6BM8超三極管接続アンプの製作
宇多 弘
1号機 クッキー缶
1 始めに
つい先だって迄は 6BM8 は試験の対象になったり、手軽なアンプに時々使用したりしたのですが、どちらかと言えば、受信機の低周波段などに使う手軽な球という感じで、特に印象の強い存在ではありませんでした。だが、超三アンプとして製作し、大変身近かなものになりました。
2 出会いと接近 (1958年)
始めて印刷物等で 6BM8 を知り、始めてそれを使った製品に接したのは昭和
33 年 (1958年) 頃です。 当時は、やっとモノクロTVの普及が始まった時代で、オーディオと言えば放送は
AM だけで FM は試験放送、レコード・プレーヤは 33/45/78 rpm の三速リム・ドライブが標準、モノラル一本で、カートリッジも
MM と言えば高級品の時代です。
ラジオ雑誌には 6BM8 の紹介記事があったと記憶していますが、当時は全盛期にあるメタル管や
GT 管の 6V6/GT とか 6F6/GT にくらべて、いかにもヒ弱な感じであり、寿命も見るからに熱に犯されてしまい短かそうであり、またソケットへの着脱時のクラック事故が絶えなかったので、特段の利用メリットが見い出せず、三次歪みが多いと言われた
6BQ5 と共に〜もう少し頑丈な製品が出るまで待つか〜と、黙殺しかかっていました。
当時、私の中学・高校の同級生の兄上が、米国留学が終わり、帰国の際に
LP レコードを大量に持ち帰りました。 そこで家庭にてレコード鑑賞したいのだが、装置はどんなものを用意すれば良いか?どんな装置が適当か?、と言う相談が、同級生を通して私に持ち込まれました。 当時大学生だった私には、数回目のオーディオ・コンサルでした。
しかし、予算範囲と必要グレードが全く把握できませんでしたので、ご本人を秋葉原にご案内して、バラコンのアセンブリ・スタイルから1キャビネットに全部組み込まれた既製品までを色々な店を回って、現物を見て、聴いて、値段を見て貰うことにしました。 結局ご本人が選択したのは
Victor の AM ラジオ付三速プレーヤ付の 6BM8 プッシュプル 5W だかの「LA−8」というモデルでした。 当時はまだ
FM 放送は開始していませんでした。 その装置一式は、当時 \80k でした。大卒新人の給料が
\14k の時代ですから、今日では 100 万円位に相当するものです。 当然、バラコンを推薦する私にとっては大変不満な選択ですが、ご本人は装置に特に興味をお持ちではないし、拡張・改良などの可能性もなく「適正」と判定しました。
このセットが御当人宅に届き、通知を貰って自転車で出向き、開梱し、取り扱い説明書を読み、設置・配線、プレーヤを設定し、火を入れて動作試験を行ないながら裏蓋を開けて始めて
6BM8 の姿に接しました。 同時に 6BL8 にも接しました。 こんな頼りない球でどれくらい保つものかな?と思いました。
MT の複合管と言えば、双三極管位しかなかった時代のことですから、セットをコンパクトにつくるには、複合管は有利であると思いました。 しかし、いずれかのユニットだけでも故障すれば真空管としてはカタワとなり、残ったユニットを無理心中させる点が「モッタイネーナ」と感じたものでした。 そう思うくらい、当時の球はしばしばトラブルを起こしていたのですね。
3 始めての使用 (1969年)
当時のバラコンとは、プリアンプ(イコライザ付き)〜チューナ〜パワーアンプにて構成される「レシーバ」それにスピーカ、(勿論)アナログプレーヤの三点セットが標準でした。 始めて
6BM8 の実物を使ったのは、昭和 44 年 (1969年) 頃でしようか。 少々くたびれた、AM二系統、モノ
FM ステレオ・レシーバのオーバーホールを依頼されました。 そのレシーバの出力段が
6BM8 pp のステレオ構成でした。
そこで、球を全交換する追手に 6BM8 を4本買い込み、5結、UL、3結等一通りのシングルおよび
pp の動作状態を確認しました。 その後手持ちのトリオW-50 (現在のケンウッド)
の出力部である 7189A pp ステレオアンプを 6BM8 の三結(T) pp ステレオアンプに変更して稼働試験し、約一年使用したのが正式な利用経験でした。(以下ステレオは省略)
そういえば、アマ無線局で使用したトリオ TS510X HFトランシーバの低周波増幅段と定電圧回路にも
6BM8 が使われていました。
4 応用製品?(1988年)
子供が大きくなり、生活がすこし落ち着いて、アンプいじりを再開した 1988
年頃に、子供から自分用のステレオ装置が欲しいとの要請がありました。 既製品一式を買うのも大変なので、プレーヤ、チューナ、スピーカの更新機会として、それぞれを逐次買い換えしたあと、プリ・メインアンプとして、イコライザー付
6BM8(UL) シングルアンプを組み上げて、使い古したプレーヤ、チューナ、スピーカ
(コーラル 8A70/EK45 + パイオニア PT-4) をセットし、子供用の装置としました。
これが好評で、アンプを子供の友達にも同様に 6BM8(UL) s アンプを製作して上げたりしていました。 おそらくそのご家庭でも、私と同じ様な構成の買い換えをしており、プリ・メインアンプさえあれば、子供用のステレオ装置が構成できたのでしょう。
5 各種の応用動作試験 (1992年〜1994年)
1992年春から、多摩センターに 2年 9ケ月程単身赴任し、土日には本宅に帰宅する金帰日来生活を繰り返していました。 多摩センターの独身寮では時間的余裕があったため、カソードNF
について何例かの試作・動作試験を行ない実用機に転用しました。
試験用の出力トランスには 32Ωのタップがあるタンゴ H5S を使いました。 H5S
の二次側 0〜4Ωを CNF に回し、4Ωを接地し、4〜32Ωをスピーカ用の 8Ωとして、CNF
巻線相当の動作をさせました。実用機としては同一シャーシに 6BM8/6EM7 のどちらかが差し替えできる
6BM8 のみ UL/カソードNF(CNF) アンプとして、主にヘッドフォン用で一年位使いました。
CNF は、6EM7 ではそのような感じがないのですが、6BM8 では、すこしキンキンと響くエコーみたいな変な音が気になって短期間で外してしまいました。6BM8
と 6EM7 の差は、五極管と三極管の差というより、内部抵抗の違いが音に関係したものと考えています。
6 6BM8 に再度取り組む (1996年末〜)
6BM8 にマジメにしかも超三アンプに取り組んだのは今回が始めてとなりました。 超三アンプの試作実験は、既にバージョン3タイプを
807 (1996/3)、EL34 (1996/5)、6V6GT/6L6GB(1996/6) 等各アンプで実験すみでしたが、直結のバージョン1タイプは
6V6GT アンプ以外は未着手だったので 6BM8 アンプについては始めての追試験となりました。
6.1 一号機
取り敢えず、1996年末〜1997年始の休みに、女房からクッキーの缶を貰い受けこれの蓋をシャーシにして
6AU6-16A8 超三アンプに仕上げて様子を見ようとしました。蓋の表側には B電源トランス、フューズホルダ、電源スイッチ、真空管、出力トランス、超三調整用可変抵抗、スピーカ端子、AC
コードのブッシング、入力調整ボリュームのノブ、入力ピンジャックを取り付け、蓋の裏側にはヒータトランス、大容量のキャパシタ、入力調整ボリューム、殆どの配線を収容しました。
クッキー缶内部
缶の蓋は 0.3mm 化粧印刷の鉄板であり、機械強度が不足なので、細い木製棒材を接着材で張り付けたけれど不十分でした。 しかし、蓋を身(缶の本体)に被せると、シッカリ固定され、振動はしません。 缶の本体の底部にはゴム足を4箇所にとりつけ、机等にキズを付けないように配慮しました。
配線および点検が終わり、パワー投入をしたところ、 16A8 は派手にフラッシングして、一瞬ドキリとしましたが、動作には影響は全くありません。 しかし、精神衛生上良くないので、
6BM8 に変更し、ヒータ電源トランスを交換して試験を続けました。 このアンプは一応納得できるレベルに達しました。
6BM8 の三極管部は、正確には 6AT6 相当のμ=70 の電圧増幅管ですが、
6AV6 相当のμ=100 (=12AX7/2) との比較、および初段をトランジスタとした場合の音の相違を比較したいため、6BM8
の三極管部を利用しない、個別の球による 6AU6-12AX7-6BM8 (p) 構成の超三アンプ(後の二号機)とか、初段をトランジスタとした
2SC1775A-6BM8 の組み合わせによる超三アンプ(後の三号機)を、この段階で計画しました。
一方、本機 6AU6-6BM8 の組み合わせについては、初段の6AU6 の代わりに
6CB6、6CY5、6DK6、6EW6、果ては 6AK5、6AS6 を挿して比較してみました。 実はかなりB電圧を高く設定した本機でも、初段管の
6AU6 は 6AK5 に比べて少し音が暗いので 6AK5 に変更しました。
本機(一号機)の回路図を下記に示します。
6.2 ラジオに使う
一方、6BM8 の単球による BC (中波放送) 用の受信機を試作してみようと、別項に記載の
16A8レフレックスを計画しました。 三極管部にて検波し五局管部にて低周波増幅する、単なる0V1構成では面白みもなく、ゲインも低いので、五局管部を高周波増幅と低周波増幅に兼用し、三極管部で再生検波する、レフレックス方式の1V1としました。 ストレート構成の受信機は、1950年代の学生時代には、多数台組んでアルバイトにした位ですが、どう言う訳かレフレックスは手がけたことがなかったので、設計は慎重に行ないました。 手持ちトランスの関係から、使用球は16A8とし 「高一コイル」は記憶を頼りに壁紙の巻筒を利用して自作しました。
6.3 焼きを入れる
1997年 6月の頃です。 SOVTEC の 6BM8 に「焼き」をいれると、モノスゴイ臨場感が得られるとの話しを聞きました。 そこで早速、手持ちのSOVTEC
6BM8 を台所のガスコンロにてジワリジワリと青白いゲッターが真っ黒になるまで加熱し、冷却後クッキー缶シャーシ式超三アンプに挿して動作させ、ビックリたまげました。 ドラムやベースがドスン・バチンと迫って来るのです。 確かに効果がありました。本物の音に接近する訳ではないけど、小音量でも浸透力があるのです。 真空度が上がって管内電子の経路が整理されたのでしょうか。
6.4 二号機
三台になった 6BM8 超三アンプは、それぞれの命名が面倒なので番号を振りました。
一号機:6AU6-6BM8 ダイオード リニアライザ クッキー缶シャーシ式
二号機:6AU6-12AX7/2-6BM8 (pのみ) 6CA4 パラ リニアライザ 指定トランス等使用
三号機:2SC1775A-6BM8 ダイオード リニアライザ 指定トランス等使用
二号機/三号機のシャーシ板金・塗装と重要部品の取り付けまでは完了したのですが、そこから先がなかなか進みませんでした。 例会の数日前に一気に
C/R の取り付け配線を行ない、火を入れ、とにかく鳴ったことは鳴ったのですが、調整不足で音質が何ともなりません。
二号機は、低音が出てきません。 暗い音です。 その原因は 6AU6 への印加電圧が低いことが判明しました。 6BM8
(p) のバイアス抵抗をもっと大きくすれば、B電圧の高い一号機のように正しく動作したはずです。 でも、それが判明する前に初期の計画通り、前段を
6AS6-12AT7/2 に変更するとともに、出力管を 6BQ5 に変更してしまい、後の祭です。
2号機外観
2号機内部
6.5 三号機
順序が前後しますが、三号機では 6BM8 が大入力時に、または無信号時でも、時々「ポチン」と管内放電を起こす恐ろしいものでした。 その瞬間はスクリーングリッドが明るく焼けてカソードの被膜が飛び散り、グリッドに堆積しそうな勢いでした。
3号機
このトラブルは解決しました。 対策としては、普通の発振止めと同様に、三極管部のカソードから五局管部の第一グリッドに直接入力せずに
330Ωの直列抵抗を入れ、念のためプレートには22Ωの直列抵抗を入れたら、完全に抑えることができました。 この放電はどうやら発振の一種らしく、入力のピークに併発するか、また入力がなくてもグリッドに電子がとりついて一杯溜まると、突然グリッド電流がガバッと発生するような感じです。
また、2SC1775A にかけるコレクタ電圧が不足らしく、フルパワーになる前にクリップ気味になります。 解決方法としては
6BM8-p の Rk を大きくして、カソード・フォロワ出力点の電位を高くし、同時にコレクタへの印加電圧も高くすることができそうです。
その後、ある夜中にどうも音が気に入らず、2SC1775A をソックリ 6AK5 に換えてしまいました。 また
1998 年の正月休みには、指定のアウトプット・トランスを二号機から外して本機に付け加えて一次並列、二次直列としました。 出力トランスはシャーシ上で重ねたため、
6BM8 が 前方から見えなくなってしまいました。
7 各機のその後
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一号機は、一旦分解しました(1997/11)。 しかし、クッキー缶が懐かしく殆ど原形通りに復旧しました(1998/9)。
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二号機は前述のとおり、予定の 6BQ5 超三アンプに変更し(1997/7)、その後さらに12B4A
超三アンプ(1998/7)、6197 超三アンプ(1999/1)に生まれ変わりました。
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三号機も前述のとおり、指定のアウトプット・トランスを重ねてフル仕様となりました(1998/1)。 その後、再度初段をトランジスタ
2SC1775A に戻し、アウトプット・トランスはシャーシの上・下に重ねて、6BM8
が 前方から見えるように復旧し、電源の強化のためパワートランスを強力なものに替えて、整流回路のフィルタはチョークインプットとし、展示品に加わりました(1998/6)。
以上
編集後記 回路図の電源を省きました。ごめんなさい。