい」というは発表があり新聞紙上にも掲載された。
この報告は私の考えとは逆であるが、私の調査対象のその頃の花粉症の人は昭和20年前後の生まれの人が多く、大変、母子とも栄養不良であった時代であったということが違っていた。胎児や新生児の免疫系の発達次第でいろいろ変わるように思えた。
いずれにしても、抗原に会う新生児の免疫系の発達如何により寛容になるか、過剰に抗体を作るようになるかは変化するのであろう。
 将来の花粉症予防には 寛容が成立するのなら生まれたての赤ちゃんのの鼻に花粉エキスを入れるのもいいかも知れない。




この世には無数の抗原がある。どうしてそれに特異的抗体を作ることが出来るのか?

バーネット先生や利根川進先生のノーベル賞論文で著しく進歩した。生体が反応する源は遺伝子geneである。DNA 即ち、 デスオキシリボ核酸である。
その組成は案外単純である。4っつのアミノ酸(アラニン、グアニン、チトシン、チミン、)の配列の違いで無数に近い異なったDNAが出来るのである。 
計算してみるとまず4っつのアミノ酸の順列組み合わせは4の階乗で24ある。1組から24組までみな違う組が出来る。この24組の順列組み合わせは24の階乗であり、620448401733239439360000通りになる。6204484017兆になる。これだけ準備しているので、どんな配列の相手が来ても、ほとんど合致することが出来る。ただ相手の分子量があまり小さいと対応できない。大体分子量4000が最低限である。例えばインスリンはまだ幸い抗原になるには分子量が小さい。
不完全抗原ハプテンとしては何とかなることもありうるが、人間にとっていいことではない。どうも抗体は非自己の水溶性の高分子のものにT細胞が接触すると出来るようだが、其異物が増えたり、増えなくてもいつまでも存在する事が問題である。

このように特異抗体もつくれるが、逆に特異的に抗体を産生しないこともあり得る。この何兆もある反応系の一つが未熟であったばかりに、大量の抗原に会い破壊消滅してしまうのである。免疫寛容である。このおかげで自己と非自己を識別できるし、自己に抗体を作らなくて済む。また幸い反応系が元気であればクロナールセオリーにもとずいて抗体産生も起こる。こんなこと昔から気がついてもおかしくない理論だが、すばらしい業績である。





糖尿病きまま雑感

 
耳鼻咽喉科にも糖尿病の患者さんは結構いる。肉や脂肪や甘いものをひかえている人達

感染症がなかなかよくならない。一例をあげれば扁桃周囲膿瘍は切開し多くの膿を排出し、抗生物質で洗浄すれば殆ど一回でよくなるのだが、3回切開排膿してやっとよくなった症例もある。その人は血糖値をはかると殆ど食事をしてないのに212mg/dlもあった。分離細菌は 殆どnon A β-streptococcusであった。
セフォチアム(パンスポリンT)を使用したが、感受性テストは(S)であった。
これは一例を示したが、糖尿病の人は感染症のほか難聴、めまい、知覚異常など注意深く観察するともっと耳鼻咽喉科領域にも多くの症状を示しているのに違いない。
 とにかく疑わしい中年以降の人に聞いてみると結構いる。随意血糖値200mg/dl以上の症例も時々みつかる。しかし、ほとんどは治療をうけている人たちである。症状が出ていないものだから、薬もかなりいい加減にのんでいるのかも知れない。また効いているつもりでいるのかもしれない。


食事による血糖コントロールはそんなに簡単ではない。食事の時間帯でもかなり違う。

一様に「甘いものを控えて、運動をするようにすればいいのでしょう。」といわれるがなかなかコントロールされていないようである。
食後血糖値は食べ物にもよるが普通の和食なら1時間半か2時間後が最高値になる。私自身も食後血糖値が高い方で油断すると200を超えるが、朝食、昼食、夕食で随分違うこと発見した。一般に朝食後はまず150mg/dl超えることはないが、昼食、夕食は要注意である。特に仕事が忙しく、立ち仕事が多かった日は悪い。それで患者さんの血糖値測定も出来るだけ午後にしている。また夕食前30分ほど横になって休んでから食事をするとよい様である。どうも2型糖尿病でHbA1cが5.2ぐらいで低いくせに尿糖がでたり、食後
2時間値が200をオーバーする人は大変遅れてタイミング悪くインスリンが大量に出て来るのであろう。また尿糖が出た分だけインスリンが余ってしまうようである。この場合、みるみるうち血糖値が下がり、40mg/dl近くにまでなることも多い。このような激しい血糖値の変化は大血管障害を起こしやすいともいう。食後血糖値を抑えるために食後の運動が推奨されているが、私の場合、1時間ほどバドミントンの試合をしてみているがそんなに血糖値がさがるものでもない。よく考えると食後まだインスリンが十分出ていない時に運動をしても筋肉はブドウ糖の取り込みが出来ないのかも知れない。細胞は血液にどんなに沢山ブドウ糖があってもインスリンの力をかりなければそれを細胞に取り込んでエネルギーには出来ないのである。脂肪酸が主力になってしまう。したがって糖尿病の人の運動は少なくとも食後30分以上たたないと意味がないのかもしれない。


「肉や脂肪をへらして、野菜をとる様ににしています。」 これが正しいのだろうか?

糖尿病の専門書や専門医のためのガイドや専門家による一般市民講座で必ず出てくるのが「食事は甘いものや脂肪分を減らして運動を」の言葉である。私も専門医のためのガイドの中の食事療法を読んでみたが、まず目についたのが、「日本人に最近糖尿病が増えた原因は脂肪分の摂取が増えたためであるということは周知の事実である。」という文章である。大学の研究者とか専門医は大体この意見に肯定的でそのように患者さんを指導しており、栄養士もその線でカロリー計算をしながら糖尿食の指導しているようである。
しかし、脂肪を減らしてカロリーを保つことは大変に苦労がいる。どこからこういう事になったのかわからないが現在の食事の栄養素のカロリー配分は炭水化物60〜65%、あと蛋白質20%、残りは脂肪となっている。この配分は理想的な長寿国日本人の和食に近いという事もあると思う。そして欧米型の食事の普及が糖尿病の増えた最たる原因であるとしている。
 例えばある市民講座では「皆さん、最近の我が国の糖尿病の増加は欧米型の食事が増えたことで脂肪や蛋白質の摂取が増え、インスリンが沢山必要になりました。もともとインスリンの出方が少ない日本人にとって、大変な負担で膵臓も疲れています。おまけに車社会になり運動不足になっています。これが糖尿病が増えた原因です。」と専門医の先生は説明されている。成程、やはり御馳走が原因かと「ナットク」の人も多いと思います。
しかし、私にとってはあまりにも結論が短絡的でもっと丁寧な説明が欲しいところである。自分自身の何百回の自己血糖値測定の経験で現在の日本の糖尿病の食事指導法にどうしても納得できない事が多くあるからである。まず脂肪を摂ると、何故にインスリンが必要になるのか?インスリンを必要とするのはブドウ糖すなわち炭水化物ではないか? これが素直な考えである。脂肪はインスリン抵抗に関してかなり影響のあることはわかるが、ダイレクトに血糖値をあげるのは何をおいても炭水化物である。
 私の欧州旅行での食事と食後血糖の記録は大変にいい結果であり、上がりすぎたことは殆どなかった。しかし、日本に帰ってからは家内の心こめた低脂肪の日本食にもかかわらず、血糖値は乱れ、大変に苦労している。今ではその大きな原因は米飯にあり、この米飯の性質を熟知しないとコントロールが大変難しいことがわかった。美味しい白米から逃れられない日本人には大変大切な事である。
このことは別の項目で詳細に述べることにする。


食事療法については 専門医や栄養士の指導への反論は喧々がくがくだが?

これらの反論の声はなかなか専門医の先生や栄養士さんの耳にはとどいていないようである。例えば自身糖尿病の米国の医師バーンスタイン先生の「糖尿病の解決」という著書である。これを読むとこれまでの糖尿病食事指導法に強力なパンチを加えているのが解る。「主治医の指導にしたがっていたら良くなるどころか、到底生きることさえ出来なかったであろう。私が自分で創り上げた食事療法のおかげでで70才の今でもオリンピック選手並の血液脂質プロフィルで血糖値も安定し元気である。」と述べている。大いに参考になった。はじめは医師でなく技術者であったバーンスタインは早くから主治医や学会の食事指針に疑問を持ち、多くの論文を医学雑誌に投稿したが、無視され続けたという。40才を過ぎて医科大学に入学し、開業医となる。そして全米の多くの患者さんの注目を浴びている。
日本では愛媛の釜池豊秋医師や京都高雄病院の江部康二理事長の食事の実践や理論は大変勉強になる。工夫すれば薬剤やインスリンを使用しなくても糖尿食で克服出来るケースがもっとあるようである。これらの図書は学術雑誌ではないから専門医の目にとまらないのであろう。書店へ行くと専門医の書いた家庭医学書に混じっていて、まだ少数派だから目にとまりにくいが、発想がユニークで私の大脳をとても刺激し柔軟にしてくれる。専門書は学術書(とくに英文)の統計成績にエビデンスを求めている事が多いのに対して、少数派のこれは個々の症例の積み重ねで理論を展開し徹底的に思考している様に見える。
この中のユニークな記述をあげてみよう。
糖質が血糖値をあげることはどの専門医も認めているが、指導書になると「糖尿病の原因は炭水化物と脂肪の摂りすぎが原因です。」と何処でも脂肪がすぐくっついて出てくるのが、おかしい脂肪信仰であると言う。どうしてこうなったのか?
バーンスタインは「脂肪を沢山食べると脂肪太りになる」という論理はまさに「トマトを食べると体が赤く成る」と言うのと同じくらい根拠のないものであると批判している。
「肥満が糖尿病の原因であるというのはわかるが、だからといって脂肪が悪いと短絡的に結びつけるのはおかしい」と言うわけである。
「脂肪が悪いのでなくて、脂肪太りが悪いのです。」内臓脂肪細胞はインスリン抵抗を増すアデポサイトカインを分泌するからであろう。
脂肪酸モードになれた細胞が多いとインスリン抵抗性になり、ブドウ糖を取り込みにくくなる。だから出来るだけ沢山の炭水化物を摂ってインスリン抵抗の少ないブドウ糖モードの細胞を増やさなければならないという理論もある。しかし、いくらインスリンの効きが
よくなるといっても、その出る量が少なかったり、遅かったりするのが糖尿病であるから、炭水化物の摂取もこれに見合った量でなければなるまい。ヒムスワースやブランゼルの研究以来、炭水化物の大量摂取がインスリン抵抗を減らしたり、分泌を増すものだから
あれほど怖い炭水化物を65%も摂るメニューが出来上がってしまったのである。しかもこれにぴったりなのが長生き食と信じられている
の日本食であるので、余計信奉され、食事療法の主力になってしまったのあろう。しかし、極端に言えば日本食は糖尿病のない人には神様であるのに対して糖尿病の人には悪魔である。事実、私の友人の医学部教授も糖尿病の食事療法をしておられるが「どうも病院の糖尿食はご飯が多すぎてね」といっておられた。

インスリンは神様か?
釜池医師は悪魔といっている。「インスリンの発見以来、これまで一人として信じて疑わず、と言うより全く脇目も振らずの金縛り的に、当然のようにインスリンの善の研究に全世界の学者や医師が膨大なエネルギーを費やしてしている。しかし、インスリンを働かせているばっかりに人間寿命をまっとう出来ない。インスリンのいらない食生活をすれば人間は120才まで生きれるはずだ。こんな事は誰一人、気もつかないし、考えようともしていない。」と述べている。私にも考えた事もなかった話しであり、面白い発想である。
事実とすれば、専門医が苦労してインスリンの注射をしたり、薬を出したりするのは何故だろうか? 炭水化物の摂取を食事の必須条件としていて、炭水化物の多い栄養士さんの食事を変更しないで治療しようとしているための大変な努力に他ならないのだろうか? まさに医師は荒海を必死に舵採りしている航海士である。この名人にあった患者さんのみが死から免れるのである。
それに対して炭水化物を食事から抜けば海は平穏である。悪魔のインスリンも必要ではないし、薬もいらない。というわけになるのだろうか?
余談だが、2008年のLancet誌によると、インスリンは前立腺癌を進行させるホルモンである報告されている。インスリンの害の話を初めて聞いた。


外国旅行と血糖値

何百回も血糖測定をした結果、食事にはカーボカウントが大変重要であるという結論に至り、糖尿指導書の欧米型食事が糖尿病の増えた原因という説を素直に受け入れなくなっていたから、どうしてもこの悪いといわれる食事に挑戦して見たくなった。さっそく携帯用の血糖値測定装置をもってヨーロッパ旅行をした。ベルギー、ドイツ、イタリアのレストランで多くのディナーに挑戦して血糖を測定して見たが、いずれも食後130mg/dlを超える事はなかった。食後にやや多めのデザートやアイスクリームを食べても私の血糖値は殆ど平穏であった。ただ一度だけイタリアで「リゾット お粥」を食べた時は200mg/dlを超えた。やはり難しいのは米であった。
その後、糖尿研究会で栄養士さんが心をこめて作ってくれた500kcalの糖尿食でも私の食後2時間の血糖値は200mg/dlを超えてしまい、尿糖も出た。これには米飯が150g以上も入っていた。その後、この研究会においてはなんらこの事についてのコメントはなかった。
 昔、先輩のK先生が「ヨーロッパ旅行から帰ってしばらくしたら、体がだるくてしようがなかったので診察してもらったらハルンにガバガバ糖がでていてね。旅行中の御馳走のせいか糖尿病になってしまった。」といわれたのを記憶している。当時は旅行時の御馳走のせいであると私も信じていたし、疑いもしなかった。今考えると、もともとK先生には2型糖尿病があったことは間違いなかったのだろうが、日本に戻って何日も経ってからというのが問題である。きっと先生は日本に戻ってから美味しい白米の日本食を食べすぎたのかもしれないと思う。
 私のクリニックでも米飯から抜け出せない糖尿病の人も可成り、あのおいしい白い新米の魅力は絶大である。しかもこれらの患者さんにとっては幸いにも現在糖尿病用の推薦の食事には炭水化物が65%も入っていて、一日1600kcal摂取には一個100gの握り飯(コンビニでは一個100gに統一されている)に換算してみると6個半も食べられることになっている。朝食2個、昼食2個、夕食2個半になる。白米好きの人には大変嬉しい話だが、これはいかにも多過ぎる。2型糖尿病の人は米飯100gで血糖値が80〜100mg上がるがるそうだから、 食事毎に200mg/dlを軽く突破してしまう事になり、これでは主治医に生活が乱れていると叱られてしまう事に相成る。結局、インスリンや薬を使用せざるを得ないことになる。いろいろ気になる食事指導であるが、何とかならないものだろうか? まあどうやら最近、米国でもカーボカウントの考え方が出て来た事は幸いである。


何とか薬なしで、食後血糖値を上げすぎないで、おいしい白米を食べる方法はないものか? ある。

 インスリンも薬も使わないで、ご飯も食べたいし、食後血糖値もあまり上げないで、HbA1cも安定させておきたい。ちょっと欲張った話だが、工夫すれば出来る。
あまり糖尿病が進行すればだめだろうが、空腹時血糖値が十分に下がる人なら、まだインスリンが出ているはずで、そのタイミングが遅れているためだから、普通 成人60kgぐらいの人なら米飯80gを食事約2時間前に薬の代わり摂取し、膵臓を刺激すればよい。これで血糖値は食事直前には150mg/dl位に上がる。ここで食事を開始する。もちろんその時米飯は100g近く食べる。これで食後2時間後の血糖値は計算上は250〜300mg/dl
にもなる筈だが、不思議、やはり150mg/dlである。うまくいくと110mg/dlまで下がっている。結局180gの米飯を安全に食べれたことになる。もちろん尿糖(−)である。この米飯の配分の量にはかなり経験がいるが、熱心な人ならできると思う。私の経験では食前130mgで食後2時間値も130mg/dlが最もうまくいった例である。この食前どれだけぼ時間にどれだけの量の米飯をとるかは大変むずかしい。量は70〜80gがよく、食前の時間は遅れるより早い方が良いようである。今のところ2時間20〜30分である。温泉旅館で宴会前にお菓子とお茶が部屋で出されるが、時間を見て食べたほうが良いことになる。
いたずらにおやつやお菓子を制限しなくても良い。要はタイミングの問題である。また2時間くらいの長い宴会ならこのことを考慮しながら炭水化物の摂取
タイミングを調節すると良い。
 先に和食は危険と述べたが、この内容に炭水化物が多い時の話で、和食といえども本当の御馳走はそんなに血糖値が上がるものではない。何故なら日本では古来、御馳走は貴重なるものであり、炭水化物よりも蛋白と脂肪が主力であるからである。料亭へ行くと魚や肉や植物性蛋白を主としていて炭水化物は材料としてはまことに少なく、最後に御飯が少し出るだけである。ただ、このときお代りをしてはならない。宴会の後に血糖値を測って見ても異常に上がることは殆どない。これは和食のみならず、西洋料理も中華料理もしかりだが、中華料理にはやはりどこかで炭水化物がかなり入っていることがあり食後2時間値が良くても安心してはならない。3時間まで追及すべきである。油が多く炭水化物の吸収が遅れるているだけかも知れない。

 
夜遅く年越し蕎麦を食べてよいか?

米飯100g食べると80〜100mgも血糖値が上がるような人が夕食後2時間ほどしたが、皆と一緒に年越し蕎麦をたべたい。
「ウーンそれは無理な話だ」と普通、医師はあまりそのような話には賛成出来ないであろう。「どうしても食べたいならば、インスリンを使うか薬を使うしかないでしょうね」という事になりそうである。しかし、それが可能なのである。
夜、年越し蕎麦を一人前人並みに食べて2時間後の血糖値は不思議100mg/dlそこそこである。尿糖も(−)である。軽い糖尿病の人はインスリンの出方は人並み以上である。ただ出るのが大変遅いだけで、薬やインスリンを使うと効き過ぎて低血糖になってしまう。食後2時間でグーっと上がった血糖値もその後急激に下がり始める。遅ればせながらの大量のインスリンが一生懸命働いてくれるからである。しかし、あまり遅れると腎臓ががまん出来ずブドウ糖を出してしまうので、インスリンが余ってしまう。それが丁度食後2〜3時間頃であるから、むしろ蕎麦が来るのをインスリンは待っているのかも知れない。ただあまりにも必要カロリーをオーバーする様なら止めた方が良いだろうが、食べても一向に差支えないのである。
一つの推測であるが、大量インスリンの余り状態は血糖値を下げ過ぎ、40mg以下にもなる様であるので、空腹を我慢しを続けていると体は危険を感じ、インスリン抵抗の状態にせざるを得ないのではなかろうか?
「極度の低血糖の持続はインスリン抵抗の原因の一つになりませんか?」との質問に「そんなことはありません。高血糖が問題です。」と専門医の講師にはにべもなく、あっさりと否定されたのを覚えているが、やはり高血糖状態のみがインンスリン抵抗の原因であろうか?私は極度に血糖値が高いのも低いのもいけないと思っている。こういうことを症例や文献の実験成績を踏まえて考え抜くこと、そのGedankengangが楽しいのである。



HbA1cの怪 警戒基準を下げていったら、HbA1cは5.2までにも 
  ブドウ糖負荷試験のばらつき

 HbA1cが6より5が良いかと思われるがそうでもない。低くても、この中に食後血糖値異常者が含まれているからである。インスリンの出方が遅く、血糖値が200を突破してからびっくり、どーと大量に出る人もいる。しかも、尿にも糖がかなり出てしまうので、余分になったインスリンは血糖値をどんどん下げ、3時間もすると60mg/dl台にまでにもなってしまう。腎臓からかなり糖が出されたてしまったのに、インスリンだけは真面目に働いたせいである。
 こんなことしているとHbA1cはどんどん下がってしまう。この頃、食後高血糖者の心筋梗塞などの大血管障害が問題視されており、空腹時血糖も90mgから100mgに上がっただけで将来の糖尿病発生リスクが2倍になると言われているが、どうもHbA1cとの関連がむずかしい。こんな事を考慮してどんどんその警戒基準を下げていったら、HbA1cは5.2までにもなってしまったようである。しかし、尿糖が出ないように食後高血糖にならないように注意深く食事療法をしているとかえってHbA1cは6近くにまで上がってしまうのである。この場合はHbA1cが高くなったからといっても病気が悪化したのではない。一番大切なことは食後血糖値が過剰に上がらないように細心の注意を払うことにある。
血糖値が異常に上がらないためには更にインスリン抵抗の問題もある。細胞が如何にインスリンの働きやすい状態になっているかである。ブドウ糖モードという事にしよう。これが脂肪酸モードになると大変である。インスリンが働きにくく困ってしまうが、このモードは大量のブドウ糖が来るとかなり速くモード変換が来るらしい。明日、ブドウ糖負荷試験をうけても、いい成績で主治医に褒めてほしいのなら前の晩の食事に米飯をしっかりとって尿糖がでてもかまわないから食べればいいのである。明日は検査だからと甘いものは控え、食事も最低にしたのではかえって不良成績に終わってしまう。


食事療法については 何といっても糖尿病経験者の話は迫力がある。

 米飯の大量摂取をしなくなったことが、糖尿病の患者の増えた原因であると可成り整然と理論を展開している人達もいる。読んでいると「そうか」と引き込まれそうになるが、米飯があれだけ血糖値を不安定にする現実にはどうすることも出来ない。よーく読んでいると健康食と糖尿病食を混同して論じているようにも思える。健康食は必ずしも病人食にはならないと言うことである。健康食を食べていなかったから糖尿病になったという説には納得してもいいが、病気になってしっまった人に健康にいいからと言って勧めるのはどうかと思う。
また教科書通りの話では説得力が今一つである。診療ではどうしても指導指針と権威者の文献を利用することになるが、これらは症例報告よりも統計的な手段で治療指針を決めているものが多い。どうしても例外が出る。しかしこの例外を追及するにはまた大変な努力がいるが、そこに興味ある事実を見つける事もある。
糖尿病の医師も一般住民と同じ%で存在するはずである。この各医師自身の綿密な自己観察やデータの蓄積と分析の方も大切ではなかろうか?
耳鼻咽喉科学会ではアレルギー鼻炎の医師自身のアンケートなどの調査をしている。面白い方法であると思う。


いつか食事療法の徹底討論会を!

いつまでたっても変わらない糖尿食メニュー、しかも米飯賛美と脂肪害悪説の根拠がみな同じような統計グラフからであるようである。

 日本医師会雑誌2009年新年号にもやはり陳旧な同じようなグラフを根拠にした糖尿病の記事がでていて、最近のあのすざましい食事療法の外野席の意見はまだ学会には全くとどいていないのか、無視か?大変気がもめた。
実地医家の専門医の先生に、そろそろ食事療法は栄養士さんまかせばかりにしないで、専門医自身がもっともっと本格的に取り組んで欲しいと思う。
そしてどんどん新しい食事理論を展開し構築してほしい。インスリンや薬剤療法は医師としてはとても大切なことであるが、その前にしっかりしなければないことはやはり食事である。
自分自身が糖尿病である糖尿病専門医も沢山いると思うが、その方が一番その豊富な知識で自身の経験をもとに食事療法のもっと新しい理論や方法を開発してもっと書き換えて欲しいのである。糖尿病を持っていれば其れのない若い専門医には真似が出来ない仕事ができると思う。医師も大体、定年になった頃から糖尿病が出てくるので、その貴重な実体験をもとに現役の医師を食事療法でリードするくらいにしてほしいと思う。
UKPDSのような統計による理論も大切だが、一例報告の積み重ねも甚だ大切である。現在の食事に関する一般向け著書は内科医よりも他科の医師のものの方がが目立って詳細である。
糖尿病患者の一般むけの著書も大学や大病院の専門医のものも多いが、どうしても食事の項目になると著者が直接書いたものとは思えない。
いつもハンコを押したように、、米のご飯を主食としたバランスの良い食事で、脂肪を控えましょう方式である。細かいところは食品交換表を見て栄養士の指導ということに相成る。しかし、他科の医師の著書はこうはしない、誠に細かく、成程とうなずかせられるアイデアがあり、大変勉強になるし、興味深い。未完成の学説もあるが、目のつけ所が面白い。ぜひとも専門医の先生はこれらの専門医でないが食事療法に興味のある医師も仲間に入れてあげて座談会方式で食事の討論会をして欲しいし、またそれを聞かせて欲しい。 




その他


白内障早期発見法
 
眼科医でもない私がこんな記事をかくのはおかしい話であるが、私が白内障に気づいたのは細菌の顕微鏡検査が原因である。
それまで普段は少々左眼の近視がすすんだかなと氣にはしていたが、耳鼻科医はいつも額帯鏡をして左眼を酷使しているせいだと氣にもとめなかった。
 ある日、双眼顕微鏡の左のレンズの雲状のかげは自分の左目のせいだと気づいたのである。接眼レンズから目を離して眺めると少しもそのかげは見えない。レンズの倍率を上げるにしたがってその像はシャープになった。いろいろ光学系の本をみて調べてみたり、考えたりしてみると、針穴写真機の理屈で水晶体のよごれが網膜に写るらしい。実際に、カメラのレンズにサインペンで小さな印をつけて景色を撮影しても全くその印は写らなかったが、顕微鏡にカメラつけて写真をとるとしっかりその印が写った。そこで黒い紙に針で穴を開け白いの壁を自分の眼で覗いてみたところ右眼ではきれいであったのに対して、左眼でみると蜘蛛の巣状の影が特に中央部に濃く出ている。案の定、その影が濃く大きくなるに従って視力は悪くなっていった。ついに手術をうけることになった。術後は当然針穴から覗いても影はない。懇意の年輩のドクターにこの話をして、黒紙の針穴を覗いてみてもらったところ自分の眼に雲状の影を発見され、いい話を聞かせてもらったといわれた。こんな話は結構気づいておられる方も多いと思うが、視力がおちなくても黒紙の針穴を覗いてみると何か発見するかもしれません。          
          日本医事新報No4187 2004.7.24 p80緑陰随筆(石丸幹夫)より



どうして医者不足と言われるようになったのだろうか? 財務省は知らん顔をしている。

 一昔前は みな貧しかったけれども、医者不足と言われるようにな あまりそんな話はなかった。 当時の病院の医師も開業医も一生懸命は働いていた。
開業医も若い頑張り屋が多かった。一般病院や入院施設の或る有床診療所は救急の患者さんをどんどん引き受けた。院長は当然のように24時間拘束を覚悟していたし、そのために医師家族も大変であった。日曜も祝日も診療していて、「少し暇な日がお休みの日です。」と一生旅行もできず亡くなった小児科医や産婦人科医もいた。
しかし、世の流れはそうはいかなかった。医学の進歩により高度の診療が要求される時代になって来た。これには設備人件費とも莫大な費用がかかるのだが、かかる人にとってはこのような診療をみな要求する権利がある時代になった。結局どこかにしわ寄せがくる。こんなことが出来そうなところは超大病院しかないようになった。医師が怠ける様になったのでもなく、時代の流れである。
設備で診療報酬に格差もつけられるし、だんだん有床の開業医は無床にかえ、病院は医院になった。開業医も24時間体制に対応する看護師も集まらず。夜間の診療に対応できなくなった。
そしてかってのように、開業医から病院、総合病院そして医科大学経営へと壮大な夢をみて頑張る医師もおらなくなったし、そんな時代ではなくなった。
しかし、まだ医師としていい環境で、いい仕事をしたいという夢をもって開業する若い院長もいるが、現実は苦しい。投資しても返済にに何十年もかかる。儲けは出さなければならない。それには24時間体制でもして頑張らなければならない。しかし今の税制や医療費の仕組みはそんなにあまくない。
税金が支払わず逆に補助金をもらっても経営の厳しい病院が多いという時代に、救急医療をしても院長の孤軍奮闘ではどうにもならない。働くほど税金はどんどんとられる。結局、一生けん命働いて院長が還暦になって、やっと返済出来れば良いほうである。
そこで、医師会の若い開業医に、「開業して十年間、夜間の救急患者(一次救急)を引き受けるなら税金を免除しましょうと、もし財務省が言ったらやりますか?」と聞いてみたところ数名が「10年間はやります」と挙手した。厚生労働省のようにあめを与えるから開業医はもっと夜もやれ、というあいまいな考えではだめである。医師の年齢や、期限をきめて実行すべきで、知らん顔している財務省をつつく必要がある。厚生労働省だけでは何もも出来ないのである。他の部門を削って産婦人科とか小児科とかへまわす発想しかないのである。
さらに補足するが、今の開業医は高齢化している。永年病院勤務医をしてからの人が多く、疲労と高齢で過酷な勤務医からの逃避の人もかなりある。医師も一生同じではないのである。みな元気なばりばり医師であるという考えは誤りである。









耳鼻咽喉科医50年の徒然草
   平成21年2月

            社団法人耳順会 
            ひょうたん町耳鼻咽喉科医院
               顧問 石丸 幹夫
     
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